山根敦・死の真実を求めて。

敦は1996/2中旬、人の命を軽んじてきたパロマと産業寄りの行政と、無知な修理工によってCO中毒になり殺されました。

21回目の祥月命日

2017-02-28 19:49:39 | 
21年経ちました。
敦は21歳10ヶ月で、命を奪われました。
これからは生きていた歳月より長くなります。
その歳月が長いのか短いのか、私の中ではわかりません。

ただはっきり言えることは、敦は今の今でも私の中で息づいているということです。
このことは、息子GもRも同じだと思います。

私は敦のギターを弾く姿が一番好きです。
昔、敦が「ギターで生きていきたい」と言ったときは、かなり驚いて反対しましたのにね。

DR HEAD with GUITERIST ATSUSHI


これは、最も敦らしい弾き方のような気がします。
「僕は特定のバンドには所属しないよ。ギタリストとして単独でやっていきたい」と言っていました。
この画面を突き破って、抱きしめたい衝動に幾度も駆られました。


私が今敦にできることは


祥月命日にお膳を作ることくらいなのです。
今年で21回作ったことになります。
たったの21回です。
これからも、私が生きている限り作り続けます。


最後に、私の親友桃さんが詠んでくださった短歌と詩をご紹介して、二十二年忌の法要記事を終わります。

白い袖 揺らして弾(はじ)く 長い指 まさぐる音色 暁の夢

白いビショップ・スリーブがふわりと揺れてたあの日

歓声を浴びる彼のステキさ、カッコよさ

伏せたまつ毛の長さが...愛おしい



桃さん、心よりありがとうございます。
コメント (2)
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