今日、大矢明彦監督が事実上の解任。
代わって湘南シーレックス監督の田代富雄氏が、
横浜ベイスターズの監督代行に就任しました。
湘南シーレックス進監督は高木のトッツァン。
田代監督代行の会見にて
力を出すには気持ちの面が大事。ずっと最下位だったし、
悔しさを爆発させるために闘争心、攻めるということ。
投手も野手も。攻めていけば迷いもなくなる。
結果を恐れず、攻めていくと、選手には強く言いたい
その通り。横浜の野球が情けないのは、
実力がありながら精神力で負けていくことに尽きる!
さて・・・話は田代氏の思い出へ・・・
僕はbays_starなんてハンドルネームをつけているが、
そのルーツはと言うと、高校時代に遡る。
法政二高に入学した当初、僕がどこのファンだったのか・・・
実は自分でも記憶が定かではないのである。
東京出身ということでは、やはり巨人?
確かに幼稚園の頃はオヤジに連れられて
よく後楽園で野球見ていた記憶があるが・・・
いやいや、小4から中2までは大阪で過ごしていたし、
毎朝、熱狂的阪神ファンである中村鋭一氏のラジオ番組
「おはようパーソナリティー中村鋭一です」を聞いて
朝食を摂っていた関係上、阪神ファンだったとも思えるぞ。
(事実今でも六甲おろしはフルコーラス歌えるし・・・)
でも、南海ホークスの歌も阪急ブレーブスの歌も歌えるが(笑)
西宮球場の記憶もあるな。
そんな僕を大洋ホエールズファンに育て上げたのが、
高校の映画研究部で1年先輩の、井上さんだ。
グッチ裕三そっくりな
この井上さんが熱烈な大洋ファン。
彼に連れられて学校帰りに通った川崎球場は・・・
井上さんの歌っていた歌。
♪巨人阪神満員で 大洋ヤクルトだれも来ないヨ♪
三塁側のヤジが、一塁側まで聞こえたくらい、
誰も入っていない球場でした。
当時のパ・リーグより閑散としていたな。
そんな大洋ホエールズ、その中で燦然と輝いていたのが、
背番号26 田代富雄だ!!
1977年、打率.302・本塁打35
1978年、僕が高校3年の時、横浜スタジアムがオープンし、
日テレでは柴田恭兵・藤竜也の大追跡がオンエアだ!
何で大追跡かっていうと、この番組のオープニングは、
延々と工事中の横浜スタジアムが映し出されていたから。
どうしてもこの時代のことを書くと、
このシーンが蘇ってくるんだよね。
で、何が言いたいのかと言うと、
僕は横浜ファンとか大洋ファンとか言う前に、
田代富雄ファンなのだということ。
ま、横浜大洋ホエールズでも、田代は確かに看板打者だったが、
やはり彼に似合うのは、湘南カラーのユニホームだなぁ。
あ、当時大洋ホエールズは、親会社が大洋漁業。
つまり屋号が「まるは」なわけで、
CIの挙句社名もマルハになっちまうくらい
まるはな会社なんですけどね、
そんなまるはな会社としては、
歴代のユニホームの袖口に、必ずまるはのマークが
燦然と輝いていたわけです。
これは巨人に行っちゃった鶴岡の復刻ユニホーム姿ですが、
せっかくのカッコイイユニホームが台無しですな。
そんな「まるは」な球団にあって・・・
唯一田代だけは・・・
袖口に・・・
これは小田原の人にしか解らないかもなぁ(爆)
で、この田代クン。
オバQだのアジの開きだのトラ(寅さん似)だの
散々なあだ名で呼ばれていましたが、
実は生粋の湘南ボーイ。
顔からは垢抜けない感じがするでしょ?
でもね・・・
'70年代の野球選手のファッションセンスと言えば、
ゴルフウェアにニットのスラックス、白い革靴。
乗っている車はクラウンかベンツ・・・
そんな時代に田代富雄は、ジーンズにポロシャツ、
スニーカーを履いて、車はカマロ!
実に湘南ボーイそのものなのですよ。
試合のない日に高校野球の応援に行ったりね、
根っから野球好き。
僕はそういう田代の大ファンだったな。
引退試合で満塁ホームラン打ったあとは、
茅ヶ崎でラーメン屋始めましてね、
ピンクと水色の横縞のお店(恥)。
その名も田代ラーメン(恥)。
しかも新湘南バイパスの側道沿いって、
そんなとこ、誰もわかんね~よ!!
僕は今の奥さんの実家の傍だったので、
よく店の前を通りましたけどね・・・。
あ、一度だけ入ったことある。
なんか味噌ラーメンというより、
味噌汁に麺が入ってるってイメージでしたっけ。
そんな田代ラーメンを、コーチ就任時に畳みまして
(あ、ピンクと水色の建物はまだ残ってますよ)
で、最近は湘南シーレックスの監督だったわけです。
今回、このタイミングが良いのか悪いのかわかんないけど、
ファンの期待を一身に浴びて監督代行に就任。
もちろん期待してるけど、
ダメだったときは、僕も潔く横浜ファンを辞める覚悟。
それくらい後がない就任なわけです。
しかし・・・
記者会見の、その髪型、何とかならんのか!?
去年だったら、横浜-阪神アホ面監督対決で、盛り上がったものを・・・
ホエールズの顔・・・
ホエホエ・・・
で、デカパン!?
とりあえず、ご就任おめでとうございます。
彼は、大洋ホエールズの顔、
というイメージがあります。
28年生まれが活躍するスポーツ界で、
彼は少数派の29年生まれではなかったかなあ…、
なーんて、思ってまんねんけど。
よくそこに気付いてくれました。
結構大変だったのです。
特にマルハはCI導入して、このマーク今使ってないからね~。