10月27日、東京都美術館で展示中の
「田中一村」展を、見に行った。
代表作「アダンの海辺」
波の音が聞こえてくるような海。
それは、写実的で…
砂浜は、まるで、実際にいるように感じる。
おおらかに地面から伸びるアダンの生命力。
奄美での作品は、
洗練された筆の使い方、
まるで、日本画を卓越してデザインのようだ。
なぜ、奄美へ移住したのだろう?
一大決心だ。
記念撮影ができるところ
奄美でみた鳥、蝶、植物は、
田中一村氏の心を癒した。
当時は、奄美は、アメリカから返還されたばかりで、
未知の土地への憧れもあったかもしれない。
沖縄は、その頃は、アメリカ領土だったので、行くことができず…
きっと、沖縄、石垣島、行きたかったかな?
幼少の頃に描いた画は、
こんな絵、子供が描く⁉️
空間の取り方、筆のタッチ、見事だった。
田中一村氏って、
でも人物画は、ちょっと下手😅
バランスがよくない。
例えば、腕が短い、足の位置がちょっと変だった。
人物画も日々、デッサン、クロッキーを描くことが大切。
私は、デッサン、クロッキーは苦手だった。
高校がデザイン科だったけれど、
バイトしたお金で、油絵を習いに行っていた。
油絵も苦手で、先生は、デザイン向きだねって言ってくださった。
娘が、美大受験浪人中に小さな紙きれ、B5サイズ以下のスケッチブックで、
毎日、描いていたことを思い出す。
(3浪したから、上手くなるだろw)
幼少の頃から絵を描くことが大好きで、
小学校6年生の頃、自転車に乗って信号待ちしているときにでも
絵を描いていた。
中学校では、
娘が描いた絵をクラスの誰かにビリビリに破かれたこともあった。
そんな思い出あるよ。
私の過去をちょっとだけ…
デザイン科の高校に進学した。
デッサン、クロッキー、色彩、美術やデザインの基礎を覚えた。
高校3年生で、染織を習った。
たった一本の糸が布になっていく。
そして、タペストリーになる。
染織方面の勉強をしたかった。
家の事情で、美大受験は諦めた。
(美大の授業料、高い!)
専門学校へ行った。
染織関連への道は…
結婚したので諦めた。
織る前の過程、機織りするときの集中する時間、
とても好きだった。
あ、織りサンプルファイル、家のどこにあるのかな?
虫に食われてないかな?
でも染色画は、苦手。
極めなかったな💦
機織りするための糸染めも面倒だった💦
仕事では、下着などにあしらうレースのデザインを手がけた。
デザインと、染めの実験、試作など…
その後、広告デザイン会社に勤めた。
…で、結婚。
…で、今は、スーパーストアで働くおばちゃん。
そんな過去…😅
奄美に咲く植物たち
生命感あふれる作品。
田中一村氏は、
日々の写生を怠らなかった。
自分の作品に対して、若い頃から独学で、模索していたことがわかる。
ケイトウの花では、いろいろな描き方をしていた。
たくさんの作品があった。
描き方もどんどん極めていった。
また軍鶏も画の材料になったようで、よく描いていたのかと思われる。
写真に対して、一村氏の撮る写真もまたすごく上手。
構図が、上手い。
写真を撮って、作品のベースにしたのだろう。
奄美で、伝統工芸の大島紬の染工として働き、
稼いだ金は、高い高級な絵の具などを買い、
自身を追い詰めながらも描いた作品は、心に響く作品ばかりだった。
才能が、奄美で開花したんだね。
シュロ、ソテツ、おおらかに描いた葉っぱは、虫に喰われたところまで描いていた。
細やかなところまで、描き、
色の濃淡、背景、
奄美の浜辺に家屋…
陽が沈む神宿る時間の色の表現…
南国特有の色鮮やかな魚の線密な描写。
鳥や蝶、それらは、すべて生きているかの如くの描写。
都会的で、デザインのようだ。
葉の重なりの表現も見事。
東京都美術館「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」
いつの日か、奄美へ行きたい。
奄美の自然、気候、土地を肌で感じたい。
追伸
先日、10/27(日)の日曜美術館「奄美への道標 画家・田中一村」をみた。
解説していた人は…
「山口 晃」氏だった!!
これもまたびっくりした。
⬆️ ⬆️ ⬆️ 参考サイト
次は、モネ展を見たいと思う。
印象派は、大好き。
いつ行こうかな?
楽しみ😊
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11月1日(金)
11月2日から4日の二泊三日で台北に行ってくる。
旅行は、細やかな計画は立てない。
それもまた一つの楽しみだけどね…
旅行計画を立てるところから旅行が、
始まっているのだろう、きっとね♩
じゃあ、またねぇ👋😘