酔芙蓉
「白き芙蓉 あかき芙蓉と かさなりて 児のゆく空に 秋の雨ふる」
与謝野鉄幹が歌う 酔芙蓉の華麗な姿は、人目を集め
平安の世も時代を飾り、人を酔わせた。
鏡に向かう心の糸を酔芙蓉に絡めて
綺麗に舞え 今日と言うステージを
秋風の中に真白な肌を晒して
魅惑を広げる 酔芙蓉のように・・と呟く
眩しい光にピンクを装う芙蓉に魅かれて~
曳かれて ほの紅く染まる花を追いかける
芙蓉の慕情を映す花の群れは
夕闇と共に 真紅に衣替えする
魅惑は 我を酔わせて・・
切ないほどに燃焼し、
魔女のような演出を辿って見たい
花への思慕に駆られて
せめて紙面の上に・・・酔芙蓉の歴史を辿る
京都の大乗寺が1000本の酔芙蓉が群れて居ると言う
京都大乗寺は、代々檀家が少なく細々とつないできた尼寺
だったそうだ
昭和のはじめ頃、松崎恵浄と云う尼僧(私の先代)が本堂・
庫裡を改築し復興させたが 雨漏りや壁などが落ち、
當寺留守番として居た尼僧からの申し出に、本山の意向に
基づき、此の山科の現在地に移転したそうだ。
然し檀信徒が殆ど無いと云う状況から、若い僧侶を交替で入れ
るも 落ち着かず、前に本山の御貫首より廃寺にせぬ様
遺命を受け、遂に意を決し、四十年近く奉職した大本山本能寺
執事長の要職を辞して、後進に譲り、無住の當寺に移り住んだ
そうだ。
芙蓉の花が短命で、一日花のはかなさに諸行無常の教えを悟り、
蓮の花に仏教の縁を重ねての想いからかもしれないと・・・
大乗寺(だいじょうじ)は、三条通の日ノ岡から西へ入り、
急な坂を登った山の中腹に建つ。近年、本堂を囲むように
植えられた「酔芙蓉(すいふよう)の寺」として知られる
ようになったと・・・・
遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されて来た芙蓉の花。
酔芙蓉の苗木百本ほどの寄贈から毎年百数十鉢に挿し木して、
今日約千三百本を越えるまでになり「酔芙蓉の寺」と言われ
るようになったとか・・・・
「枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな」松尾芭蕉
「ゆめにみし 人のおとろへ 芙蓉咲く 」久保田万太郎