matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

悠久の古都、西安その2-玄奘三蔵と杜甫

2016-11-04 11:48:08 | 世界の都市(アジア)




 西安その2

 西安市街地に陝西歴史博物館はあり
ます。

広大な展覧室では先史時代から秦代、
漢代、隋唐代、宋・明・清代の文物が
陳列されています。



3000点あまりの文物は逸品揃い
です。





歴史博物館のほど近くに、大雁塔(慈
恩寺)があります。



高さ64mの塔の上にのぼると、西安
市内を一望することができます。

大雁塔は、玄奘がインドから持ち帰った
大量のサンスクリット語辞典や仏像など
を保存するために、652年建立されま
した。



玄奘(げんじょう、602-664年)
は、629年仏典の研究には原典に拠る
べきと考え、新しく成立した唐王朝に
出国の許可を求めます。

許可が下りず、国禁を犯して密かに
出国。

西域の商人らに混じって、天山南路の
途中から天山北路へ渡るルートを辿って
中央アジアの旅を続けます。

ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドに
至ります。

学問を修め、各地の仏跡を巡拝した後、
出国から16年後の645年に、657
部の経典を長安に持ち帰りました.

時の皇帝・太宗は国政に参加するよう求
めますが、これを断り、経典の翻訳に
余生の全てを捧げました。

亡くなるまでに経典全体の約3分の1
までしか翻訳を進めることはできません
でした。

玄奘は、17年間にわたる旅の記録を
「大唐西域記」として残しました。

元代に成立した小説「西遊記」は、
「大唐西域記」等を踏まえており、
玄奘は三蔵の名で登場します。



夕方、市中心部にある回民街(イスラム
通り)を散策しました。


唐の詩人杜甫(712-770年)は、
757年安史の乱で幽閉の最中に
「春望」を作りました。

 国破れて山河在り
 城春にして草木深し
 時に感じては花にも涙をそそぎ
 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
 烽火 三月に連なり
 家書 万金に抵る
 白頭 掻けば更に短く
 渾べて簪(しん)に勝えざらんと欲す

杜甫が国といっているのは、国の都長安
のことです。

玄宗皇帝は楊貴妃を見殺しにして、四川
に逃れ杜甫は家族と離れ反乱軍に捕われ
、陥落する長安にいました。

杜甫はその後脱出して成都へ行き、草堂
を建てます。

死の年洛陽を経由して長安に戻る途中、
客死します。

 雲は白く山は青くして万余里
 愁え看る 直北は是れ長安

杜甫の心は、なお破れた国都に向かって
いました。

杜甫の日本文学への影響は大きく、特に
松尾芭蕉は傾倒していました。

「奥の細道」でも「春望」を引用してい
ます。

 


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