日々を綴る

短歌と写真を楽しむ

アネモネの孤独

2012-09-30 04:59:43 | 日記

 アネモネの花心

アネモネ モナリザは孤独の花だそうだ。

愛の渇きを満たしてくれそうなアネモネが意外な花言葉を
持って居た。誰がつけたか胸が熱くなる。

このか弱さに孤独の花言葉とは胸が張り裂けそうだ。

触れると崩れそうな優しさが溢れる花なのに。

このアネモネに人の生きる術が潜む言葉があるとは意味深だ。

誰よりも、誰かに頼りたさそうな 花なのに
花言葉が孤独とは胸打たれ、考えさせられた。

花は花なれ 花とて花の定めを生き抜くことだと思うが
その定めの道は孤独の道なのだと思う時、書くことの
意義を感じた。

愛を告白する時もアネモネの花を持つべきだ。
憧れの人に会うときもアネモネが良い。

温かい心を求めるならアネモネにして
あどけなさや微笑みを生み 愛を紡ぐならアネモネが良い。

愛に酔いたい。そんな時はアネモネだ。

真実を訴える詩や小説に心を寄せるなら
アネモネの心を添えよう、

人は甘い夢を観て淡い恋を持って居たら
恐ろしい孤独は来ないだろう。絶対孤独は逃げて行く。

アネモネが生涯アネモネであり、永遠にアネモネで
あるならアネモネの孤独の か弱さが強く頼もしく
感じた。

私が私であり続けるなら私のすべてがアネモネの花言葉に
通ずるのだ。

独特な個性を磨き、独特の文章スタイルを生み出す時
孤独に徹することだろう。

そこに豊かさも自信も自己満足の幸せも着いて来る筈だ。


孤独はひかる

どんな言葉も同じだが受身で言葉を使うとそれは
言葉に振り回されて、迷いを生じたり、要らぬ悩みに
落ち込むことがある。

振り回されるか、使うかで生きるスタイルも、プラス志向か
マイナス志向か決まる。

言葉は魔物だ。それと同時に言葉は命なのだ。財産なのだ。
宝なのだ。

こんなに大切な言葉を思いのままに投げ捨てり、攻撃したり、
汚れた衣を纏うのは、自分の命に泥を塗るようなものだ。

だが受身で使うのは誰もが望まないだろう。
感ずるままに言葉を使うのは危険だ。

咀嚼して、噛み砕いて、組み立てた言葉は、
命の花として空に飛ばしたいものだ。

創作は勿論一言一句計算されたフレーズだと思う。
振り回された基点で使ったら危険である。

ペンが命取りになる。
ペンに命を宿すなら孤独の基点からスタートすべきで
なかろうか。

里見八犬伝を思い起こして学びたいものだ。
言葉が剣である時が多い。ペンが剣に変わる。
怒ったままにペンを走らせるのは命取りだと思えて
ならない。

創作はペンを剣として表現する場だ。
その剣は危険な剣ではない。
愛が篭って居る剣でありたい。
宮本武蔵が言った。
人を殺すために剣術を磨くのではない。

「生き方と自分を磨くためだ。」と
大河ドラマを思い出す。

生かされて満足する人は誰一人居ないだろう。
感じたままは思い込みに陥る落とし穴だ。

孤独の使い方で世界が大きく変わる。
五感の迷いや、思い込みに落ちたら孤独は
四面楚歌の道を辿るようになる。

見えるものより、見えないものを深く推理して

組み変えるとき

孤独は独自性、個性に変わる大きな命の分岐点になるで
あろう。

使うと言う姿勢がはっきり確認したら言葉は
心の食べ物になる。

孤独の料理をしたいものだ。

もしマイナスの味になったら味付けの料理が
不味かったかもしれない
 
言葉は計算して使うのだとしみじみ思える年代になった。

野菜にも薬効があるが言葉にも薬効がある。

<章=孤独の素顔>

世界の哲学者や詩人の言葉にはこんな格言がある。

「孤独は、知恵の最善の乳母である。」(M・シュティルネル)

頷ける格言である。人は一人なのだと簡単に口では言えるが
判断も、決断も、選択も、自分がしなければならない運命の
中で生きて居るのだから~

自立とは孤独な世界なのだ。

「孤独は優れた精神の持ち主の運命である。」
(ショウペンハウエル)

繊細さも、削がれた感性のスタート地点も、
独自性も自立も、すべての基点が孤独の世界からスタートすると
知りながらも感激する格言だ。

一言一言を確認しながら世界の著名な哲学者の言葉を
噛み締めて見た。

「真実は疑いなく美しい。しかし、嘘もまた同様である。」
「ラルフ・ワルド・エマーソン」

繰り返し、噛み締める。創作には必要な条件である。
言葉の素肌に真実の魂が宿ると常に感じて居るから~

読み手に届くのはこの格言であろう。胸が熱くなった。

心が伝わる時それはネットであれ紙面であれ
その人の人間性が伝わってくる。

会わずとも、親しみと、愛を感じ文章に熱く恋をする瞬間だ。
小説や詩やエッセイは作者の人間性を読むのだ。

「最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。
人間は最高のものを決して共存しない。 幸福になろうとする人は
まず孤独であれ。」ハーマーリング

心が痛む思いで鑑賞した。否定しながらも心の隙間風が騒ぐ~

「一人で居る時は多くを意識しないから孤独ではない。
人を意識した時に起こる現象だ。」ある哲学者が言って居た。

自由を賢く使うことで孤独の世界が自分を切り拓くのだ
としみじみ思う。

「孤独であるとき、我々は物から滅ぼされることはない。
我々が物において滅ぶのは孤独を知らない時である。」

本当の心象表現を創作するなら孤独の世界で生まれる。

共鳴しながら心の奥に刻んだ。


自由の不自由

自由が良い
どうにでもなる。臨機応変な自由は時々使うものだと
心の隙間風の陰で思うことがある。

こんな日が何時までも続くと、孤独と手を組むようになる。
受身を否定しながら忍び込む孤独を追い払う時
自由ほど怖いものはない。

寂しさも、悲しみも不満も自由な時に忍び込み
心の習性に振り回される。

自由も孤独も何時までも居る場所ではない。
使う賢さが孤独を活かせる。

言葉の運用会社社長が自分であるなら賢い運営を
しなければと言い聞かせる時が多い。

心の隙間から風と一緒に押しかけて来る厄介な
寂しさや空しさは歌に使えば良い。

言葉を加工して組み換えて料理しなおして
バイオの新会社として心象に起こる言葉を命の生産に
使えることを夢見て書き続けて居る

言葉の薬効を発見する会社の社長が自分でありたい。


孤独の世界は自由があり。好きなことが出来る
魅力的な場所だ。
自分だけの世界の独特な一人の灯は孤独の世界に
燃えるものだと思う。


 


酔芙蓉に魅せられて

2012-09-18 08:34:49 | 日記

酔芙蓉

 

「白き芙蓉 あかき芙蓉と かさなりて 児のゆく空に 秋の雨ふる」

 

与謝野鉄幹が歌う 酔芙蓉の華麗な姿は、人目を集め

平安の世も時代を飾り、人を酔わせた。

 

 

鏡に向かう心の糸を酔芙蓉に絡めて

 

綺麗に舞え 今日と言うステージを

 

秋風の中に真白な肌を晒して

 

魅惑を広げる 酔芙蓉のように・・と呟く

 

眩しい光にピンクを装う芙蓉に魅かれて~

 

曳かれて ほの紅く染まる花を追いかける

 

芙蓉の慕情を映す花の群れは

 

夕闇と共に 真紅に衣替えする

 

魅惑は 我を酔わせて・・

 

切ないほどに燃焼し、

 

魔女のような演出を辿って見たい

 

花への思慕に駆られて

 

せめて紙面の上に・・・酔芙蓉の歴史を辿る

 

京都の大乗寺が1000本の酔芙蓉が群れて居ると言う

 

京都大乗寺は、代々檀家が少なく細々とつないできた尼寺

だったそうだ

 

昭和のはじめ頃、松崎恵浄と云う尼僧(私の先代)が本堂・

庫裡を改築し復興させたが 雨漏りや壁などが落ち、

當寺留守番として居た尼僧からの申し出に、本山の意向に

基づき、此の山科の現在地に移転したそうだ。

 

然し檀信徒が殆ど無いと云う状況から、若い僧侶を交替で入れ

るも 落ち着かず、前に本山の御貫首より廃寺にせぬ様 

遺命を受け、遂に意を決し、四十年近く奉職した大本山本能寺

執事長の要職を辞して、後進に譲り、無住の當寺に移り住んだ

そうだ。

 

芙蓉の花が短命で、一日花のはかなさに諸行無常の教えを悟り、

蓮の花に仏教の縁を重ねての想いからかもしれないと・・・

 

大乗寺(だいじょうじ)は、三条通の日ノ岡から西へ入り、

急な坂を登った山の中腹に建つ。近年、本堂を囲むように

植えられた「酔芙蓉(すいふよう)の寺」として知られる

ようになったと・・・・

 

遠く平安の頃から観賞され、人々に愛されて来た芙蓉の花。

 

酔芙蓉の苗木百本ほどの寄贈から毎年百数十鉢に挿し木して、

今日約千三百本を越えるまでになり「酔芙蓉の寺」と言われ

るようになったとか・・・・

 

「枝ぶりの 日ごとにかはる 芙蓉かな」松尾芭蕉

 

「ゆめにみし 人のおとろへ 芙蓉咲く 」久保田万太郎 

 


迷い道

2012-09-15 15:47:13 | 日記


匂い香れる 秋は閉ざされ
焦げ付く夏の陽射しが燃える

昨日も今日も
向日葵の首は重く垂れ

水射す知恵の術もなく

嘆きの夏は巻き上げる土埃をたて
花はそれでも咲いて居た

川は涸れ 流れは途絶えて吐息吐く
陽炎い立つ水のくねりに涸れた音が聞こえる

雨が欲しいと~

この世に生を受けて幾星霜
枯れ草に秋の道は見えず

聞こえて来る 微かな蟋蟀の叫びが

もう秋だよと

夕べ見上げた星も言う
夜空を照らす月も言った

ああ~ やっぱり秋だよと

迷い道 ああ 迷い道

秋を探して~


 


からたちの花は泣いた

2012-09-12 18:44:10 | 

からたちの花が泣いた

 

波間に果てた人、人、人に呼びかけよう

 

からたちの花の歌で呼んでみよう 

きっと聞こえるから

 

ヴァイオリンの音で呼びかけてみよう

 

一緒に歌う声が聞こえるだろう

瓦礫の中に埋もれて居る思い出の命を

奏でてみれば~

 

ひと筋の望みを賭けて~

 

そんな叫びにヴァイオリンを造った

熱い視線がテレビに流れた

 

噎び泣く朝の茶の間に

 

からたちの花の歌が流れる

 

帰って来て欲しいと

 

聞こえることを信じて

 

花もない。草もない 道もない 家もない

 

故郷もない 山もない

 

廃墟の悲しみは 山となり

野に晒された瓦礫が泣いた

 

 

きっと居る。きっと居るよと瓦礫の中を

彷徨い続けて1年半を

 

杖に届けと手探る足元に渚が騒ぐ

 

戸惑う人の視線は白波に迷う

 

何処かで呼んで居るのに探れないもどかしさ

 

何処なの? 何処なのと

見まわす視線に青さが沁みて

 

水平線をじっと見詰めて探す

 

愛する人を

 

無残な海辺に横たわる

 

柱と壁と窓の間から顔を覘かせる

人形の顔が叫んだ

 

瓦礫の山を捨てないでと

 

瓦礫じゃないの宝なの

 

そんな叫びが聞こえて来たと

 

 

からたちの花の歌が流れるヴァイオリンに

泣けて~泣けて止まらない

 

拾った瓦礫にヴァイオリンの命を生もうと

 

賭けた職人魂が永久に消えない楽器を生んだ

 

この世にデビューさせた想いは熱い

 

からたちの花は透き通った音色で

 

悲しく~悲しくメロデイーを奏でた。

 

海の呻きの悲しみが深い朝~

 

泣けた~止まらなく泣いた。