川尻古城神社
2024/5/4(土)晴/曇
最高気温28°曇天の蒸し暑い日で出かけるのを躊躇っていたが、午後15時から3時間限定のポタリングに出る。目的地は、西南戦争遺跡がある川尻の延寿寺とする。
途中、川尻小学校前を通る。その川向う側に古城神社(写真1・2参照)が鎮座する。
鳥居横の標柱の説明文には、「今から約八百年前、河尻三郎源実明からこの地に城を築き、川尻と周辺地域を治めました。河尻家は、鎌倉時代から室町時代にかけて約二百二十年間、川尻港を利用した交易などで地域の発展に貢献しました。藩主の休泊施設「川尻御茶屋」で隠居していた熊本藩八代目の藩主細川斉茲(なりしげ)は、河尻家の功績をたたえ、文化十三年(1816)に歴代の河尻城主を祀る神社を建立し、藩の費用で祭事を行いました。明治以降は、「古城神社」として川尻町で管理し祭事を引継いでいます。」とある。
鳥居の背中側に公園(写真3・4参照)があるので立ち寄ってみた。「町奉行所と御茶屋跡」とある。
標柱の説明文には、「この川尻公園一帯は、鎌倉時代から室町時代にかけて、川尻と周辺集落を治めていた地頭職河尻家の館(やかた)「河尻城」があったといわれています。この地には江戸時代から明治維新のころまで、年貢米の集積・搬出地として栄えていた川尻の治安を守る「川尻町奉行所」と、殿様が領内巡視などの際に休憩や宿泊される「御茶屋」が置かれていました。」とある。
ここを後にして、延寿寺に向かう。
川尻町古城神社
2018/9/18(火) 晴
熊本市郷土歴史研究家「勇智之」氏は、著書「人あり熊本城物語」のなかで川尻町に於ける薩軍本営は「泰養寺」であるとし、熊本市が指定している場所は間違いとしている。
そこで現地を見て、私なりに感じるものがないか訪ねてみることにした。午後からではあったが、所用を一件済ませ川尻町に向かう。
川尻町旧国道を走り、ちょっと風情がありそうな道があったので左に折れてみた。
風情ある掘割がある。
そこから更に左折して行くと、掘割の向こうに神社(写真1参照)が見えた。
古城神社(写真2参照)とある。
肥後の豪族の一人河尻氏の館跡のようだ。
お手水の踏み台に馬門石(写真3参照)が使われている。
走潟町の河尻神社の拝殿入口にも、馬門石が使われている。
脇に古城神社由緒書(写真4参照)がある。
風雪による劣化でよく読み取れないが、概略は分かる。
「河尻氏は、鎌倉から室町時代まで330年間地域の発展に貢献してきた。
時は移り、江戸時代細川氏は河尻氏の功績を讃え、神社を建立し歴代当主を祀り、藩費で祭事を行った。」と読める。
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自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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