小島阿蘇神社
2019/6/12(水) 晴
30°超えの真夏日は未だ多くはないが、それに近い気温が続く今日この頃、暑さになれるべく昼からではあるがポタリングに出る
先日読んだ邪馬台国・倭国熊本説に触発されて、宇土地域まで行こうと思って出かける。
ものはついでと、全国でも珍しい国司を祭神にしている高橋東神社に立ち寄る。
さて、写真を・・・と思ったがカメラの持参を忘れて来た。スマホで撮るも社の写真を撮るのを忘れた。う~ん暑さのせいか?
カメラ持参を忘れたことにより意気消沈。目的地を熊本港に変更する。
途中、西区役所の西向こうに小さな山が見える。御坊山という、
小島阿蘇神社の鳥居(写真5参照)横に説明板がある。
説明板によると、「縄文海進の頃は海中に浮かぶ小島だった。それがこの地域の語源となる山という。この地域は鯰を神の使いとして食しないという」とある。
鯰をトーテムとする海人を祖先とする人々か。古代、呉は長江下流域にあって、越に滅ぼされた(BC473年)。呉人は海人、東シナ海から日本列島へ渡る。有明海沿岸には、呉の太伯の後裔という伝承があり、入墨などの習俗が同じであるという。
鳥居を潜りと急勾配の階段があり、山頂には社殿(写真6参照)がある。
ご祭神は阿蘇津媛命(阿蘇二の宮)。
ここでも山の全体像の写真を撮り忘れる。
小島阿蘇神社を後にして、熊本港まで走り一服して帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→熊本港19km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計37km 走行累計28,911km
御坊山曽我神社
2017/2/15(水) 晴
熊本西区役所の西側の「御坊山」(標高29m)という低山の麓を通る。
山頂は小島阿蘇神社だが、麓に「曽我神社」(写真1参照)という曽我兄弟を祭神とした社があった。
由緒書き(写真2参照)には勧請の謂れもなく唐突に感じたので、帰宅してweb検索してみた。
すると「石川という石碑から、証拠はないが蘇我石川宿祢を思わせる」とのブログの書き込みがあったので、私も何となく納得した。
追記;石川の石碑について、Kawakatuさんからご教示頂いた。
「再建関係者だった石川さんらしき人が「石川氏」なる石碑を建てた。
曽我と蘇我氏との、なにかの関与を感じてのこととは思う。
ここは、近くを白川が流れ、もとは阿蘇國造氏の居館「浜の浦」があったところになる。
阿蘇國造神社のある阿蘇地域から、国造家はここへ移動した記録がある。」とのこと。
有難うございました。詳細はKawakatuさんブログをご参照下さい。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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