それは「身内の死」。
私は物心がついてから現在まで5人を見送りました。
急なお別れもあれば、数ヶ月の闘病生活の末の別れもありました。
伯父と母の場合は「がんの疑い」がかかったときから、現実が受け入れられず不安に怯えていました。
たぶん今を思うと…肉親を「失う」ことへの恐怖心と現実が受け入れられなかったと今では振り返ることが出来ます。
ですが…経験していても、別の身内が「命」に関わる大病を患ったり「死」に直面したとき、また震えが止まらずにショックを受けて現実を受け止めるまでに時間がかかることは間違いありません。
一番は、今まで生きて動いていた人が亡くなって、肉体が消滅して「遺骨」という形になることへの恐怖心もありました。
「避けては通れない」
職場の人にも言われましたが当時は受け入れることが出来ませんでした。
本当に避けては通れない道です。
それを受け入れるまでに、すごく時間がかかったのを思い出します。
(ただ「死ぬ」までの間にどれだけその人に尽くせるか?で気持ちの整理がつくこともあるのも事実でした。
私の場合は母の抗がん剤投与のための付き添いという形で行っていました。
その中で話をしたり一緒にいることといった、限られた範囲内のことのみでした。)
その後が辛かった…です。
本当の意味での死は、肉体が消滅して遺骨になることでは無くて、遺骨になってからあとのことで。
遺骨が法要後、お墓に「納骨」されて家から故人が居なくなったときに初めて「死」を実感しました。
身内もですが、人が(自分が)死ぬって…決して楽じゃない。
辛いけれど、それも避けられません。
ただ自分でも驚いたことがあって、母がお骨になって以降、私の目から涙が出なくなりました。
何でだか自分でもわからない。
その理由や答えがわからないまま、母親の納骨からちょうど1年が経とうとしています。
母が他界してから自分が他界するまでの間にしておきたいことが出来ました。
肉体から魂が抜けるまでの間にどれだけ仕事が出来て、どれだけ行きたい場所に行って、どれだけ楽しめるか?です。
あとは自分の葬式代を貯めることです。(私はおひとりさまのため、この世から去ったら葬式をあげてくれる人はいませんが、他界したあとのことを考えて…💦)
逆にそっちを考えた方が良くなって…。
この1年でだいぶ変わってしまったな、私。