2020/5/11(月) 晴年賀塚古墳跡
天候は晴れ、気温28°今日も夏日。コロナ禍のなかでイライラも積もる。11時半から暑いのは覚悟のポタリングに出る。目的地は山鹿市菊鹿町とする。
熊鹿ロードを北進し向坂から国道3に出て植木町市街地を通る。途中、通信容量節約のためにWi-Fi使用可能なスマホ販売店の軒先を借り、アプリのバージョンアップと休憩をする。
久しぶりに小野崎の年賀塚古墳(写真1参照)に立ち寄る。
ここは赤北農村公園(写真2参照)という名称らしい。
公園の端に、少し大きめの岩(写真3参照)がある。
船着石という説明板(写真4参照)がある。
縄文時代に茂賀の浦という湖があり弥生時代には陸化したようであるが、そんな2000年前の記憶が残るのか?トロイの木馬の例もあるので否定はしないが、不思議に思う。
菊池川を渡る橋の上でこれからの方向を思案する。
鞠智城跡を久々の目的地と決め、昼食のため道の駅メロンドームに寄る。
メロンドームから北へ台台地に上がり、40分ほどで鞠智城跡歴史公園に到着する。
年賀塚古墳
2016/9/1(木) 曇
今日で4日連続の時間限定短距離ポタリングに出る。
気温が下がったからか、連続している効果かペダルが軽くなったような気がする。
気象庁観測値の気温は16時30.5度。
例により熊鹿ロードを北進する。17kmの中間地点まで1時間。
さて、今日はどこを折り返し点にするか。
熊鹿ロードを少し外れて菊池市七城町小野崎の年賀塚古墳を目的地にする。
植木温泉手前から県道53を東進し菊池グリーンロードを左折する。
1kmほど行った右側、花房台の北の縁にある農村公園の中にある。
年賀塚古墳は前方後円墳(写真1参照)というが、形状がはっきりしない。
写真右手の記念碑がある所が前方部で、左手の桜木の所が後円部か。
後円部(?)を東北側から見る(写真2参照)。
公園からは菊鹿盆地が一望できる(写真3参照)。
説明板によれば、菊池市15代武光が戦いを終え本拠地への帰途、ここで正月を迎え、戦勝の祝宴を催したことによりこの名が付いたと言う。
どこに遠征したのか?相手は相良氏か?ここまで帰って来れば菊池氏のテリトリー。動員された兵士は解散命令を受け、ここから三々五々に各自の家に帰ることになるが、その前の慰労会であったと想像する。
ここに立って、無事に帰って来れた安堵感を胸に我が家方向を眺める兵士の姿が目に浮かぶ。
年賀塚古墳を後にして帰途に就く。
後15分ほど早ければ薄暮の内に帰宅出来たものを、今日が曇り空だったことを失念したため夕闇が迫る中を急ぎ帰宅した。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)20km→年賀塚古墳20km→熊本(自宅)
所要時間3時間(実2.5時間) 総計40km 走行累計17,980km
松島稲荷山神社・年賀塚古墳跡
2016/2/4(木) 晴
今日も晴天。外に出ないと勿体ないような気分に自転車を駆ける。
13時半出発。行先は、菊池市七城町方面。
熊鹿ロードを北へ走り、植木町伊知坊から菊池市七城町松島地区へ。
ここは花房台地西端の地で、弥生遺跡がある所。
古墳又は古墳跡のような遺跡がないだろうかと、地区の中心地に入る。
崖面にお地蔵さま(写真1参照)が鎮座して御座る。
角を曲がると、一段高い所に「松島稲荷神社」(写真2参照)があった。
周りに円形の土手を持ち、塚を刳り抜いたような地形の中に社殿(写真3参照)がある。
境内には線刻か文字かを刻んだ石(写真4参照)がある。
更に大きな古墳の天井石のようなご神体(写真5参照)もある。
先日の「黒松稲荷さん古墳」を大きくしたような形状の神社に断定する根拠はないが、もしかして・・・という思いが膨らむ。
「遺跡ウォーカー」と地図位置が少し違うが、たた違う場合もあるのでこれを稲荷山古墳と私は思いたい。
松島地区を後にして、年賀塚古墳を探しに小野崎地区に向かう。
集落の中をとおり墓地の周りを探したが分からず、公園に立ち寄ったところあった。
塚(写真6参照)は、ほとんど形状を留めていない。
解説板(写真7参照)がなければ古墳だとは分からない。
「古墳跡」というのが正解と思う。
時間があるので、「JA春の植木市」を見物に行く。
到着は16時半過ぎ。
そろそろ店じまいの時間か。
全通路を歩くには、1~2時間かかりそうだ。
植木市を後にして帰途に就く。
18時帰宅、かなり日没が延びた。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)22km→年賀塚古墳跡32km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計54km 走行累計14,960km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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