出会ったのは私が中学2年生の時。
同級生のお母さんでした。
それから15年ずっと家族で交流があり2人で歩いていると母親と間違われるくらいでした。
きっと前世母だったんだよと私の母がいうくらい。
有松絞りを始めた事もすごく応援してくれてずっと応援団だからね!といつも言ってくださりました。
ファッションショーや個展などどんな遠いところでも駆けつけてくださりました。
母とも仲良く話は尽きないほど。
姉の結婚式には親族席に座っていました。それはすごく自然な形で私達の家族の家族でした。
辛かったとき、励ましてくれたのはいつもその方でした。
頑張ろうよ。そばにいるよ。
最後に会ったのは撮影会のために借りたお着物を返した日。
彼女が自分の還暦祝いに買ったお着物で、姉の結婚式で着ていた絞りの総柄のお着物でした。
そのお着物を買った日も会いにきてくださりました。
自分の為に買ったばかりの高いお着物を快く貸してくださる人なんていないよ。
そう母に言われ、感謝の気持ちを胸にご挨拶に行った日。
「彩ちゃんに着てもらえてよかった」
そう言って笑ってくださりました。
テレビ出演の
その知らせのメールをしたのが最後で
「必ず見るね」その3日後。。。
突然、自ら命を絶ちました。
私は8日間の講習会で他県におり帰ることができずお葬式にも行けませんでした。
毎朝毎朝泣いて旦那さんを困らせました。
お腹には娘がおりました。
そして亡くなった日は
彼女のもうすぐ誕生日
ゴールデンウィーク。そして母の日。
4人の娘、息子が大人になりたくさんの孫に囲まれて、赤ちゃんは産まれたばかりでした。素敵なおばあちゃん。
亡くなるなんて信じられません。楽しいことがたくさん待っていたはずなのに
ずっとずっと考えているんです。
まだ彼女の死を受け入れられないまま
LINEも連絡先も消していません。
マスク生活になってから似たような人を見るたびにまだ生きているじゃないか、また会えるんじゃないかとよぎります。
たくさん話したいことがありました
子供ができたよ
藍染の藍ちゃんって言うんだよ
アトリエオープンしたよ
自分の名前が入った彩AyaIrodori だよ
素敵に染め上がったストール、一番にプレゼントしたいな
母と泣きながら話すときかあります。「会いたいね。なんでなんだろう。どうすれば彼女を救うことができたのか。。。」
あの時のお着物を譲ってほしいと連絡をしました。
最後に一番気に入っていた絞りの着物を数あるお着物の中から選び着せて火葬したと聞かされました。
製造元にも問い合わせしました。
今は同じデザインはないそう。制作期間は1年。海外製で3ケタを超えるお値段だそうです。
知り合いの方もなんとか見つけられないか探してくださりました。でも、
見つかりませんでした。
彼女の日記には私と過ごした時間、笑った事楽しかった事がたくさん書かれていたそうです。
たくさんたくさん応援内容が書いてあったそうです。
いつか
この柄を自分の手で絞れたらと思います。
このお着物を着て撮影した日は凛九結成の日でした。
彼女の分まで私は幸せに生きなければいけませんね。
このエピソードにはまだ続きがあります。
ふと携帯に保存された彼女の写真を見る時があります。
『ママなにしてるの?』
『ん?写真を見ているよ。藍ちゃんこの人知ってる?』
そう聞くと
『知ってるよ!会ったことがあるもん。藍ちゃんのおばあちゃんだよ』
3歳の娘の藍は2歳の時に彼女に会ったことがあると言いました。
娘が産まれた時にはすでに亡くなってしまっているのに。。。
とっても不思議な話です。