今日は幼稚園の父親参観日。
参観と言っても並んでうしろから授業を見るのではなく、子どもと一緒に工作をして「福笑い」を作りました。
作った後は一緒にそれで遊びました。
参観終了後、聖堂で父兄への講演会がありました。
「絵本の小部屋の会」を主宰されている桜井美佐子先生の「子どもが絵本と出会うとき」というお話でした。
おもしろかったのは「・・・「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でないと固く信じています・・・」
《「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン》の説明で、文字が読めない時間というのは人生の中でたった5、6年しかない。
その時にあえて文字や数字を読まそうと教えたりするのではなく、こどもが本能的に触ったり親との触れ合いができるチャンスである、というような話をされてました。
うーん・・・・逆説的なんやけど、なるほどと思わせられました。
「センス・オブ・ワンダー」買って読んだはずなんやけどなー。
ぜんぜん記憶にない。
確か自然はすばらしいという話やったような・・・。
参観と言っても並んでうしろから授業を見るのではなく、子どもと一緒に工作をして「福笑い」を作りました。
作った後は一緒にそれで遊びました。
参観終了後、聖堂で父兄への講演会がありました。
「絵本の小部屋の会」を主宰されている桜井美佐子先生の「子どもが絵本と出会うとき」というお話でした。
おもしろかったのは「・・・「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要でないと固く信じています・・・」
《「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン》の説明で、文字が読めない時間というのは人生の中でたった5、6年しかない。
その時にあえて文字や数字を読まそうと教えたりするのではなく、こどもが本能的に触ったり親との触れ合いができるチャンスである、というような話をされてました。
うーん・・・・逆説的なんやけど、なるほどと思わせられました。
「センス・オブ・ワンダー」買って読んだはずなんやけどなー。
ぜんぜん記憶にない。
確か自然はすばらしいという話やったような・・・。