蒲生(湯ノ口)溜池遠山神社・日岡山の伝説
2020/10/6(火) 快晴
降水確率0%快晴、最高気温27°、空は高く風は爽やかな絶好の自転車日和に、午前11時半から山鹿市御宇田方面を目的地にポタリングに出る。
お昼前の出発だったので、来民町まで来た時点で先ずは腹拵えをせねばと以前ご飯が美味しかった米問屋さんに寄ったところ、注文を聞いてから作るとのことで、たった一つのお弁当では申し訳ないので他のお店にいって普通のお弁当を買った。それを持って御宇田の神社か御堂を目指す。
お腹を満たしたところでgoogleを検索したところ、蒲生(湯ノ口)溜池(写真1参照)2kmと出たので向かうことにする。
地元出身という方に聞いたところによると、この池を「カモイケ」と呼んでいたとのこと。「加茂」に関係するのか。
池は、稲の収穫期で水はいらないのでほぼ空池になっていた。
堰堤上の駐車場(写真2参照)に車が1台、釣り人が一人と、ゆったりとした雰囲気が良い。
九州自然歩道の「日岡山の伝説」案内板(写真3参照)が、落下していた。
「昔々、菊花町に米原長者がいて、自分の五千町歩の田を一日で田植えすることが一番の自慢でした。ところがある年の田植えがなかなか終わらず夕日が傾きかけました。そこで長者は持っていた金の扇で太陽をあおいだところ、日は少しあと戻りました。長者はいらだって、日岡山に油をまいて燃え出させて明るくし、やっと田植えを終えることができました。その晩、山の残り火が長者の屋敷にとび何もかも焼けてしまい長者は滅んでしまいました。日岡山の頂には今も大きな草木が、はえないでいます。」とある。
「米原」は鞠智城跡があるところ。「米原長者」は「駄の原長者」との宝比べ伝説でも良くは云われない役回りの登場人物である。
堰堤の北側に遠山神社(写真4参照)がある。
遠山神社は、山鹿郡中村手永の惣庄屋兼代官遠山弥二兵衛が中心になって築造したことにより、没後神として祀られたものである。
社殿と左側には、昭和の堰堤改修工事記念碑(写真5参照)がある。
神社の謂れ書き(写真6参照)がある。
「遠山弥二兵衛と蒲生の溜池
肥後藩(細川藩)では江戸時代の265年間に60回の旱ばつが発生した。もともと蒲生と周辺の村は水が乏しく、田畑は干し上がり収穫は少なく最低の生活を強いられ、旱ばつともなれば惨状は目をおおうばかりであった。年貢米を納めるどころか救いの米を肥後藩からいただいて窮状を乗り越えていた。
山鹿郡中村に赴任して来た肥後藩の代官遠山弥二兵衛は、この惨状を救いたいと心を砕いた末、大溜池を築くことを村々の老若男女を招集して何度も相談しました。この中で、古来より大溜池を築く噂はあれど、貧しく資力もなく話だけで終えて来たと古老から聞く。その後、村民と協議重ねた結果、肥後藩公に許しを得て大事業に踏み切ったのは江戸末期の1855年、彼は32であった。しかし、容易なことではなかった。内田川の長谷川堰から溜池までが三千mの距離があり水路を作り、さらには三ヶ所マブ(トンネル)一千mを掘らねばならない。幸い水路が完成し水が溜まっても、堰の土手が水圧に耐え得るか大きな心配事でした。それでも常に心を痛めながらも彼も村民も官民一体の工事が続いた。彼が最も苦心したのは工事費で、貧しい村で調達するのは不可能で、今までの色々な寸志金(上納金)を藩から取り下げてもらい、人夫賃も払うことができた。行政力のある遠山弥二兵衛はいろいろな苦心を重ねながらもついに二か年の難工事を終えた。
長谷川堰からとうとうと流れこむ水を近郊近在の全村民が固唾をのんで溜め池の土手を見守った。「遠山夫妻は白装束で土手に正座した」。強大な水圧に耐え切れず決壊したら濁流と命を共にしようとしたのだ。遠山の命令一下、放水口の栓が抜かれた水は大渦を巻いてごうごうと唸りながら井手口に噴出し白蛇が踊るがごとく流れ始めた。歓声が山に谷にこだました。全ての者が息をつめて堤上の遠山夫妻を見つめ、みんなで泣いて夫婦を拝んだ。
井手口の三ヶ所は上吉田、蒲生、十三部方面の約五百haを潤い養っている。
遠山の恩沢に感激した村人は毎年四月四日を恒例祭として今も続いている。遠山弥二兵衛の余栄これに過ぎるものはあるまい。と同時に溜池成りて159年、今もその恩沢を偲んでいる蒲生区の人々の心情に触れるものである。」
山都町矢部の通潤橋も、惣庄屋布田保之助が中心になって築造している。
肥後の藩校は、「優秀な人材を育てるためには身分を問わない」としていた。庄屋見習い制度を導入し、人材育成を行った肥後藩の政策が結実したものと考えた。
江戸時代の施設の一部(写真7参照)を、昭和の改修記念碑の脇に設置してある。
内田川から引いた水路の一部に使われていた刳り抜きの石(写真8参照)
湯ノ口溜池(現蒲生池)の碑文(写真9参照)
現在時刻15時、帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)31km→蒲生池31km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計62km 走行累計35,535km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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