2019/9/4(水) 晴/雨気温32°予想の真夏日に、午前10時半からポタイングに出る。
ルートを結果から記すと、県道31→七本官軍墓地→木葉有栖川宮督戦の地、→木葉官軍本営跡→二俣台地→横平山戦跡→県道113→県道31と周回してきた。
官軍墓地を後にして、玉東町木葉地区まで走る。
町役場横から木葉山方向に進む(写真8参照)。
西南戦争官軍総督有栖川宮督戦の地の碑(写真9参照)がある。
公園内には、「田原坂激戦之図」の錦絵(写真10参照)がある。
展望所からは、田原坂、二俣台地、横平山、半高山、三の岳、二の岳がよく見える(写真11参照)。
足元の説明盤(写真12参照)は、中世はこの地が宇都宮氏の城跡であったと記す。
ここから少し東の上木葉公民館に移動する。
そこに官軍本営跡の碑(写真13参照)がある。
官軍は、この地区の豪農高田家(写真14参照)を本営にしたとある。
敷地内には、古井戸が残る(写真15参照)。井戸には「八大竜王」が祀られている。
「記紀」の神代の話に出てくるような?剣に蛇が巻き付いているご神体だった。
西南戦争木葉
2018/4/7(土) 曇
天候曇り、降水確率30%、行き先は玉名市疋野神社と短めに設定して午前11過ぎ出発。
玉東町に入った所で昼食とするが、店を出た所で小雨が降りだした。
少し走っては雨宿り、を繰り返し木葉駅まで来た。
駅頭に西南戦争史跡の案内板があり、錦絵(写真1参照)も掲示してある。
池上四郎、別府新助、村田三助、西郷小平、前原、永山弥一郎、桐野利秋らの薩軍各大隊長の名が見える。
洋装の官軍に対して、和装の薩軍。その中にあって桐野利秋のみが洋装をしている。この人が元陸軍であったことの史実の反映か。
「前原一格は、人以て前原一誠(萩の乱で斬首)の弟となせるもの冷泉増太郎である」(西南記傳):yahoo知恵袋より
高月官軍墓地(国指定史跡)
2017/12/25(月) 晴
田原坂を下り、豊岡橋から国道208を玉東町へ走る。
町役場手前から斜め左方向へ旧道を走ると高月官軍墓地(写真1参照)がある。
説明板(写真2参照)には、
「官軍墓地は県内21箇所にあり、この墓地には980人(錦絵の説明文では983人)970基を数え、その大半が西南戦争最大の激戦地田原坂、吉次峠、二俣および横平山の戦闘で戦死した・・」とある。
ここにも錦絵(写真3参照)が掲示してある。
薩軍に「桐野利秋」の名が、官軍に「野津少将、三好少将、三浦少将」の名が見える。
堀切りの道を、俵を積んで道をふさぎ、上部に薩軍が、下部から官軍が攻撃するその戦闘の様子は、田原坂の戦いを描いたものと想像する。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
最新の画像もっと見る
最近の「熊本の近代史跡・文化財」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 熊本から山と自転車のブログ索引(22)
- 残しておきたい自転車日記(107)
- 自転車で行った低山登山(26)
- ウォーキング(86)
- 北本妙寺林道周辺トレッキング(50)
- 日帰り登山・ハイキング(40)
- 公園・歴史公園・資料館・博物館(68)
- 熊本の湧水・名水(39)
- 熊本の名勝・天然記念物(53)
- 熊本の近代史跡・文化財(74)
- 肥後国(熊本)の石橋(40)
- 六地蔵・放牛石仏(地蔵)(81)
- 肥後国の近世史跡・文化財(67)
- 加藤清正遺跡等(56)
- 肥後国の中世史跡・文化財(83)
- 肥後国(熊本)の仏閣(41)
- 肥後国(熊本)の神社(94)
- 肥後国の古代史跡・文化財(47)
- 肥後国の古墳(144)
バックナンバー
人気記事