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熊本から気ままに山と自転車のブログ

歴史公園鞠智城跡

鞠智城池ノ尾門跡
2022/3/15(火) 晴

今日の最高気温予想23°天候は晴れ。10時半から、目的地を山鹿市木野神社と菊池市木野神社そして池ノ尾間歩としてポタリングに出る。結果として池ノ尾間歩を抜けると鞠智城池ノ尾門跡だった。

間歩(トンネル)口から鞠智城跡風景(写真19参照)。公園内施設建物が見える。


私が立っている場所も公園の一部になっている。傍に公園案内板(写真20参照)がある。


谷筋に沿って少し下った所に「池ノ尾門跡」(写真21参照)がある。


軸摺穴が残る門礎石(写真22参照)。


説明板(写真23参照)には、「池ノ尾門跡は、標高90mと鞠智城跡の中でも最も低い位置に所在し、西側、南側土塁線の尾根に挟まれた狭隘な谷部に位置します。これまでの発掘調査によって、1つの軸摺穴が残る門礎石1基のほか、石塁、通水溝、導水溝、盛土状遺構などが確認されています。
石塁は、そのほとんどが崩落しているものの、幅は9.6mの規模であったことが分かっています。通水溝は、石塁の下を通る暗渠状の排水施設で全長16mの規模です。通水溝の取水口前面には導水のための導水溝が確認されています。また石塁の城外側の北西に約20m離れた地点には版築工法を用いた土塁状を呈する盛土状遺構が存在します。」とある。
現在時刻14時半帰途に就く。帰路は、この谷筋を下り黒蛭から県道37に出て、往路を反対方向に走り帰宅する。



歴史公園鞠智城跡
2020/5/11(月) 晴

天候は晴れ、気温28°今日も夏日。コロナ禍のなかでイライラも積もる。11時半から暑いのは覚悟のポタリングに出る。目的地は山鹿市菊鹿町とする。
熊鹿ロードを北進し向坂から国道3に出て植木町市街地を通る。途中、通信容量節約のためにWi-Fi使用可能なスマホ販売店の軒先を借り、アプリのバージョンアップと休憩をする。
久しぶりに小野崎の年賀塚古墳に立ち寄る。ここは赤北農村公園という名称らしい。年賀塚古墳を後にして、菊池川を渡る橋の上でこれからの方向を思案する。

鞠智城跡を久々の目的地と決め、昼食のため道の駅メロンドームに寄る。
メロンドームから北へ台台地に上がり、40分ほどで鞠智城跡歴史公園(写真5参照)に到着する。


物産館「長者館」(写真6参照)の前に2名、資料館「温故創生館」の前に2名の観光の人?がいたが、閉館中だった。


参考までに観光マップ(写真7参照)を写真に撮り、退散する。



彼岸花の頃の熊鹿ロードから鞠智城まで
2015/9/25(金) 晴/曇
天候は晴。出発10時
今日は、先日の玉名方面より東、菊鹿(菊池市・山鹿市)方面ポタリングを予定する。
例によって熊鹿ロードを北上する。22日紹介したホシアサガオを再度確認するため立ち止まる。
花は11時ということもあり萎んでいる。アサガオの種類には違いないようだ。たった3日の違いで沢山の種子も出来ている。

今日は、米塚から熊鹿ロードを外れ最大限に堤防道路走りたいと思う。
合志川左岸堤防道路を川下方向に走り、葦原橋を渡り右岸堤防道路を走る。
が、渡りを前に体力強化のためか、川風に揺られる草々から飛び立つ昆虫を狙って飛び回る。
1羽は上手く写真に写ってくれたが、シミのような4・5個の影も燕(写真1参照)


橋があったので右岸側に渡り・・・ここで道を間違った。直進すればいいものを、左折してしまったので熊鹿ロードを横切り県道198に出てしまった。
帰宅してから地図で確認したところ、北西方向に走っている。太陽がないときの方向感覚をもっと研ぎ澄まさなければ・・・と思う。
ここで方向を修正し来民商店街を抜け、水辺プラザを目指し、そこで昼食とする。
さて、昼食の後は・・・久しぶりに歴史公園鞠智城(写真2参照)まで足を延ばす。写真右は鼓楼、左奥は資料館。
資料館でビデオを見て、展示資料を一覧し、帰途に就く。


帰路は、台(うてな)台地を東に下り、菊池市中町に出る。
後は、車が多い県道53を睨みながら、農道を西方向に走り熊鹿ロードに出て帰宅する。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)38km→歴史公園鞠智城33km→熊本(自宅)
所要時間8時間(実6時間) 総計71km 走行累計12,934km


歴史公園鞠智城跡
2015/5/16(土) 曇

七城町まで出かけて来たが、日付の勘違いだった。
このまま帰るか?足を延ばすか?鞠智城跡まで足を延ばすことにする。
国道325を横断し、県道37を北進する。
交差する県道196を左折し東進する。
その道が、台地に上がる坂の上り口にある松尾神社に立ち寄る。

鞠智城跡に到着。
資料館に寄る前に、日本では珍しい八角形の鼓楼(写真3参照)を見る。


その先に兵舎(写真4参照)が見える。


炭化米が出土したことから米を保管したであろう校倉造りの米倉(写真5参照)を見る。


その西側には、兵庫とみられる茅葺の板倉(写真6参照)が見える。


他にも多くの施設があり、灰塚西の展望所からは、菊鹿町方面の眺望ができる。
城内は55haの広さがあるという。
鞠智城とは、諸説あるが7世紀後半に白村江の戦いに負けた倭国(日本)が、来寇に備えて兵站基地として建設したものと考えられている施設。
山鹿市と菊池市の境に位置し、後方施設としては、丘陵先端部ではなく谷筋を入った奥で外部から分かりづらく、南北に谷があり、城域は独立峰的地形で攻め難いであろうと想像する。
資料館では、今年の3月から放映しているというビデオを観て、辞する。
汗が滴り、夏の到来を実感した一日となった。

今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)32km→鞠智城跡30km→熊本(自宅)
所要時間7時間(実4時間) 総計62km 走行累計11,540km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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