放牛石仏(地蔵)無番号8・51・40体目A
2021/11/07(日) 晴
最高気温予報24°。昨日の雨もあって空気が澄み山は蒼く、今日も絶好の自転車日和に、午前10時前からポタリングに出る。目的を放牛石仏(地蔵)無番号8・51・40体目A探訪の予定で出かける。
熊鹿ロードを北進し、米塚を過ぎた辺りから右折し、芦原橋、中川橋を渡る。国道325を横断し、上内田川沿いを北進する。久しぶりに津袋の円形分水(写真1参照)を見る。
山鹿市あんずの丘の北側の、八方ヶ岳山塊から南に延びる支尾根の先端の山鹿市菊鹿町太田の台地に上がるため、「上永野4km・太田2km」の標識を見て右折する。が、迷路にはまって鷹取八幡宮、宮地嶽神社(写真2・3参照)の前に出た。
この辺りは、中世の山城「鷹取城跡」(写真4参照)のようだ。
説明板には、「「鹿本郡誌」によれば、東政祐(菊池持朝の末子)の築城によるもので、東氏三代の居城をみたが、元亀元年(1570)に至り隈部親永によって攻め落とされたという。一方、「山鹿郡誌」草稿は内田相良氏九代(重信から重治まで)の居城であったと伝える。
城跡地は丘陵地の東縁部にあり、標高に三〇・九m、集落の比高差一三〇mである。主軸の向きは南西方向から北東方向にあり帯状形をなしている。城跡地としての遺構が明確に残るのは長さ約八〇mの範囲である。城跡主郭からは東方向の上永野地区が一望でき砦として絶好の場所に存する。」とある。
目的の放牛石仏(地蔵)無番号8体目(写真5参照)は、北から下って来る道の左側にあった。
放牛石仏(地蔵)は、柿の木の向こう側(写真6参照)に鎮座する。
放牛石仏(地蔵)無番号8体目(写真7参照)は、座像で、手に薬壺を乗せてござる。薬師如来像か。光背部右側に「波阿弥陀仏」、左側に「他力・・・」とある。
放牛石仏(地蔵)無番号8体目を後にして、台地を下り水辺プラザかもとで弁当を買い、正面に台(うてな)古墳(写真8参照)を見ながら昼食とする。山と谷を上下する道を1時間程彷徨ったので、昼食が14時となった。
昼食の後は県道37を南に走り、菊池市七城町加恵地区の放牛石仏(地蔵)51体目(写真9参照)を拝顔する。
放牛石仏(地蔵)51体目(写真10参照)は、光背部が損傷していて全体に苔むして写真写りが悪いが、写真のために鎮座しているわけではないのでご勘弁いただきたい。
説明板(写真11参照)には、「石碑には「享保十三年(1798)九月二十九日」「他力、放牛」「神ほとけ おがまぬ先に親おがめ 神やほとけもうれしかるらん」の和歌が彫られており、親孝行の大切さを問いかけている。永年地域住民により大切に護られている。」とある。
放牛石仏(地蔵)51体目を後にして、放牛石仏(地蔵)40体目A(写真12参照)に移動する。県道37を南進しているので、左側手前にあるのでうっかり通り過ぎ後戻りして観る。
放牛石仏(地蔵)40体目A(写真13参照)は、立像である。この仏さまも薬壺を両手に乗せてござる。
説明板(写真14参照)には、「享保十三(1728)年建立。僧放牛が父親の菩提を弔うため造ったといわれている百十八体の石仏のうち、四十体目の地蔵立像である。高さ百七センチ、幅三十八センチ、厚さ三十五センチを測り、光背には「これより みぎ わいふ ひだり きの」と記され、道中の道しるべの役割も果たしている。」とある。
放牛石仏(地蔵)40体目Aの鎮座する道向うの、菊池市指定文化財の仏像がある天徳寺(地蔵堂)に立ち寄る。
帰宅は、日没前の17時となった。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)35km→放牛石仏(地蔵)無番号8・51・天徳寺34km→熊本(自宅)
所要時間7時間(実6時間) 総計69km 走行累計43,816km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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