川尻古城神社・中無田閘門
2024/10/8(火)曇
最高気温24°と気温は下がったが、曇天模様天候で湿度が高いのか蒸し暑い日に、熊本市南区川尻の中無田閘門を目的地として、午前9時前からポタリングに出かける。時間予報では、午後からの雨予報に、正午に帰宅する予定とする。
熊鹿ロードを南進し新幹線側道から石塘を通り、白川橋を渡る。JR豊肥線先の十禅寺日吉神社から白川左岸堤防を下り、新幹線側道を南進し川尻町に到着する。川尻小学校の南側の堀の向うに古城神社(写真1参照)が鎮座する。堀に水あればもっと見栄えがするのだが、稲刈りの時期で水は底を僅かに流れる程度。
神社前を通り、南側の「川尻蔵前通り」(写真2参照)に出る。
この表示板の隣に「上田休と町奉行所跡」の説明板(写真3参照)がある。説明文には、「上田休は、天保元年(1830)細川家の家臣上田家の嫡男として、現在の熊本市中央区桜町付近で生まれました。
藩校「時習館」で英才の誉れ高かった上田は、元治元年(1864)京都留守居役に任命され、折り合いの悪かった幕府と朝廷の関係修復に努めました。その後、川尻町奉行となり、誠実・公平を旨として住民から信頼され、川尻の繁栄に尽くしました。明治維新後、玉名郡代とまりましたが、学校党と実学党の確執の中で野に下りました。
明治十年(1977)西南戦争の時、薩軍が川尻に本営を置きます。上田は、住民の困窮を見かね、鎮撫隊を結成して治安維持に努めました。その際、官軍・薩軍のどちらにも属せず、局外中立に徹し、住民を守りました。しかし、この局外中立という考えは、理解されず薩軍に味方したという罪を着せられて官軍により死刑に処されました。
この辺りは、川尻町奉行所のあったところですが、上田休の名は、今日でも救世主として多くの人々に語り継がれています。」とある。
軒先に大きな杉玉(写真4参照)が下がる慶應三年創業の酒蔵。清酒(日本酒)、赤酒、焼酎、発酵調味料などを製造販売するという。
風情ある通りを東方向に走って、右折して加勢川を渡り、加勢川左岸堤防(写真5参照)を右折する。
堤防土手下に白い彼岸花(写真6参照)が咲く。
中無田閘門(写真7参照)を観る。熊本市ホームページには、「昭和初期の大改修で加勢川の下流の六間堰が拡張整備され、航路がふさがれるので、川尻の船の行き来は緑川を経由することとなった。そこで、水位差のある緑川と加勢川を船がスムーズに航行できるように造られたのが中無田閘門である。2つの木製ゲートによって水量を調整することで、船は緑川と加勢川を安全に行き来することができる。現在も漁をする船などが利用している現役の閘門だ。」とある。その後、六間堰を廻って帰ることも考えたが、工事用のダンプトラックが往来しているので、ここを折り返し点として往路を引き返すことにする。
帰路の途中、新幹線高架橋下に鮮やかなピンクの綿の花(写真8参照)を観る。
12時に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)16km→中無田閘門17km→熊本(自宅)
総所要時間3時間(実3時間) 総計33km 走行累計60,187km