2020/2/13(木) 晴
那知熊野座神社を後にして、田原坂攻撃官軍第一陣地跡(写真1参照)に到着した。
ここは、国道208沿いの熊本市植木町と玉名郡玉東町の境に位置する。
ここから、田原坂一の坂、二の坂、三の坂を登って、西南戦争往事の官軍兵になったつもりで歩いてみることにする。
当時の往還(写真2参照)は、滑川(地図名称は中谷川)に沿って延びている。
石造眼鏡橋としては、県内最古(亨和2年=1802年架設)といわれる豊岡橋(写真3参照)を渡る。
初期の眼鏡橋は、輪石と輪石を楔石で繋いでいる。
ここは標高25m地点、田原坂公園の標高が105m、その差80mを登る。
説明板(写真4参照)では、「・・・官軍は田原坂本道の丘の右翼及び左翼へこの川沿いの旧道を通り、本眼鏡橋を拠点に出撃して行った・・・」とある。
県道31から分岐して正面に延びるのが田原坂本道(写真5参照)
左手に一の坂駐車場があり、そこから先へ急坂が延びているのが一の坂(写真6参照)
一旦緩い坂があり、再び急坂となるのが二の坂(写真7参照)
その坂は、一の坂程には長くなく一旦平坦路となる。
そこの道左側に「西南の役戦没者慰霊碑(写真8参照)がある。
更にその横に「伍長谷村計介戦死の碑」(写真9参照)がある。
植木町が設置した「谷村計介の碑」(写真10参照)がある。
兄・祐光は薩軍に参加、1877年5月29日肥後人吉付近中神村の戦闘で戦死したという(ウィキペディアより)。兄弟、親族が敵味方に分かれて戦った戦争であった。
平坦路は再び坂になる。三の坂(写真11参照)という。
田原坂山頂は近い。
現在は、環境省九州自然歩道の一部(写真13参照)なっており、レクレーションの場所として整備されている。
本日はここまでとし、再び自転車に跨り帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→田原坂攻撃官軍第一陣地跡18km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実3.5時間) 総計35km 走行累計31,392km
田原坂古戦場跡(国指定史跡)
2017/12/25(月) 晴
西南戦争史跡探訪3回目。
行きは冷たい向かい風だが、昼からの晴天予報を期待してポタリングに出る。
向坂を後にして、田原坂公園(写真6参照)を通る。
田原坂を少し下った所に「谷村計介の碑」(写真7・8参照)がある。
坂を下りきった所に一の坂公園(写真9参照)がある。
坂は、緩急があり一の坂、二の坂、三の坂があり、三の坂を上りきった所に田原坂公園がある。
官軍は、ここ豊岡橋(写真10参照)を基点として田原坂に出陣したという。
この豊岡眼鏡橋は、肥後石橋群でも初期の頃の架設である。
この後玉東町の高月官軍墓地を経由して玉名市高瀬に向かう。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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