オーバー・ザ・多摩リバー

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お悔やみ、

2008年11月08日 | 徒然なるままに
ジャーナリストの筑紫哲也さんが昨日死去された、
若いころに狭い雑居アパートに住んでいた、
隣の美大の方たちと朝日ジャーナルの編集長が替わり
「いい感じだよ!」なんて小生意気なこと言いながら、
その当時にしてみれば、お値段がちょいと高い朝日ジャーナルを買い、
皆で読みまわし、若さゆえの勝手な議論をしていた。

青年期の大事な思い出の一つです。

時がたちマイナーだと思っていた(勝手にですが)
筑紫さんがテレビに出るようになり、キャスターまで務め、見る人は見ているのだと実感した。

テレビの討論番組などでも筑紫さんのバランスのよい内容は、
よくある言いたい放題の番組とは一味二味も違う、
視聴者に明確に伝わる進め方は奥が深い、
まだまだ此れからもと思っていたが、残念です。


ある方が(よくテレビに出ている、一応ジャーナリスト)
お悔やみのコメントの中に、「彼とは一歳年下だが同年代として」
このたびは......っと!
メディアに喜ばれ確かに売れっ子ですが、この一言で器量の狭さが覗える、

同年代なら、一歳年下なんて云う必要はないと思う?
この一言に、傲慢な心を感じるのは私だけかな???


反対にこのようなお話も、権力の見張り番の一人が消えた感じだ、ニュースキャスターは個性を出さなければいけない一方、それが強すぎると独善的になる、筑紫さんは微妙なバランスを保ちながら「話し言葉のジャーナリズム」を確立した先駆者と、

筑紫さんを凝縮した素晴らしいコメントと感じました。

皆さんはどう思います?



御冥福をお祈り申し上げます。