★輪王寺 日光 栃木県
『輪王寺』の階段前です、このお寺さんはお寺やお堂、さらに15の支院の総称だそうです。
それを知らなかったので、この建物を『輪王寺』だとばかり思っていました。
そしてここと中禅寺湖の別院だけしか見ていません。次回は行ってきます。
『三仏堂』(大本堂)階段を上る前です、先ほどにも書きましたがこのお寺さんは複合建築体その中心がこの『大本堂』なのです、三体の仏様が納めるられているのでこの名前が付きました。ここは撮影禁止。
階段を上がったところ、目の前に巨大なお堂が広がり圧倒されます。
欧州とキリスト教は切っても切れない関係です、それよりは今は印象が薄いですが、日本と『仏教』との関係も深いものがあります。
仏教の伝来は諸説ありますが、552年という説が有力です、飛鳥時代ですね、この時『仏教』の受け入れを巡って『物部氏』と『曽我氏』が激烈な戦いを繰り広げます。
一旦は『物部氏』が有利になるのですが、『曽我氏』が巻き返して587年に『物部氏』を一部滅ぼします。
『仏教の受容』です、その後仏教は天皇に保護されます。
『勝道上人』が日光にお堂を定めたのは782年奈良時代末期といわれています、中央では『行基』が、天皇に認められて、『東大寺』に寄進などで奔走をしていたころですね。
僧が民の中に入り仏教を普及していくと同時に、様々な知識を伝播していくことが開始されたころです。
『勝道上人』はこの険しい日光山『男体山』で厳しい修行をしていたのだと思います。
画像は『相輪橖』この塔は寛永20(1643)年に三代将軍家光の命を受けて、『天海大僧正』が建てたものです、この大僧正は日光山の再建を担った、総合プロデューサーみたいな人です。