亀尾城跡
2014/12/10(水) 晴/曇のち小雨
今日は、午前中は晴だったのでポタリングに出た。
午前10時半出発、目的地は決めずに熊鹿ロードを北へ走る。
熊鹿ロード中間地点過ぎ、高速道路を潜ると植木町今藤の玄播塚古墳が見える。
この古墳を遠目に見て、高熊古墳を観ていないことを思い出し、探したいと思う。
取敢えず古墳が在りそうな台地に上り、走っているうちに七城町工場団地の所まで来てしまった。
食肉工場らしく、豚や牛を乗せたトラックが数台止まっている。
思わず昨日食した生姜焼き弁当を思い出し、かわいそうな気持ちと申し訳ない気持ちで「ナムアミダブツ」と念じる。
古墳は観ないまま台地を下る。平地を道の駅「メロンドーム」まで走り、ここで昼食とする。
ここから帰宅するには若干走り足りない気がするので、菊池市内を散策してみようと中心市街地に向かう。
が、目ぼしい施設もないようなので菊池神社(写真1参照)に立ち寄る。
銀杏の黄葉が少し残っているが、紅葉は終盤である。
菊池神社は菊池本城跡に明治3年に造営され、明治11年に別格官幣社になったそうだ。
菊池神社を後にして再び七城町に戻ると、「亀尾城跡」の標識が目に入り、立ち寄ることにする。
「亀尾城跡」は花房台地の北の端にあり、麓には湧水池があるらしい。
が、池には気づかず自転車を担ぎ、標高差30mほどの整備された石段を登る。
城址は公園化されていて、広場の奥に解説板(写真2参照)がある。
その後ろに解説板にいうところの「丸尾城跡」が見える。
早速登ってみると、これは前方後円墳ではないか?と思う。(写真3は前方部から後円部を観る)。
塚頂から見える景色も他の古墳と同じように高台の端で平野部の水田が一望できる。
南側に下りて観ると、この形(写真4参照)は、手前が後円部で先が前方部であると思う。
今川了峻の2万の兵が集結する陣地にあって、30~50mほどの丘を本丸とするにはあまりに規模が小さ過ぎる。
鉄砲がない時代であっても、この規模では飛んでくる弓矢は防ぎようがないと思う。
だだし、菊池川流域平野を挟んで対峙する台(うてな)台地上の菊池軍を観察する物見台としては最適地かと想う。
屋形跡という神社内に建つ「猿田彦大神」の大きな石碑(写真5参照)は、直感で古墳石室部材の一部ではないかと思うが、確信はない。
二つに割ろうとしたのか、中央に楔穴が見える。
亀尾城跡(前方後円墳?)の場所:(マップファン地図)
雲が厚くなって太陽が見えないので取敢えず南と思う方向に走ると、道の駅「泗水」の近くの国道387に出た。
「泗水」に寄って柿を買い、植木町経由で帰路に着く。甘くて美味しい柿だった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)33km2h→菊池神社35km2.5h→熊本(自宅)所要時間7時間(実4.5時間) 総計68km 走行累計8,961km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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