深センと言えば、私が青春の0.5ページ分ぐらいを過ごした深セン大学があるところです!
香港返還前のまさに混沌とした時代、深セン大学にいた日本人は強烈な個性の持ち主が
多かった気がします。まあ、簡単に言ってしまえば留学しに来てるのに、中国語は
そんなに分からないよ僕たち、みたいな人達です。みんな5つぐらいの単語で
乗り切ってた感があります。
そんな皆さん、今では立派なお仕事をされてらっしゃる方ばかりですけどね。
さて、昔は子猫ぐらいの大きさのドブネズミが走りまわっていた深セン大学、
どうなっているか興味があります!住んでいた寮はまだあるんでしょうか!?
滞在中の羅湖区からは地下鉄かバスです。景色を見たかったのでバスをチョイスしました。
以前は、かろうじてシャツは着ているかなレベルの無頼の兄ちゃんが客を集めながら
走るおんぼろミニバスが主でした。しかし、今はもうそんな活きの良いミニバスは
ありません。空調完備だし、電子マネーで“ピッ”とお金を払っちゃうような
しゃれおつな大型バスになっておりました。だいたい熊本には“ピッ”とやるヤツ
もないですよぉ。
バスでは1時間ぐらいでしょうか。昔と同じような道を走っているはずなんですが、
景色が全然違います。南国らしく道路脇にはヤシの木なんかが整然と植えてあり、
中央分離帯は美しい芝生に南国のお花が咲き乱れております。
そんな中でも懐かしい風景がちょいちょい出てきます。
康佳の工場
世界の窓
民俗村・・・
そんぐらいかな?でも懐かしかった。
▼民俗村入口付近の道路
さて、いよいよ下車します。深セン大学正門近くでおりました。
昔、ピンク色だった正門前の通りは以前の面影なんか
これっぽちもありません。男性諸君が中国語を勉強していたあの青春の
場所(床屋)は残念ながら無くなっています。
とりあえず、正門から大学に入ってみました。正門から入ったのは
留学中にも数回あったかな?という感じなので、懐かしくこみ上げるものは
一切ありませんでしたけど。
▼現在の桃園ストリート
ああ、でも進んで行くと思いだしてきます!
そうそう!ライチの木やマンゴーの木はそのままあります!
実を取ると罰金〇〇元と書かれていたあの木たちです!
建物もそのままです。懐かしいなあ。
・・・と懐かしさに浸っていて油断していたら、後ろから音もなく
近づいて来た電気スクーターにひかれそうになりました。
そうです、いついかなる時でも油断してはいけません。
マタドールのような動きを常に意識しておく、これが中国で
事故に遭わない秘訣です。
相変わらず構内はおおよそ大学生ではない人達がたくさん往来しています。
どんな人達なんでしょうか?ちょっと気にはなりますが、その辺はスルーです。
そして昔住んでいた学生寮『潮汐楼』に辿り着きました!
おおおおおおーーーーーーーーーーーーーーー昔のまま。
▼潮汐楼
以前は無かったんですが、入口の階段前に植物を絡ませて作られたアーチ型の門みたいのが増えてます。
個人的にはこの南国で虫を集客するようなもんで、そんなもん要らないんじゃないかと
思ったんですが、見かけはしゃれおつです。ちょっとだけ中に入ってみました。不法侵入しちゃうと
厄介なので、踊り場のとこまでです。おおおおお、何も変わってない!
私たちの時でさえ、古く汚かったのにあれから20年近い月日が流れてもなお
変わっていないという潔さ。スゴイです。きっと今も部屋の中に蟻が行進したり
してんでしょうね。目の前で虫たちの食物連鎖を観察できる場所かもしれませんから
考えようによっては面白い場所です。
・・・と、昔をちょっと懐かしんでいる隙に来ました。スコールです。
懐かしさ吹き飛ぶ威力です。こっちの雨は強烈です、ほんと。
雨宿りを30分くらいしたでしょうか、小ぶりになったところで構内にカフェ
みないなものを見つけたので入りました。うわああ、ホットドックとか
ここでもしゃれおつな飲み物なんかがあります。深セン大学の学生さん達で
しょうか、青春真っ盛りの男女が楽しそうに会話しています。良い光景でした。
そんなこんなで正門から西門までちゃーっと通り抜けしただけですが、
とても懐かしかったです。そうそう、西門近くの裏で両替をしてくれていた肉屋とか
揚げマントウがおいしかった教工餐庁なんかは影も形もありませんでしたが、
西門の外にあったマクドナルドはありました。ちなみに私が住んでいたその隣の
愉康ビルも健在でした。
▼深セン大学正門
▼深セン大学西門とその周辺
▼愉康ビル
変わるものと変わらないもの。
私もずいぶん年を取った気がしました。
香港返還前のまさに混沌とした時代、深セン大学にいた日本人は強烈な個性の持ち主が
多かった気がします。まあ、簡単に言ってしまえば留学しに来てるのに、中国語は
そんなに分からないよ僕たち、みたいな人達です。みんな5つぐらいの単語で
乗り切ってた感があります。
そんな皆さん、今では立派なお仕事をされてらっしゃる方ばかりですけどね。
さて、昔は子猫ぐらいの大きさのドブネズミが走りまわっていた深セン大学、
どうなっているか興味があります!住んでいた寮はまだあるんでしょうか!?
滞在中の羅湖区からは地下鉄かバスです。景色を見たかったのでバスをチョイスしました。
以前は、かろうじてシャツは着ているかなレベルの無頼の兄ちゃんが客を集めながら
走るおんぼろミニバスが主でした。しかし、今はもうそんな活きの良いミニバスは
ありません。空調完備だし、電子マネーで“ピッ”とお金を払っちゃうような
しゃれおつな大型バスになっておりました。だいたい熊本には“ピッ”とやるヤツ
もないですよぉ。
バスでは1時間ぐらいでしょうか。昔と同じような道を走っているはずなんですが、
景色が全然違います。南国らしく道路脇にはヤシの木なんかが整然と植えてあり、
中央分離帯は美しい芝生に南国のお花が咲き乱れております。
そんな中でも懐かしい風景がちょいちょい出てきます。
康佳の工場
世界の窓
民俗村・・・
そんぐらいかな?でも懐かしかった。
▼民俗村入口付近の道路
さて、いよいよ下車します。深セン大学正門近くでおりました。
昔、ピンク色だった正門前の通りは以前の面影なんか
これっぽちもありません。男性諸君が中国語を勉強していたあの青春の
場所(床屋)は残念ながら無くなっています。
とりあえず、正門から大学に入ってみました。正門から入ったのは
留学中にも数回あったかな?という感じなので、懐かしくこみ上げるものは
一切ありませんでしたけど。
▼現在の桃園ストリート
ああ、でも進んで行くと思いだしてきます!
そうそう!ライチの木やマンゴーの木はそのままあります!
実を取ると罰金〇〇元と書かれていたあの木たちです!
建物もそのままです。懐かしいなあ。
・・・と懐かしさに浸っていて油断していたら、後ろから音もなく
近づいて来た電気スクーターにひかれそうになりました。
そうです、いついかなる時でも油断してはいけません。
マタドールのような動きを常に意識しておく、これが中国で
事故に遭わない秘訣です。
相変わらず構内はおおよそ大学生ではない人達がたくさん往来しています。
どんな人達なんでしょうか?ちょっと気にはなりますが、その辺はスルーです。
そして昔住んでいた学生寮『潮汐楼』に辿り着きました!
おおおおおおーーーーーーーーーーーーーーー昔のまま。
▼潮汐楼
以前は無かったんですが、入口の階段前に植物を絡ませて作られたアーチ型の門みたいのが増えてます。
個人的にはこの南国で虫を集客するようなもんで、そんなもん要らないんじゃないかと
思ったんですが、見かけはしゃれおつです。ちょっとだけ中に入ってみました。不法侵入しちゃうと
厄介なので、踊り場のとこまでです。おおおおお、何も変わってない!
私たちの時でさえ、古く汚かったのにあれから20年近い月日が流れてもなお
変わっていないという潔さ。スゴイです。きっと今も部屋の中に蟻が行進したり
してんでしょうね。目の前で虫たちの食物連鎖を観察できる場所かもしれませんから
考えようによっては面白い場所です。
・・・と、昔をちょっと懐かしんでいる隙に来ました。スコールです。
懐かしさ吹き飛ぶ威力です。こっちの雨は強烈です、ほんと。
雨宿りを30分くらいしたでしょうか、小ぶりになったところで構内にカフェ
みないなものを見つけたので入りました。うわああ、ホットドックとか
ここでもしゃれおつな飲み物なんかがあります。深セン大学の学生さん達で
しょうか、青春真っ盛りの男女が楽しそうに会話しています。良い光景でした。
そんなこんなで正門から西門までちゃーっと通り抜けしただけですが、
とても懐かしかったです。そうそう、西門近くの裏で両替をしてくれていた肉屋とか
揚げマントウがおいしかった教工餐庁なんかは影も形もありませんでしたが、
西門の外にあったマクドナルドはありました。ちなみに私が住んでいたその隣の
愉康ビルも健在でした。
▼深セン大学正門
▼深セン大学西門とその周辺
▼愉康ビル
変わるものと変わらないもの。
私もずいぶん年を取った気がしました。
ところで、いつ深センに留学してたんだっけ?
知らなかった。。いや、正しくは、知ってとけど忘れてた、かな(汗)
ところで、いつ深センに留学してたんだっけ?
知らなかった。。いや、正しくは、知ってとけど忘れてた、かな(汗)
ところで、いつ深センに留学してたんだっけ?
知らなかった。。いや、正しくは、知ってとけど忘れてた、かな(汗)
命がけで道路を渡っていたころだな~。
懐かしいです。
また行きたいな。