2021/4/18(日) 晴
今日は、9時半出発、気温13°最高気温予報も18°と気温も低め絶好のポタリング日和に、大牟田市の福岡県指定史跡黒崎観世音塚古墳を目的地にして北へ走る。
風が強いとの予報であったが、鯉のぼりを見たら垂れていたので躊躇なく走り出したが、これが大誤算。向かい風に平均巡航速度12km/h強と全行程56kmを4.5時間かかった。
帰路は追い風にスピードも上がり平均速度16km/h弱と3.5時間で帰宅出来た。
ルートは、熊鹿ロード→県道31→国道208→県道302→県道112→国道501→国道389と走る。今日は、日曜日でトラックも少なく、比較的快適に走ることが出来た。
寄り道したいところも沢山あったが、私の脚力では余裕もなく目的地の室崎公園(写真1参照)まで一気に走る。
この案内板と説明板は第1公園グラウンド側の古墳上り口にある。案内板上部の道路は国道389。
説明板(写真2参照)には「大牟田市の西北、甘木山の西端にあたる黒崎山は、かつては山裾まで潮が迫る岬であり、「筑後一の名勝」とも言われていた。山頂からは眼下の有明海をはさんで雲仙や多良や背振の山々、筑後平野を流れる矢部川も見渡すことができる。当地一帯は古墳の多いことでも知られており、特に「舟形石棺」が多数出土していることで有名である。
「黒崎観世音塚古墳」が発見されたのは平成六年のことである。全長100mにも及ぶ大規模な前方後円墳で、出土した埴輪から四世紀末の築造と判明した。古墳の規模は、墳長97m、後円部径72m、高さ10m、前方部27m、同幅36mである。この面には円筒埴輪と壺形埴輪が並べられていた。墳丘は盛土と地山整形によって構築され、場所によっては5mにも及ぶ盛土が行われていた。観音堂が祀られいる墳頂部には盗掘の跡も見られたが、割石を粘土でおおった主体分が確認された。この割石は熊本市西部の金峰山(三ノ岳)産のものと思われる。墳丘の裾には列石が廻り、斜面には当地で産出する結晶片岩を葺いており、往時は遠くからも輝く墳丘が見えたと思われる。「黒崎観世音塚古墳」は当時における有明海沿岸で最大の前方後円墳であり、有明海一帯を治めた盟主たる人物が眠る古墳であろう。
このほか、墳頂部からは経塚も三基発見された。十二世紀頃のもので、市内では岩本経塚に次いで二例目の経塚であり、当時の末法思想の広がりを示すものである。」とある。
前方部に祀られた石像群(写真3参照)
墳頂部に祀れた石塔群(写真4参照)
墳頂部に祀られた観音堂(写真5参照)
現在時刻14時半帰途に就く。帰宅は18時、今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)56km→黒崎観世音塚古墳55km→熊本(自宅)
所要時間8.5時間(実8時間) 総計111km 走行累計40,074km
2008/2/10に走り始めた自転車も、地球一周分40,000kmに到達した。(図1)
当初見積もりは、100km/週、5,000km/年として8年、10年もあれば出来るだろうと思っていたが、13年間余を要した。途中、生涯で地球2周分という願望を持ったこともあったが、そんなに容易くはなかった。
去年今年は、新型コロナのため仕事も無くなり、街中にも出かけられず、自転車走行の距離が延びている。当面50,000kmを目標に今後も走り続けたいと思う。
2014年からの月別走行グラフ(図1)
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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