矢先稲荷神社 〈旧社格 村社〉 東京都台東区松が谷散歩
【住 所】 東京都台東区松が谷2-14-1 地図⇒Mapion
【御祭神】 倉稲魂命 福禄寿
【創 建】 寛永19年(1642年)
【由 緒】(境内の掲示を写す)
【歴 史】寛永19年(1642年)創建
昭和4年(1929)村社へ昇格。
昭和20年(1945)東京大空襲によって社殿を焼失。
昭和35年(1960)現在の社殿を再建。
昭和40年(1965)1960から約5年がかりで製作、奉納
【御神宝】 神殿の天井絵・馬乗絵百体(海老根駿堂画伯作)
神武天皇から昭和に至るまでの馬乗りの絵百体
【例大祭】 6月15日
【境内社】 福禄寿(浅草七福神)
矢先稲荷神社 令和4年11月26日撮影
鳥居 鳥井の神額は陶器製
社殿
参拝者がつぎつぎと
社殿前の神額
神輿庫 神楽殿(左)
手水舎
境内の掲示(由緒 「三十三間堂」の当時の絵と説明)
元禄十四年(1701)「三十三間堂」は深川に再建☞⇒more(深川三十三間堂跡モニュメント )
神楽殿に描かれた「三十三間堂」の絵(現在)
10年前の神楽殿には絵はなかった
10年前の社殿前の神額 (現在とは社名の周りの色合いが異なる)
10年前に拝見した天井絵
神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬
絵には描かれた騎乗している人の説明がある
矢先稲荷神社に参拝しました。10年前(2012年6月に参拝)に小野照先神社☞☞三島神社☞☞秋葉神社☞☞日枝神社☞☞矢先稲荷神社☞☞下谷神社というルートで初めて参拝しました。
その時に偶然居合わせた神社の関係者の方に社殿の馬の絵の案内をしていただいたことを覚えていました。中曽根元総理から寄贈された馬の置物も拝見しました。(今回は馬の天井絵の拝観は断念)
境内では、新たに神楽殿に「三十三間堂」の絵が描かれていました。
その時に偶然居合わせた神社の関係者の方に社殿の馬の絵の案内をしていただいたことを覚えていました。中曽根元総理から寄贈された馬の置物も拝見しました。(今回は馬の天井絵の拝観は断念)
境内では、新たに神楽殿に「三十三間堂」の絵が描かれていました。
【住 所】 東京都台東区松が谷2-14-1 地図⇒Mapion
【御祭神】 倉稲魂命 福禄寿
【創 建】 寛永19年(1642年)
【由 緒】(境内の掲示を写す)
当社は寛永19年(1642年)11月23日に三代将軍家光が、当地に浅草三十三間堂を建立した際、その堂の鎮守として稲荷神を祭ったのに始まると伝えられています。
社伝によると、その神像は、上野東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正の寄進であるといわれております。
浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。
社伝によると、その神像は、上野東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正の寄進であるといわれております。
浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、その社名も矢先稲荷神社と称されました。
【歴 史】寛永19年(1642年)創建
昭和4年(1929)村社へ昇格。
昭和20年(1945)東京大空襲によって社殿を焼失。
昭和35年(1960)現在の社殿を再建。
昭和40年(1965)1960から約5年がかりで製作、奉納
【御神宝】 神殿の天井絵・馬乗絵百体(海老根駿堂画伯作)
神武天皇から昭和に至るまでの馬乗りの絵百体
【例大祭】 6月15日
【境内社】 福禄寿(浅草七福神)
矢先稲荷神社 令和4年11月26日撮影
鳥居 鳥井の神額は陶器製
社殿
参拝者がつぎつぎと
社殿前の神額
神輿庫 神楽殿(左)
手水舎
境内の掲示(由緒 「三十三間堂」の当時の絵と説明)
元禄十四年(1701)「三十三間堂」は深川に再建☞⇒more(深川三十三間堂跡モニュメント )
神楽殿に描かれた「三十三間堂」の絵(現在)
10年前の神楽殿には絵はなかった
10年前の社殿前の神額 (現在とは社名の周りの色合いが異なる)
10年前に拝見した天井絵
神武天皇の御代から昭和にいたる日本馬乗史を描いた100枚の絵馬
絵には描かれた騎乗している人の説明がある
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