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欧州気まま旅+トキドキ国内旅行 The Travel of Europe

ルネサンス

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます、


ルネサンスとは何か






 最初にお断りをしておきます、私は研究者でも、芸術家でもありません、今回欧州気まま旅で『イタリア』を訪れ、いろいろなことを見聞きしました。

 そして旅の途中で、そして帰国してから少しづつ『ルネサンス』についていくつかの本を読み、ウエブサイトで調べられることは調べました。

 ですからこれから書くことは、素人の意見であり、様々読み合わせたものをまとめたものにすぎません。
 
 それでもあなたが、私のように『ルネサンス』初心者で、「さてどこから手を付けたものか」とかんがえておられるのであれば多少の手助けになりかもしれません。

★ルネサンス


 『ルネサンス』とは14世紀から16世紀にかけて、イタリアとりわけ『フィレンツェ』で始まった文化運動です。

 この『ルネサンス』という言葉は「再び誕生する」という意味のフランス語です。

何が再び誕生したのでしょう 


 それは、古典文化、ギリシア・ローマの再生だったのです、これ以前の中世ヨーロッパは『暗黒の時代』といわれ、専制君主とカソリック権力により、市民の生活が大幅に制限されていました。

 これに対して、『フィレンツェ』の文化人たちが、ギリシア・ローマの時代のように人間性溢れる文化を作ろうとしました。

なぜルネサンス・ムーブメントは起こったのでしょうか


 このころにイタリアでは様々な産業が起こっていました、とりわけ『毛織物産業』は、イタリア各地に巨大な富をもたらしました。

 とりわけ、『フィレンツェ』は同業者組合『アルテ』と『コンパーニア』がうまく機能し、15世紀には『毛織物産業』は大産業となりました。

 販路にはブリュージュ、ロンドン、ジュネーブ、リヨンなどに拡大していき、それに伴いそれぞれの都市の通貨を両替する金融業が起こってきました。




ルネサンスのムーブメント中心人物は 


 それは何といっても『メディチ家の人々』です、『メディチ家』は、先に述べたように産業の発展に伴い勃興してきた金融業を始め、急速に大きくなっていきました。
 教皇勢力をバックに据えたり『メディチ家』の家族を教皇にしてことも急速に発展する大きな要因でした。

  そのころの時代は、今の時代と異なり、文化、文芸、芸術で生計を立てる人はいませんでした。

 石工の工房、金属工作の工房、絵描き職人の工房がありそれぞれ親方のもとで働くワーカーさんだったのです。

 しかし、このころ富を蓄え富裕化した家族が、それぞれ大きな家を作り、豪華な内装を施し、たくさんの装飾品や絵画などを飾るようになりました。つまり工房の作品を買ってくれるパトロンだったわけです。

文化、文芸、芸術が発展したわけは 


 それは、美術品などを買う富裕層が、そのうちに自ら才能のある、文化、文芸、芸術に携わっているワーカーさんもしくは弟子たちを見出し庇護し育成するようになったのです。

 その代表が『メディチ家』の『老コジモ』、その孫の『ロレンツオ』です。

 『老コジモ』はプラトンの哲学に造詣が深く、『マルシリオ・フィチーノ』にプラトン前週、の翻訳をさせました、また、『ロレンツオ』は『ミケランジェロ』の才能を見出し、家族同様に庇護して大彫刻家になるまで育成しました。

 つまり、『マルシリオ・フィチーノ』や『ミケランジェロ』は彼らがいなければなの無い人で終わっており、私たちは、『ロンダニーニのピエタ』も『ダビデ像』も見ることはなかったわけです。

 
ルネサンスを代表する芸術家たち


 
ミケランジェロ 彫刻家  レオナルド・ダ・ビンチ マルチタレント 
ラファエロ 画家 ブルネレスキ 建築家


 
ボッティチエり 画家  ドナテルロ 彫刻家  マザッチョ 画家  
フラ・アンジェリコ 画家 
まだまだたくさんの芸術家がいます。

 明日からはあなたと『ウフイッツィ』 ここはすごい、芸術のアマゾンの密林かもしれない。
 
 

 

 
 

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