2019/5/16(木) 晴
今日は、30°予報、午前9時から久しぶりに100km超えのポタリングに出る。
JR新幹線線路沿い側道を、川尻町から国道3を南下し、宇城市不知火町から県道338を一路球磨川堤防まで南下する。
最後は橋を渡らず、堤防手前の道路を右折して右手に見える小丘陵(写真1参照)を目指す。
写真左の山が大鼠蔵山、右が小鼠蔵山。
小鼠蔵山の麓の集落まで来ると、屋敷の前に祠(写真2参照)があった。
数十メートル移動すると、屋敷神として「水天宮」(写真3参照)が祀ってある。
その先に「小鼠蔵古墳群」(写真4参照)の標柱がある。
山頂に古墳があるとある。山を一周したが登れそうな所は見えなかったので、古墳拝観は諦めた。
この標柱から左折して大鼠蔵山方向に進むと、麓の集落に「水神」「荒神」(写真5参照)が屋敷神として祀ってある。
いずれも元古墳、元石棺のあった場所と推測する。
その道の正面に「熊本県指定史跡大鼠蔵古墳群」の石碑と、「加藤神社」の鳥居(写真6参照)がある。
中腹まで石段を上ると二の鳥居があり、正面に拝殿(写真7参照)が見える。
加藤神社の左側に「高嶋稲荷大明神」(写真8参照)が鎮座する。
神社右側に掃き清められた道があるので辿ってみると、「権現神社」(写真9参照)あった。
神殿は無く、祠(写真10参照)がある。
高嶋稲荷も権現社も地形からは元古墳と思われる。
更にその右側を進むと赤いトタン屋根(写真11参照)が見えた。
楠木山古墳のようだ。
南側が正面(写真12参照)になっている。
中が覗けるので、肉眼では見えないが写真を撮ってみた(写真13参照)
竪穴式古墳を発掘調査し、埋め戻さないで上屋を設置したようだ。
更に道を辿ると、社(写真14参照)がある。
手前の青い屋根が尾張宮古墳のようだ。
尾張宮古墳の石碑と神殿(写真15参照)
拝殿(写真16参照)は、赤い屋根。古墳をご神体とする並びになっている。
大鼠蔵古墳群の説明板(写真17参照)
拝殿右手前に「尾張宮」の由来書(写真18参照)がある。
写真にすると掘り込み文字の色落ち部分が読めない。
概略は、記憶してきたつもりであったが、文字に起こそうとすると文脈が支離滅裂で記するに値しない。
が、記憶の限りで記すれば「戦で敗れた武将が逃れて来た・・・平癒しない・・・唐津カラスが水島のご〇水を喰えてきて、その水で平癒した・・・平癒に至るまで魚貝類と好物の白餅を食した・・・
明治になって、開墾のとき石棺が出土した・・・婦人にお告げがあり、我は尾張の国の住人尾張大納言なるもの・・・お告げに従い尾張宮の社を建立した・・・」
尾張宮を南側に辿ると球磨川河口(写真19参照)が見えて、その先は鉄製の階段になっていた。
歩いて西側に廻った大鼠蔵山(写真20参照)大鼠蔵古墳群の場所:(マップファン地図)
帰路は球磨川堤防道路(写真21参照)を東に辿り、国道3を北上して帰路に就く。
往路の県道338は歩道が全くなく怖い思いをしたが、復路は歩道があるので往路よりストレスは少なく走れた。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)50km→大鼠蔵古墳群52km→熊本(自宅)
所要時間9時間(実7.5時間) 総計102km 走行累計28,416km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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