先生に会った瞬間、タイムスリップしたかのように記憶が蘇るんですよね。
先生に出会ったのは私が短大生だった18歳の時。3年次編入学を希望しており、高校生に向けに開催されたオープンキャンパス(大学見学会)に参加した事がきっかけでした。
道に迷い遅れて行った母と私に丁寧に学内を案内してくださった先生。
一つ一つ部屋の鍵をあけ、教室を見せてくださりました。とても好印象だった対応に絶対この大学にいくぞ!と母と決心した記憶があります。
大学の話を直接したのは学科長の安藤先生。
この大学に入って何をやりたいか先生に聞かれ、私は必死に伝えました。
「お母さん、私は何百人、何千人もの学生を見てきたけどこの子は大丈夫ですよ」
そう先生が言ってくださったのを今でも鮮明に覚えています。
それから受験をし、合格。
大学を2年間、大学院2年間の計4年間を過ごしました。
安藤先生からの誘いで大学職員として就職。
水嶋先生の元で助手として4年間を過ごしました。名古屋学芸大学ファッション造形学科で過ごしたのは計8年もの月日が流れていました。
震え上がるほど厳しかった安藤先生は誰もが恐れる存在で、耐え抜き頑張れたのは初対面の時に言ってくださったあの言葉です。
私が大学を退職して3年後、、
先生は研究室でたおられました。
あんなに強かった先生が、、、、
信じられません
先生は生まれ故郷の広島県に戻りゆっくりした時間を過ごされています。
コロナ禍面会は2年間許可されていないそうです。
また会いたいですね
先生に言われてショックだった事、泣いて泣いて思い悩んだ事もたくさんあるはずなのに、、、、先生が褒めてくれた言葉やいい思い出しか残っていないんです。
先生に言われた事が悔しくて頑張って走ってきました
先生に認められたくて走ってきました
振り返れば、、、引き上げて導いてくださった道を自分の足で歩み始めています。
先生と出会ったから私、、、、
絞り職人になりました。
当時は先生が厳しくて厳しくて辛かったけど絞り職人として一生の仕事に出会えたのは先生のおかげです。
感謝しかありません。
本当にありがとうございました。
私が今でも白衣を着て染色をする理由は多分私は安藤先生のように強い女性になりなかったからかもしれません。
白衣姿は先生のシンボルでした。
育ててくださった事を胸に頑張ります。