2024/1/24(水)曇/晴
今日は最高気温5°早朝の気温-1°と雪がチラつく寒い日になったが午後から雲間から陽が射す天候になったので、午後14時から先の熊本地震で被災した国指定史跡「釜尾古墳」の復旧が進んでいるか確認しにウォーキングに出る。
井芹川沿いを歩き、釜尾古墳目指して南側から台地に上がる。途中の民地の紅梅(写真1参照)が満開になっている。
釜尾の台地上の集落に入ると右側に菅原神社(写真2参照)が鎮座する。
釜尾古墳(写真3・4参照)の標柱は溝の中ある。その溝は神社の前まで続いている。素人推理で間違っていたらご容赦願いたいのだが、周溝の跡か。もしかして、釜尾古墳は前方後円墳で、神社境内は前方部だったか。同じ双脚輪状文がある横山古墳は前方後円墳であるところから推理した。
説明板(写真5・6参照)には、「肥後国志によると古墳は、明和六年(1769年)春に発見された。円墳の内部に安山岩の割石を平積みに持ち送り式に築いた横穴式石室を設け、その奥行、幅とも3.3m高さ約3.9mを有する。
石室の周囲は下段を白、中断を赤、上段を白にぬりわけ、正面に不ぞろいな石材で石屋形をつくる。
石屋形の天井や壁には、赤白青の三色で三角形や歯車型、同心円とともに双脚輪状文とよばれる花びら形のめずらしい文様をえがく、また通路の天井や、石門にも三角形文様がわずかに残る。
その築造年代は六世紀頃といわれ考古学上、美術史上貴重な例である。」とある。
霊園駐車場の縁にある紅枝垂れ梅(写真7参照)も開き始めている。
道左側の栗園の奥に古墳らしい塚(写真8参照)がある。天福寺裏山古墳群の中の一つと思う。
イノシシ除けの柵に絡みつくサネカズラ(ビナンカズラ)の実(写真9参照)が固まって生っている。色は、晩秋の頃よりくすんでいるがまだ健在である。周回路の半ば過ぎか、金峰山林道(天福寺側)を下り帰路を急ぐ。
今日も無事だったことを天に感謝する。
総所要時間2(実2)時間歩行した標高差約100m(ウォーキングの記事は1万歩以上)
釜尾古墳
2015/11/5(木) 曇
天候は曇。今日は午前中限定のポタリング。近場の熊本市北区釜尾町釜尾古墳(写真1参照)、同植木町石川山古墳群、合志市二子山石器製作跡・古墳群を探訪する。
午前9時出発。
解説板(写真2参照)を読む。江戸時代(1779年)の発見とある。
特徴は、装飾古墳のなかでも双脚輪状文があること。
この文様を持つ古墳は、現在のところここ熊本市釜尾古墳、熊本市植木町横山古墳、福岡県広川町弘化谷古墳、桂川町王塚古墳の4箇所のようだ。
この文様について、呪術的意味合い文様か?副葬品の不足分を絵画にしたものか?全国に拡散進出した一族の家紋か?古墳を築造した技術者集団のロゴマークか?
ロゴマークの可能性として、後の時代の建築物の棟木、仏像の内部等に制作者名を記した多くの例がある等を考えた。
緻密な石積み上げ技術彩色等から、古墳時代を支えた技術者集団がいたと考える。
映画「テルマエロマエ」を思い出した。それにしても謎の多い文様である。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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