私の名前(苗字ではなく)は、ふた通りに読める。
こんな描き方も良いかな。
今ではこちらの方が普通の呼び方になっているのだが、昔はもう一方の読み方が一般的でよくそちらに間違えて呼ばれた。
学校で何度もそれを言わなければならなかった。
自分が嫌だと思っていたのに、次男にはもっと読み難い名前を付けてしまった。
どんなに学校で苦労したかと、今、ただただ申し訳なく思っている。
私が小学生の時、父はよく、読み方が一つでない名前はだめであり私の名前は失敗だと言っていた。
そんな事を言われたって困るしかないのだけれど父は神様みたいな存在だったから、ただ悲しく聞いていた。
名前が失敗だと言われると、人生まで失敗だと言われた気がする。
私にそう言った後で父は決まって私の上の姉の名前を言い、これは良い名前だ、と言うのが常だった。
5歳離れて産まれた弟に父は大層喜んだ。
名前を一生懸命に考えている姿を覚えている。
でも男の子は厳しく育てるものだと信じていたらしく、弟には父との楽しい思い出がないらしい。
母にはめっぽう優しくされただろうが、父に厳しくされたら面白くない。
結局、父も母も育った時代はそういうものだった、それが普通だった、という事なんだなぁと思う。
私が実家に戻って父が亡くなり母がまともに話せるようになったある日、初めて私の名前を付けたのが母だったと知った。
母から聞いたところによると、女の子が産まれてガッカリした父は私の名付けを母に任せたのだった。
母は、父の故郷の町と同じ音で、漢字ひと文字貰って私の名前とした。
そしてその時一緒に、私の上の姉の名前は父が付けたものだと母から聞かされた。
父の言葉に囚われていた私は自分の名前の漢字がずっと好きではなかった。
父が言っていた「失敗」の言葉がまとわりついているように思えていた。
でも母の話を聞いて、なあんだ、と思った。なあんだ、良い名前じゃないか。
父の言葉に囚われていた自分がバカだったと気がついた。
それ以来自分の名前が好きになった。
父は可能な限り公平に私たちを育てようとしてくれた。
私が産まれて父ががっかりしたと、かつて私に聞かせたのは母だった。父は私には決してそんなことは言わなかった。
こんな描き方も良いかな。
パソコンの画面を写しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます