昨日9月21日は、月に一度、
新丸子のMusic Bar The Throbで開催される
浅羽由紀さんのライブに参加してきました。
7月に初めて彼女のブログにたどり着き、
何度かのコメントのやり取りの後、
その月のライブに顔を出したのです。
そこで出会った2曲の歌。
「鎖-KUSARI-」そして「ほら、ここにいる」
この2つの曲を、この日僕は、いつもと違った気持ちで
聞くことになりました。
いつもはピアノ弾き語りの彼女が、今回はギター伴奏で
ボーカルのみで歌ったのも、サプライズでした。
その分、歌に気持ちが込められていて、
心にずしりと響き渡るようでした。
僕の105歳の祖母。
前日、最後のお見舞に行って来たのですが、
この祖母は、いろいろな意味で我が一族を、
鎖でがんじがらめにした人でした。
もちろん祖母ひとりのせいではありません。
祖母もまた鎖に巻かれ、鎖によって人生を
コントロールされてしまった一人なのでしょうから。
僕はこの鎖を断ち切りたいと思いました。
このbays家の鎖を断ち切らなければ、
次の世代の繁栄はないと思ったのです。
鎖の断ち切り方は、それぞれです。
やはり家の血を嫌っていたうちの従兄弟夫婦は、
「子供を生まない」という方法を選びました。
でも、それは違う。それじゃ、鎖どころか
全てが途絶えてしまうじゃないか。
僕は・・・
うちの奥さんを結婚相手に選びました(爆)
あえて自分とは正反対の個性。
まったく家風とは合わない女性。
(家風なんていうような名家でもなんでもありませんが)
言いたいことはハッキリ言い、
自分の主張は曲げない強い性格。
A型O型ばかりの家に飛び込んできた
B型の強烈なインパクト(笑)
確か3度目のデートが、
葉山でのウインドサーフィンだったんだけど、
そのとき彼女が持ってきたお弁当のおかずが
すごいインパクトあったんだ。
「セロリとタマネギとピーマンのマリネ」
肉じゃなきゃ食いモンじゃねぇ!っていうような
bays家の鎖を断ち切るには、この子しかいない!
と確信した瞬間でしたね。
最初は親父も戸惑っていたと思う。
だって、家で口答えするヤツなんて、
誰もいなかったもん。
でも僕が放ったらかしな分、うちの両親のフォローも
しっかりやってくれて、
今は仲良くコントロールしてくれています。
本当に感謝。
しかし僕との相性は相変わらず最悪なんだけど(笑)
でも、それを承知で選んだのですから、
しょうがないよね。
僕一代で鎖が完全に断ち切れるとは、思ってない。
うちの息子の世代が頑張って、僕の孫あたりで
きっとブレイクしてくれることを期待しているのですが。
浅羽由紀ちゃんの「鎖-KUSARI-」
うちの奥さんはまったく聞いたこともないのですが、
つい最近も
「あなたも鎖を断ち切らなきゃダメよ!」なんて
言っていましたけどね。
そして「ほら、ここにいる」
これは、子供を失った女性のための歌・・・
由紀さんは、そう言います。
そう聞くと、ちいさな命を失った母親、という
イメージでしょ。
でもこの日、僕は79歳の親父と105歳の祖母、
この二人の姿をこの歌にオーバーラップさせてしまいました。
祖母はもう何年も寝たきりで、自分が誰かもわからない状態。
動けもせず、見えもせず、聞こえもしない。
言葉も話せず、ただ生きているだけの状態でした。
もう誰もが諦め、お荷物に思っていた祖母。
そんな祖母を、それでも懸命に介護していた父。
8月には食事も取れなくなり、点滴だけになりました。
ある日うちの奥さんに親父から電話がかかってきて・・・
「棒付きのキャンディって、どこに売っている?」
何のことかと思ったら、点滴だけで栄養を取れない祖母に
すこしでもカロリー与えるために、キャンディ舐めさせよう
と考えたのだそうです。
「もしかしたらまた、食べることを思い出すかもしれない」
と、最後まで回復を諦めなかった。
そんな親父の姿を見ながら、まさに「ほら、ここにいる」
そのものだな、と思ったのです。
「ほら、おかあさん、僕はここにいるよ」
78歳の父の、祖母を思う心。
いくつになっても、子の親を思う心は、変わらないんだな。
この気持ちだけは、次の世代に、
しっかり残していかなきゃいけないね。
ということで、浅羽由紀さん、10月から
FMかわさきで番組を持つことが決定しました!イェイ!!
毎週火曜 15:00~16:00 一時間枠の生放送!
「浅羽由紀 Four-leaf clover♪」
しかし、1時間って、結構あるぞ!
大丈夫かなぁ。
皆さん、是非応援してくださいね。
ポッドキャストで無料配信もしますから、
川崎以外にお住まいの人でも、
PCで誰でも聞くことができるんです。
また、浅羽由紀ちゃんの情報は、彼女のブログ
浅羽由紀 Four-leaf clover♪
で、是非チェックしてください。
精力的にライブやストリートライブをこなしていますから、
こちらにも足を運んでくださいね!
祖母は2008年9月22日午前5時15分 永眠いたしました。
お声がけいただいた沢山のブロガーの皆さん、
ありがとうございました。
もう20年以上やってきていますから、
家庭での介護のプロみたいなもんです。
6年前までは実家も横浜だったので、
僕ら家族も近くに住んでいたし、
僕は実家の中にオフィスを構えていました。
実家が伊豆に移ってからは、
父と母二人で介護。
(途中まで手伝っていた叔母は、自分のほうが
介護必要になっちゃいまして・・・)
でもまぁ、のんきで楽しくホイホイホイ!
って感じで、おばあちゃんの世話を
してましたよ。
介護は大変なのではありません。
そういう生活を受け入れるかどうか。
人の心の問題だと思います。
あ、僕が両親の真似できるかは、
いざと言うときまでは、考えないように、と
思っています。
僕らはせいぜいお金を貯めて、
皆が安心して過ごせるようにしないとね。
80過ぎて耳がダメになり。
それでも自分のことは自分でやっていました。
マイナス思考の人でしたので、
毎日文句ばかり言っていました。
叔母が役所を定年になってからは、
祖母が時間かかっても一人で歩いていけた
トイレとお風呂を、手を引いて、連れて行って
しまったものですから、
すぐに一人では出来なくなってしまいました。
90過ぎに風邪を引いて入院したときに、
今まで1時間かかっても一人で食べさせていた
食事を、ヘルパーさんが介助してしまったので、
一人で食べることができなくなりました。
ベッドで1週間過ごしたので、歩けなくなりました。
その後痴呆が進み、子供に帰ってしまいました。
夜中でも『おっかさ~ん』と叫んでいました。
ここ5年くらいは、それもできなくなり、
ただ寝て、スプーンを口に持っていくと、
食事をするだけになっていました。
横浜の家を引き払って伊豆に引っ越してからは、
空気と水がいいからか、顔の色艶もよく、
こりゃいつまで生きるんだろう、と
皆で噂したものです。
だって、内臓にはどこも悪いところがないし、
床ずれひとつなかったのです。
祖母は姑としては、厳しくいつも母を
泣かせていました。
それでも母は、祖母の面倒を最期まで見続けました。
最後まで身体をさすり、声をかけ、
励ましながら、見取りました。
長生きしたって、これじゃぁね。
やはり元気で長生きしないといけません。
のんびりおおらかで、物事に動じない母。
僕もその血を受け継いだのかなぁ。
ストレス発散方法が食べることっていうのも、
そっくりですけどね(笑)
お父様 お母様も よく頑張られましたね
家での介護はとても大変だと聞きます
お父様の 諦めない姿に
私はどうなのか… って考えてしましました
「ほら、おかあさん、僕はここにいるよ」
思わす涙が…最近涙もろくって
お父様 お母様も元気で過ごされる事をお祈りします
また来ます
文読んでジンと来ました。お父様を大切になさってください。
きみのあたたかい心が
沁みこむ沁みこむ!
本当にありがとう!
人間を大きくするってことでしょうか・・
って・・何書いてるんだろ・・
(*;ω人)ゴメンナサイ
こちらこそ、いろいろ教えてくださいね。
そして「ほら、ここにいる」。
新境地を見たように思います。
是非、あつ君と一緒に豚雅で!
これから、益々充実した日々に
なると思いますが、自分の時間を
しっかり作って、浅羽由紀の世界を
耕してくださいね。
お話をしたかったのですが、他のイベント
を、2ケ月前より予定しておりましたので
残念ながら、伺えませんでした、機会は
まだまだありますのでbさんの豊かな・・
ウンチクを聞きたいと思います、ヨロシク。
★Gansan★
また私のことを記事にしてくださり、ラジオのお知らせまでいつも本当にありがとうございます!
bays_starさんから先はきっとかわって行きますよ。新たな連鎖を、愛情の連鎖が始まりますよ。
最期まで生き抜かれた方を私は心から尊敬します。おばあさまも、お父様も頑張られた方です。
明日、実家に向かいます。
天寿を全うされましたね。
肉親が欠ける辛さは人一倍分かる私です。
残されたご遺族の方の心中を察すると身を切られる思いです。
葬儀には参列されるのでしょう?
お気をつけて、いってらっしゃい。 合掌
悲しいというより、よかったね、です。
祖母も苦しみから逃れられ、
両親も鎖から解き放たれ、
悲しんでいるのはあの世で婆さんを迎える
爺さんだけじゃなかろうか。
baysさんの言われること。
それと。。。これまで一生懸命に
介護されてきたご両親が
気が抜けてしまわないかが
心配かな。。。