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熊本から気ままに山と自転車のブログ

伊形霊雨の墓・詩碑

伊形霊雨の墓
2021/4/19(月) 晴

今日のポタリングは、午後13時出発、気温19°、国道208木葉交差点の電光掲示板が14時18分で23°を表示していた。
先日の伊形霊雨詩碑を訪れおり、辿り着けなかった玉東町指定史跡「伊形霊雨の墓」を目的地とする。

先日はこの標柱(写真1参照)まで来たがこの後が分からなかったので、今日は写真右側の溝路を奥に進む。


途中2ヶ所に案内標識があり、それに従い溝路を辿り倒木倒竹を跨ぎ、潜り、登り、奥を見上げるとこの白い標柱の頭部(写真2参照)が見えた。なかなかの難路だった。神社境内にあった案内板「神社奥200m」の距離感よりかなり遠く感じた。


墓所(写真3参照)には、五基の墓石がある。霊雨の墓石は、前列の中央で「霊雨山人之墓」の陰刻がある。その右の墓石には「山人室之墓」とある。


現在時刻14時帰途に就く。帰宅は16時半、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)18km→伊形霊山の墓18km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計36km 走行累計40,110km



伊形霊雨詩碑
2021/4/16(金) 曇

今日は、9時出発、気温16°午後から雨予報に3・4時間限定のポタリングに出る。
目的地は20km程度の範囲内としながらも、確定しないまま熊鹿ロードを北へ走る。

投刀塚まで来て、宇都宮神社に伊形霊雨の詩碑があったことを思い出し目的地とする。
ポツリ、ポツリと雨が降って来たので、雨宿りのため木葉駅に立ち寄る。丁度、駅ピアノを演奏(写真2参照)している人がいた。一時の心和む時間が持てた。


宇都宮神社(写真3参照)に着く。御神木の香るような楠若葉が目に優しく写る。


境内に上がり、詩碑(写真4参照)を見る。


伊形霊雨の詩碑(写真5・6参照)
玉東町ホームページには「霊雨は木葉に生まれ、明和2(1765)年に藩校時習館に入学、教授もつとめたが、晩年地元に戻って余生を過ごした。」とある。霊雨は百姓の生まれだが、細川重賢の藩政改革により、時習館に学ぶが藩命で国学研究のため京都に留学した。


伊形霊雨の夫人の歌碑(写真7・8参照)
説明板から「庶民の女性でありながら歌を詠む教養がること。葛から衣服を織る・・・」など二百年の昔を連想させる。


伊形霊雨の母堂の歌碑(写真9・10参照)
説明板には「・・・霊雨は、母上に願って絹布を織ってもらい献上した。しかし、重賢公は大男であったので、並みの一反では足らず後日片袖分を織り上げて献上した。その折の母堂の歌である・・・」とある。


「神社奥200mに霊雨の墓がある」と書いてあるので、坂道を登ってみた(写真11参照)
写真上部に移っているのは、早木重次郎の墓で、霊雨の墓ではなかった。
後日、再訪したい。


現在時刻11時半帰途に就く。帰宅は13時、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)20km→伊形霊雨の墓18km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実3.5時間) 総計38km 走行累計39,963
km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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