熊本から気ままに山と自転車のブログ

城が鼻城跡稲荷神社

城が鼻城跡稲荷神社
2017/12/2(土) 晴

「菊池川流域古代文化研究会講座~菊池川流域の日本遺産認定を受けて~」を受講しに熊本県立装飾古墳館まで行った。
今日は、山鹿市地域に限った内容であった。
講座の最後の質疑応答の時間に、「菊池川流域地名研究会」代表の中原英氏から菊鹿盆地から流れ出る菊池川の流路について発言があった。
志々岐、鍋田から流れ出る現在の流路は、弥生時代後期か古墳時代前期の地震による断層に沿ってできたもの。菊鹿盆地が茂賀の浦という湖だった頃の流出口は春間だったという。
帰宅して国土地理院の地図で調べたら、春間の標高は30m~35mで湖岸だった思える地形が標高30mラインに残っており、納得できる話であった。
また、茂賀の浦湖蹴破り伝説の健磐龍命を祀ってある神社があるということで、あてはないが探してみることにする。
古墳館から下った春間にある城ヶ鼻城跡の稲荷神社(写真1参照)に立ち寄る。


コンクリート舗装の長い坂が続き、少し緩斜面になった頃から赤鳥居(写真2参照)が現れる。


三吉大明神(写真3参照)という扁額がある。
初めて見る名称に、帰宅してWeb検索してみる。
恥ずかしいが、この歳まで知らなかった。稲荷神にも色々名称があるようだ。
加藤清正に長浜から御供し来た兄弟稲荷神が、清藤稲荷神と緋衣稲荷神。
清藤稲荷神は祇園山(花岡山)に移って肥後国を守護、緋衣稲荷神は茶臼山に移って熊本城を守護するようになった。
また、加藤家から細川家に藩主が変わったとき小倉から三吉大明神が随従して来たが、熊本城稲荷神社の白髭大明神が拒んだため、高橋の城山に稲荷神社が勧請されたとある(参照:ブログ-書を持ったまま町にでよう)


玉崎社(写真4参照)という社がある。


由来書(写真5参照)には病気の神様とあり、粟島神社のようだ。


その奥の更に一段高い所に城ヶ鼻神社の拝殿(写真6参照)がある。


その拝殿の脇に「城ヶ鼻城跡」の説明書(写真7参照)があった。


この後、小原権現と小原八幡宮を探訪し、帰宅する。
帰路は、日没との競争になった。
我が家に着くころには、久しぶりに月影が映る時刻になってしまった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→装飾古墳館35km→熊本(自宅) 所要時間7時間(実4時間) 総計62km 走行累計22,650km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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