黒糖モドキの小説倉庫

ヘタレ文芸部員もとい黒糖風味の小説庫です。
なお、理不尽な鬱表現・スプラッター・クトゥルフ神話等の要素を含みます

ボクよりボクらしいキミへ・第3話

2011-11-21 22:10:40 | ボクよりボクらしいキミへ
 目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。

 ……そんなベタな展開が、まさか自分の身に起こるとは予想だにしなかったのだが、起きてしまったものは仕方が無い。彼はゆっくりと固いマットのベッドから身を起こし辺りを見渡した。
 コンクリート打ちっぱなしの正方形の部屋で、ドアが一つと家具は今まで寝ていたベッドのみだ。恐ろしいまでに殺風景で殺伐とした寒々しい部屋に彼は少し身震いをした。
 とにかくここから出よう。そう結論づけるとベッドから下り、唯一の重そうな鉄製のドアに近づいた。
 内側に鍵穴は無く、どうやら引き戸のようだ。祈るような気持ちで取っ手を両手で掴みゆっくりと力を込めると、ガラリ、と言うやや重い手応えと共に、ドアが開いた。

 ドアが開いた先は、薄暗く湿ったやはりコンクリートの廊下が延々と続いていた。しばらく部屋の中から頭だけを覗かせて廊下を見渡していたが、恐る恐る外に出ると、ゆっくりと歩き出す。
 ペタペタと裸足の足がコンクリートを踏む音と自らの呼吸音だけがただ廊下に反響し、異質な沈黙を掻き乱す。その明らかに作られた静けさの中に響き渡る、普段ならば気にも止め無いような些細な音が今では自分を脅かしていた。
 暗い廊下を唯一照らす光は、部屋の扉の横に付いた数字の書かれたプレートを浮かび上がらせる無機質な白色灯のみ。その明かりに照らされるプレートには、機械的な四桁の数字のみが書かれていた。

 数回十字路に突き当たり勘のみに頼って曲がっていると、不意に明かりの漏れている部屋に辿り付いた。何故か扉は無く、眩しい程の光が暗闇に新たなる影を落としている。

「…………だ。おそらく……だろう」

 中から響く男の声に、思わず背中を壁に押し付けて息を殺す。

「いや…………は上がっているはずだ。………しかし………」

 心音や呼吸音すら、聞こえるはずが無いのに聞こえてしまいそうな気がしてどうしようもなく足が震える。聞こえないと頭では分かっていても恐怖を拭い去ることが出来ない。そんな震える足で、一歩ずつ部屋に近づく。
 一歩。また、一歩。
 そして部屋を覗き込めるくらいに近づきゆっくりと覗き込もうとした、瞬間

「……ふん。自我の精度は上がっているようだな」

 押し殺された低い女性の声と共にドン、と背中に衝撃が走った。
 背中を殴られたような、そんな感覚。何故か違和感を感じて胸元に視線を落とすと、
 真っ白なシャツをテントのように持ち上げて、僅かに破れた先端から鈍色に輝く刃の切っ先が胸から飛び出していた。

「え……ぁ……」

 目の前がすぅっと白くなるような光景を前に本能が理性と思考を手放し、呆然とする。
 が、次の瞬間には悪寒が電撃のごとく全身を駆け抜け痛みより熱が胸元を灼き体内の異物感とともに鮮血がジワリと染みを作った。

「全く……帰って早々ガラクタの始末か」

 そんな淡々とした言葉と共に、貫通するほど深々と突き刺された刃が正しくない角度で無理矢理に引かれ、ゴリッ、と言う明らかに骨を削る音と共に引き抜かた。

「……ぁ……ッ!!」

 その体内から異物を引き抜かれる異様な感触に体が一度大きく痙攣し、コンクリートの床と壁に鮮血を撒き散らしながら倒れ込む。
 弱くなる鼓動にあわせて生命が流れ出していく虚脱感とわけの分からない恐怖に視界が霞んでぼやけた。
 そして、霞む視界の中その蒼い瞳が最後に捉えたモノは、
 まるでゴミクズを見るような目で、血に汚れた刃を無慈悲に振り上げる黒い少女の姿だった



「……ろ……、カイム、起きろ!」
 聞き慣れた少女の声に、それも久しく聞いていない怒鳴り声に慌てて跳ね起きるとそこは見知らぬ部屋だった。

「……ったく。やーっと起きたか」

 呆れ半分皮肉半分と言った雰囲気のよく見知った少女の、ルイの声に思わず苦笑を漏らすと部屋を見渡した。
 余り広くは無い古いログハウス風の部屋にはベッドが五つ並んでいて、部屋の角のベッドにアッシュが腰を掛け何かを黙考していた。
 ……何故か、ラウレルとノエルの姿が無い。

「あれ? ラウレルとノエルさんは?」
「……二人が帰ってきてから説明するよ」

 何か含みのあるルイの言い方にひっかかる物があったものの、特に問い詰める必要性も無かったので、そっか、と流した。
 そこでふと、一つの疑問が浮上する。何故、ラウレルとノエルなのか。
 僕が気絶していたから、ルイは離れるに離れられなかったのだろう。しかし、ノエルとラウレルは初対面だ。行動にも何かしらの支障をきたすだろう。
 ……策士であるルイが考えそうなこととは……?

「……狼と羊のゲーム、か」

 不意に、どこか達観を含んだ声色でアッシュがボソリと呟いた。それに苦笑いするルイを見てようやくその意味を理解する。
 狼と羊のゲームとは子供向けのパズルゲームだ。三匹の狼と三匹の羊を一隻のボートを使って川の対岸に渡すと言うとてもシンプルなもの。
 ただし、どちらの岸でも狼の数が羊より一頭でも多くなると狼が羊を食い殺してしまう。だから常に羊が狼より多いか同数になるようにしなければならないのがこのゲームのルールだ。
 今の状況を当て嵌めるならば、アッシュとノエルが狼……と、言うことだ。

「バレたか。正直、オマエらとの交渉は破局状態だから信用しがたいな。しかも、ワザワザ軽い脅しまでして同伴しようとする辺り何考えてんのか不思議で不思議でたまらないんだがねぇ?」

 ルイは明らかに挑発するような言葉を選んで言い放ち、そっと後ろ手に剣の柄に触れた。
 騎士団内でも性別差など関係なく張り合える技量だからこそ出来る駆け引き。それにアッシュは気づいているのかいないのか相変わらず何を考えているのか分からない表情で、静かに言った。

「……言ったろ? レム高原の軍事衝突の真相を追っていると。……俺が用があったのは、むしろアンタだ」
「はぁ? 何を言うかと思えば」
「本当の事を教えてほしい。レム高原で……一体何があった?」

 僅かに身を乗り出し、真剣そのものの表情でアッシュはルイに言った。その表情や語調は、アッシュ嘘をついているとはカイムには到底思えなかった。
 しばらく身構えたままルイは黙考し、やがてカイムと同じ結論に至ったのかゆっくりと口を開いた。

「……漆黒のドラゴンが、レム高原の近辺で目撃された。地上に残された痕跡からおそらく……生存者は……いや、生存者の情報は……無い」

 ルイがあえて伏せた沈黙が、彼女の気遣いが、静かに言葉の端々に影を落としていた。
 おそらく、こうだろう。ドラゴンからの軍事介入。そして、生存者は……ゼロ。

「……そうか……」

 数秒の後にようやく現実を受け入れたのか、アッシュはゆっくりとその場に座り込んだ。
 ……ルイが口にした漆黒に、カイムは心当たりがあった。
「ねぇ、ルイ……漆黒のドラゴンって……」
「……ああ。おそらく、お前の憶測は当たりだよ」
「……だよ、ね……」

 予想通りの返答に言及するかしまいか迷ったが、このままうやむやにするのも嫌だったので再び口を開きかけたその時、ドアが二回ノックされた。どうぞ、とルイが呼び掛けると、どこか複雑そうな表情をしたラウレルとノエルが姿を現す。

「あ、カイム……おはよう」
「無事だったんでスね」
「あはは……」

 今更ながらにどれだけ長い間眠っていたんだと思わざるを得ない二人の発言にカイムは苦笑を浮かべる。
 そしてラウレルは近くの椅子に座り、ノエルがアッシュのそばに座ったところでルイは口を開いた。

「……二人が帰ってきたら説明するって言ったよな?」
「うん……まぁ」
「こっちに来い」

 そう言うとルイは立ち上がり、カイムの腕を掴んで窓辺へ連れていった。

 煤けて汚れた汚らしいガラスの向こうに広がっているのは、やや閑散とした村の風景だった。だが、何かがおかしい。何がおかしいかと聞かれれば分からないと答えるしか無いが、明らかにおかしい。
 何がおかしいのかとガラスに目一杯近付きよく見ようと目を細め、気づいた。

 影が、無い。
 明らかに廃墟然とした街で暮らす人々の足元には、影が無かった。建物も、人も、木にも何にも影が無い。あるべき物が無い違和感。無ければならないものが抜け落ちている悪寒。
 その薄気味悪い光景を前にカイムは思わず身震いをした。

「……もう分かったな? この街は異常だよ……」
「で、俺とノエルさんで調べに行ってたんだ」

 僕はルイとラウレルの言葉に無言で頷くと、元のベッドに腰を下ろした。まだ、悪寒は止まない。

「……どうやら〝街の人々〟に俺らの姿は見えていないらしい。俺らは彼らの姿を見ることが出来るが、お互いの声は聞こえないみたいだ」
「この街には音がありませン風も声も水も、何もかも……まるで廃墟みたいで気味が悪いでス」

 感情があるのか無いのか、ノエルは両手で肘を抱えて身震いをするという動作をしてみせる。
 ……何と無く、カイムには機械人が破壊された理由が分かった気がした。あまりにも人間にそっくりすぎる。
 人間に似ることが高い技術力の証明なのに、行き過ぎてしまった失敗作の人間らしすぎる恐怖は誰でも気持ちが悪いだろう。

「……とにかく、この部屋を拠点に二、三日かけて街を調べよう。水や食糧は地下にあったから拝借させていただこうか」

 やはりルイが場を取り仕切り、そう言うと全員が頷いた。

「明日はオレが行こう。……アッシュ、ついて来てもらえるか?」





 次の日、ルイとアッシュは日の出と同時に部屋を出て行った。

「……ルイさん、きっと素晴らしい策士なんでスね」

 二人が部屋を出てから約一時間が経った時、唐突にノエルがそんなことを言った。
「私とアッシュは……確かに、信用されなくて当然かもしれません」
「……そんなこと、ないです」
「優しいんですね」

 悲しげに眉を下げて言うノエルに、カイムは複雑げな表情で俯いた。……ルイだけではなく、カイム自身もあまり二人のことを信用していない。明らかに不自然な理由に、タイミングの良すぎるレベルと名乗った彼女の襲来。全てにおいて信用しがたい。

「……に、信用…きないかもしれないけれど……はどう、」

 不意に、ラウレルの言葉がぶつ切りに聞こえた。
 ノイズ混じりの言葉と意識。何故かぐにゃりと視界が歪んで掠れ、徐々に音が遠くなる。
 ……、まだ、寝ぼけてる、の、か……な。

 瞬間、ドサリと言う音とともにカイムはその場に崩れ落ちた。



「倒れたぁ!?」
「あはは……ゴメン、もう大丈夫」

 大丈夫ってオマエなぁ、と驚きと心配と怒りをないまぜにしたような表情で言うルイに、カイムは苦笑を漏らす。

「大丈夫大丈夫言うヤツが一番危ないんだっての。迷惑とかそんなのどうでもいいから辛いなら俺らを頼れ」

 明らかに怒っている口調でそう言うと、ルイは乱暴にカイムの背中を叩いた。
 さらに数発、先程よりは加減されている代わりにカイムを拳で殴るルイにラウレルは苦笑を浮かべる。

「まぁまぁ……ところで、何か見つかった?」
「あぁ。この街がペルデルスィの森の中にあることが分かったんだ」
「……ペルデルスィの森?」

 ペルデルスィの森。別名、迷いの森。迷い込んだものは二度と生きて戻れないと言われている魔の森だ。中は常に霧が立ち込めており地下に埋まった旧文明の遺産の影響かどのような手段を用いようと方角がわからない。
 カイムの心の中に、諦めがジワリと滲んだ。

「とにかく、下手に動くと危険だ。森を調べるのは街を探索してからにしよう」
「……残念だが、もう遅い」

 その声が響いた瞬間、空間が変質した。
 ドロドロと埃を纏って滞留していた空気が一瞬にして流れ、純然たる肌を突き刺すほどに冷え切った空気があたりを包み込む。
 いや、違う。余りに純粋過ぎる空気が激しく肺を毒していた。人の体は毒を含まない空気に耐えられない。

 そして、いつの間にか、部屋の中央には一人の黒い青年が立っていた。体は病的なまでに細く白いが、漆黒の髪に瞳、そして司祭を思わせる漆黒の服が青年の出で立ちを異形のモノへと変えていた。

「……全く、ヒトには過ぎたシロモノはいつも予言を狂わせる」

 くっく、と暗鬱に笑う青年の暗い瞳を見た瞬間、カイムは金縛りにかかったようにその場から動けなくなる。
 暗い、余りにも暗い人のものではない狂気の瞳はただ虚ろに、ノエルを見つめていた。

「……ヒトの知恵とやらの寄せ集めなど、君達には必要無いだろう?」

 口元を三日月に歪め、青年は白く細い手をノエルに向けて伸ばす。

「〝回収〟させてもらうよ」
「あ、」

 そして、その手がノエルの華奢な首を掴んだ瞬間、バヅン! という何とも形容しがたい音とともにノエルの体がその場に崩れ落ちた。
 誰もがその光景を声一つあげられずに、指一本動かせずにただ呆然と見ていた。ただ、見ていることしか出来なかった。
 ……そう本物の〝神〟を前にヒトは何も出来ない。出来るわけが無い。

「……被検体までご一緒とは……皆さん仲良く招待致しましょう」

 何の無駄も無い動作でノエルをいとも簡単に持ち上げた青年がそういって笑うと、視界が不気味に波打った。
 またこれか、と思う間もなく意識がゆっくりと遠退いていく。

「神の国へようこそ、愚かなる人間の諸君」





 本日二度目の失神から目が覚めた時、カイム以外の二人は既に意識を取り戻していた。やっぱりか、と言う苦笑混じりに立ち上がろうとした時、目眩に襲われて再び膝をつく。

「オイオイ……最近多いよな、オマエ……どこか悪いとこでもあるのか?」
「大、丈夫……ゴメン……」

 ラウレルの手を借りてようやく立ち上がると、そこは一面の花畑だった。お約束の天国かと一瞬疑ってしまったが、どうやら違うようだ。

「……アッシュは?」
「さぁ? オレらが目を覚ました時にはもういなかった。始めから怪しいと思ってたんだよ、クソッ!」

 ……予想通りの展開に、カイムは内心ため息をついた。
 むしろ、最悪の展開だ。
「……とにかく、ここがどこであろうと先に進もう。歩ける?」

 一方ラウレルはルイとカイムの両方に気を使うようにそういった。
 しばらく黙っていたルイだったが、小さく頷くとゆっくりと歩きはじめた。

「……神の国、ってあいつ、言ったよな?」
「ああ。つまり……ここは……エルディア?」

 ルイがそう呟くと、ラウレルは静かに辺りを見渡した。カイムもそれに倣って辺りを見渡す。
 ただひたすらに花畑が広がっている、ように見えたがどうやら地平線らしきものの向こうは崖になっているらしい。ただひたすらに、雲すらない空が延々と広がっている。

 不意に景色が春を連想させる花畑から、蒸し暑い鬱蒼とした森へ切り替わる。

「うわっ、暑っ!」
「何これ……」

 その瞬間夏特有の蒸し暑い湿った空気が三人を包み、真っ先にラウレルが音を上げた。
 確かにこの暑さが続くのは身体的にも精神的にも辛い。

「あー、ヤダヤダ。さっさと抜けるよ」
「え、抜けるって?」
「春が夏になったんだから秋もあるだろ。はいチャカチャカ歩いた歩いた」


 ルイの言った通り、やがて季節は夏から紅葉の美しい秋へと切り替わる。
 そして、短い秋から雪の舞う冬へ。
 余りにも激しい気候の変化に体がついて行けずに再び歩みを速めたルイに引きずられるようにして歩き続ける内に、不意に三人の足が止まった。

 白銀の世界の中に、黒い少女がいた。
「レベル……」
「生命のリングは季節を用いて生と死の円環を表す。その道理を理解せずに短き生を駆け抜けるか、人間よ」

 どこか達観した、疲れ果てた少女の姿をした小さな神は静かに言った。
 そう、彼女は小さくとも神だった。あの恐怖を覚えざるをえない青年に一度会ったからこそ分かる。彼女も、神なのだ。

「……扉の内に求めるものはある。再び失われぬようその手に抱くがいい」

 そう言って、レベルは銀世界の先を指差した。
 その指差す先には、朧げながらも鉄製の分厚い扉が見えた。

「……何故、それを……?」
「……反逆とは、革命である。革命は時に愚であり、真であり、そして正義である。そなた達の行動に後悔が無いと言うのであれば先へ進むがいい、己が革命を見届ける子羊らよ。革命家レベルの名の元に……」



ボクよりボクらしいキミへ・第2話

2011-11-16 23:22:41 | ボクよりボクらしいキミへ



 翌朝、荷物を纏めてルイの部屋に向かうと既に準備を終えたルイが剣を手に待っていた。

「カイム……覚悟は出来たな?」

 穏やかだが何処か鋭い声で問うルイに力強く頷いて答える。
 ルイはそんな僕をしばらく見ていたが、ゆっくりと握り締めていた剣の柄を僕に差し出した。

「……お前の“元”世話係からの餞別だ。無事に帰って来い」

 そっと差し出された剣を受け取り、その鞘を見つめた。
 銀色に輝く真新しい剣は握り締めると昔から使い込んでいる剣の様にしっくりと腕に馴染んだ。

「ホラ、さっさと行くぞ」

 ルイはいつもより荒っぽく僕の背中を叩くと乱暴にリュックを背負い、部屋を出て行った。
 怒っているかのような挙動にしばらく戸惑っていたが、やがてそれらが彼女なりの感情表現だとようやく気づく。それならば元世話係からの餞別、と言う発言も頷けた。
 ややこしい拗れた感情でも何でもない、ただ単に、上手い表現の仕方が分からなかった。たったそれだけだった。
 不意に口元が緩むのを感じ、備え付けの鏡を見ると、その中に佇む癖のある黒髪に青い瞳の青年は穏やかな笑顔を浮かべていた。

 数秒の後に剣をベルトに手挟んで荷物を背負うと彼女の後を追った。





 やや顔を赤らめたルイに遅いと怒鳴られたが、流石に今この場で怒れないのと照れ隠しが混じっているからかすぐに彼女の意識は他にそれた。
 ルイの隣に所在なさ気に立っている青年を見る。癖の無い赤髪に青い瞳が印象的で、身長はやや高めで体格は僕と似たようなものだ。どちらかと言えば大人しそうな顔立ちをしている。
 ふと青年は僕の視線に気が付いたのか、静かに笑って言った。

「初めまして、かな。俺の名前はラウレル」
「あ、こちらこそ初めまして……カイムといいます」

 意外と気の強そうな口調の青年、ラウレルに慌てて頭を下げるとルイはおかしそうに少し笑い声を漏らした。

「それじゃあまずはノイエストに向かう予定……で、あってるよな?」
「ああ」

 ようやく落ち着いた頃合いにルイがそう切り出すとラウレルは特に迷う様子も無く即答した。
 余り地理には詳しくない、むしろ苦手なのだが確かノイエストはかなり規模の大きな港町だったはずだ。

「……海を渡るの?」
「いや、情報屋のところに行く。イザベルって言う売買人と話はつけてある」

 全く知らない土地に行くのかと不安を隠しきれずにそう言うと、ルイは不思議な名前を言った。
 イザベル。余り語彙は詳しく知らないが、確か聖書に出て来る男をたぶらかす女……とか。あまり良くない意味だった気がする。
 まさか、とは思いつつ振り切れない疑念が付き纏う。
「アッハッハ……まさかとは思うが誤解してらっしゃらないか?」

 え、とルイの言葉にその場に固まる。

「偽名だよギ・メ・イ。情報屋は恨みを買いやすいからそうやって正体を隠すんだ。ま、変わり者らしいしワザとそんな名前使ってるんじゃないか?」

 成る程、確かにルイの言うことは一理ある。しかしルイの言う通りいくら変わり者とはいえ目立つ名前を使うのはいかなるものか。
 まあ、それは本人にしか知りえない何かがあるのだろう。おそらく。





「……と、言うわけで、記憶喪失なんだ。コイツ」
「へぇ……」

 ガタンゴトンと大きな音をたてて揺れる乗り物の中で、ルイはラウレルにそんなことを話していた。
 機関車、と言うらしいこの乗り物はラウレル曰く石炭を燃料に線路の上を走るとかなんとか。今までに一応飛行船にも乗ったが、それとはまた別の感覚だ。
 揺れるとは言え飛行船ほど上下動が無いので酔うことも無いだろう。

 小さな小部屋のような座席を三人で占領し、過去の経験からか僕を窓際に押し込んでルイとラウレルは向かい合ってそんな話をしていた。

「……最近、多いらしいな。記憶喪失」
「まぁな……」

 小さな、本当に小さなラウレルの呟きがチクリと心に刺さった。
 顔も名前も知らない赤の他人と自分を繋ぐ、奇妙な共通点。それが今までずっと心に引っ掛かっていた。偶然かもしれない。はたまた、何処かの誰かの陰謀かもしれない。
 なんにせよ今記憶が無い事は変わり無い事実だ。

「記憶、戻ったら、何したい?」

 不意にラウレルは穏やかな笑みを浮かべてそう言った。

「……家族に、会ってみたい、かな。故郷とか、少し憧れるんだ」

 しばらく悩んだ後にそう答えるとルイは複雑そうな表情で唇を噛んで視線を逸らした。
 ……分かっている。家族とか、故郷とか、極アタリマエだって。今の自分の望みは極普通に生きてきた人々には全く分からない望みだって。
 ルイやラウレルや、普通のヒトにはアタリマエにあるのに僕には無いもの。
 普通のヒトは望まなくても手に入るのに、僕には手に入らないもの。
 それは何より僕がアタリマエじゃないという事実に他ならない。それが悲しくて、何処か虚しかった。
 そんな心境を知ってか知らずかラウレルは穏やかに笑ったまま、言った。

「記憶……戻るといいな」

 その言葉に、何も返せない。
 ……何故だろう。何故か思い出してはいけない気がする。
 早く記憶を取り戻したい。どうして? ……よく、分からない。

「……お、見えてきたぞ」

 複雑そうな表情で頬杖をついていたルイが身を起こし、窓の外を指差して言った。
 ラウレルと二人で窓の外を見ると、その先には赤レンガの壁に囲まれた街があった。やや城塞じみてはいるが、余り閉鎖的な雰囲気を感じないのはやはり港町だからなのだろう。ガタンゴトンとやかましい音の中に一つ、汽笛が鳴り響いた。





 駅、と言うらしいそこそこに大きな建物を出ると、其処には美しい町並みが広がっていた。格調高い赤レンガの建物が規則正しく並び、舗装された道を大勢の人が行き交う様子はまるで大規模な都市国家の城下街のようだ。
 物珍しげにキョロキョロと辺りを見回すカイムを余所に、ルイとラウレルは待ち合わせ人を探して辺りを見渡していた。

「スミマセン、連絡をくださったルイさんですよね」

 しばらく時間が経った後、不意に不思議なヒトがルイに声をかけてきた。
 クセのないサラサラのショートの茶髪に灰色の瞳の妙に中性的な顔立ちの青年(?)だった。年齢は十六、七前後で身長はやや底の高い靴を加味してもかなり高い部類に入り、体つきは細い。だがただ細いだけでなくその長身がその細さを鋭さへと変えている。
 ざっと特徴を羅列すればおおよそこんなものだが、あえて挙げるならばあともう一つある。
 全く性別が分からないのだ。
 中性的な顔、中性的な声、中性的な髪型、高めの身長に華奢な体、丁寧ながらも荒い口調。服装は今時なかなか見かけない立て襟の黒いロングコートの下に古風な黒のズボンにカッターシャツだ。
 誰にでもある性別を判断できるハッキリとした特徴が彼女(彼?)には無い。女性が見れば男性に、男性が見たら女性に見えてしまいそうな程に、人としての輪郭が掴めない。そんな不思議で、余りにも不自然な人だった。

「初めまして、僕はこの街で情報屋を営んでいるイザベルです」

 はにかむような物静かな笑みと共にルイに差し出された彼(彼女?)の右手はピアニストの様に華奢だが、明らかな剣技や荒事の痕跡が残っている。
 更には一人称までも中性的で、ますます彼女(彼?)の性別を曖昧にしてしまう。

「あ……初めまして、ルイ……ルイ=アリナウスです」

 どうやら連絡を取ったり噂を耳にすることはあっても会うのは初めてだったようで、ルイも困惑の色を隠し切れていない。

「みんな僕に会うとそんな顔をしますよ。慣れてるんでお気になさらず」

 怖ず怖ずと差し出された手を握り握手をするルイの心境を汲んだのか、イザベルは少し悪戯っぽく笑った。
 ……正直、イザベルと言う名前から女性を想像していたのだがまさかこんな人物が現れるだなんて予想だにしなかった。
 しかし性別が分からないと言う点をどう差し引きしようが、誰が見ても間違いなく彼(彼女?)は美形だった。色白の肌に切れ長の瞳、やや厚みは薄めながらも健康的な色合いの唇は、十人とすれ違って半数以上は振り返る程に涼やかな美貌だった。
 ……あえて付け加えるなら残り半数はまったく別の意味で振り返るだろうが。

「ああ、性別に関してはお任せします。僕は黙秘の方向で」

 そう言ってイザベルはウインクをした。男がやってもキザなだけだが、女にも見える彼女(彼?)のその動作は小悪魔のような不思議な印象を与える。
 そんなイザベルに対し、ルイ以上に困惑を隠せずやや引き気味のラウレルと目が合い、二人で複雑な表情を浮かべた。
 何となくラウレルの考えている事が分かる気がした。何も分からないのだ。
 彼(彼女?)の外見以外のステータスが、恐ろしいまでに分からない。性別はもちろん本名も何もかも、年齢ですら憶測でしかなくあやふやだ。しかし人としてあるべきものが無いと言う事は、それだけで十二分に立派なステータスでもある。
 匿名であり誰でもない事を大前提にした、ステータス。それが“イザベル”を構築する唯一のステータスのようにすら思えた。

「まぁ立ち話もアレなんで。案内します」

 そんな思考が渦巻くカイムの心境を知ってか知らずか、イザベルはそう言うとゆっくりと先導を始める。そしてやはり複雑げな表情のルイがまず後を追い、それを見たカイムとラウレルも二人の後を追う。

「あの……イザベル殿?」
「何か? あぁ、ちなみに決まった仕事場は持ち合わせていないので部屋を借りましたよ」
 サラリとしたイザベルの返答に、ルイの表情に動揺が走った。
 無理も無いだろう。本当に、彼女(彼?)を特定するものが本当に何も無いのだ。

「……そうですか……」

 いつもよりわずかに上擦った声でルイがそう言うと、イザベルは微かに笑って建物を指差した。

「ほら、そこですよ」

 普段なら気付くこともなく通り過ぎそうな、看板も何も無い自己主張の無い建物がそこにあった。
 イザベルは影が薄い、と言うよりはこの街の活気に気圧されて縮こまってるような印象を受ける二階建ての建物のドアに手をかけると、丁寧な動作で開けて中に僕らを招き入れる。

 チリン、と言うか細いベルに迎えられた建物の中は寂れた喫茶店のようだ。否、一応喫茶店ではあるが日当たりのせいもあってかかなり暗く、怪しい闇取引の会場のように思えてしまう。そんな風に考えてみればカウンターの向こうに立っているマスターらしき人物の陰気臭い顔も裏業界の人に見えてしまうものだから人の先入観とは末恐ろしい。

「マスター、予約してた者だけど」

 そしてイザベルはカウンター越しに渡された鍵を一瞥し、手招きをする。

「こっちだよ。05号室だ」





 案内された05号室には、客をもてなす為の気配りという物が何一つされていなかった。
 日当たりの悪い所か窓一つ無い部屋に椅子が4つと机が一つ、それから天井からぶら下がる埃まみれのランタンしかない。もはや部屋ではなく、箱だ。
 そんな『箱』の中、扉と反対側の壁を背にして椅子に座ったイザベルと向き合うようにカイム達3人が椅子を並べて座ったところで、静かに口を開いた。

「……すみませんね、話が話なので盗み聞きされない場所を選ばせてもらいました。まぁ信用するに足る場所なのでご勘弁を。あ、鍵をかけてもらえますか?」

 やはりそういう後ろ暗い用途で使われる場所だったらしい。
 とりあえず指示通りにカイムが無骨な閂《かんぬき》をかけると、イザベルは正していた姿勢を崩して話し始めた。

「それにしても、貴方達も随分と変わってらっしゃる。エルディアは今頃どこの情報屋も口が重いですよ。何せ……まぁ、この話はよしましょうか」

 相変わらず性別と本心の分からない口調でイザベルはそう言い、肩をすくめる。

「一つ目。まずはエルディアについてですかね……。
 空中浮遊都市エルディア。どうやらその名の通り、空高くを飛んでいる都市のようですね。都市、と言うよりは浮島に近い感じです。目撃者はほぼゼロですが、たまに記録として残っています。……まぁ、大まかにはこれくらい、ですね。此処からが本題です。
 最近多発している失踪事件に関してですが、実は百年ほど前にも記述があるんですよ」

 あらかじめ用意されていた物だったのか、イザベルは足元から羊皮紙の束を机に置いた。

「こちらは百十二年前の記録です。エルディアを目撃した集落で、同じ日同じ時間に少女が行方不明になっています。それから十二年間のうちに行方不明者は四十八人に上りました。それから百年間……今年に入るまで、エルディアに関する失踪者は一人もいませんでした」
「……それが今年になって、再び……と言うわけか」

 簡潔に言葉を引き継いだルイに、イザベルはご名答と言って笑い、続けた。

「そしてもう一つ……記憶喪失、ですね」

 その瞬間、頭から冷水を浴びせられたように意識が凍りつく。

「これはここ数年でかなり増加していますね。しかも奇妙なことに、全員最後には行方不明になっています。もしかしたらこれもエルディアに関係があるのかもしれませんね……」





 ノイエストの夜は、昼間の活気とは真逆に恐ろしいほど静かだった。
 その耳が痛いほどの静寂に耐えられず、ベッドから身を起こしていたのはどうやらカイムだけではなかったようだ。
「……ラウレル、起きてたんだ」
「まぁな。ルイさんは熟睡してらっしゃるが……」
「ちなみに下手に起こすとこっちが永眠するハメになるからね」

 苦笑いを浮かべて頭をかくラウレルに冗談混じりにカイムはそう言った。
 まぁ、事実ではあるが。低血圧で寝ぼけた頭のルイに迂闊に近づくと三途の川を渡り切ることになる。普段冷静な人ほど理性のタガが外れた時が恐ろしいのだ。

「分かった、注意することにするよ」
「あはは……。……ラウレル、聞いてもいいかな?」

 二人揃ってベランダの壁に背を預け、地面に座る。

「ラウレルは……さ。誰を探してるの?」
「……妹だよ。たった一人の家族なんだ」

 そっか、と返すと壁に頭を預けて空を見上げる。
 ……一方、寝付けなかった人はまだもう一人いた。

「……若いねぇ」

 彼等より年下なはずのルイはベッドから身を起こし、妙に年寄り臭いことをぼやいていた。





 結局その後中々寝付けないまま一晩が過ぎ、カイム達はノイエストを後にした。
 街を一歩出た時、目の前に広がるのは広大な森だった。日の光は鬱蒼と生い茂る木々に阻まれ、どこか薄暗く肌寒い。

「で……次はどこに行くの?」
「ナコタスと言う古代遺跡だ。どうやらそこにエルディアの手がかりがあるらしい」

 昨日までは持っていなかったかなり大きめの地図を難しそうに覗き込んだ仏頂面のまま、ルイはそう言って再び地図に目を戻す。確か彼女、道を覚えるのは大の得意だが地図を読み取るのは大の苦手だったはずだ。

「ナコタスって、アレだろ? その、中に入るには古代文字が読めなきゃ無理だったはずだが……」
「オレだってカジる程度には読めるさ」

 ラウレルの遠慮がちな発言をあっさりと切って捨てるルイにカイムは思わず苦笑を漏らす。
 確かにルイは読めないことはない、が、少しカジった程度の素人だ。恐らく自分に言い聞かせる意味合いもあるのだろう。

「しっかしまた遠いな……」
「……あの、すみません」

 しばらくぶつくさ言っていたルイだったが、背後から聞こえたその音に素早く振り返った。
 音? そう、音だ。声じゃない、音だ。

 そこに立っていたのは一人の男と、先程の声の主と思われる機械だった。
 いや、機械と言うにはあまりに人間じみている。無機質だが健康的な肌色の皮膚に赤い唇、真っ白の髪に赤い瞳を持った女性を模した機械だった。
 機械人、と言う言葉が不意に脳裏を過ぎる。

「……何ですか?」
「アナタ達も、ナコタスに向かうのですか?」

 ややズレたイントネーションで首を傾げて問い掛ける彼女に、ラウレルは困惑気味にルイを見、次にカイムを見る。
 ラウレルが戸惑うのも無理はない。見知らぬ土地での道中にいきなり機械人に話し掛けられれば誰でも戸惑うだろう。

「確かにそうですが……貴方達は?」
「申し遅れましタ。彼はアッシュ。ワタシはノエルと申します。皆さんの想像どおり、ワタシは機械人です」

 丁寧な動作で一礼するノエルに対し、背後の青年は軽く黙礼のみをした。背後に立つ青年は彼女と対照的な短髪の黒髪に、緑の瞳をしていた。
 やはり想像通り、彼女は機械人だった。
 ……機械人は遥か昔に量産され、そして葬られた古の技術の結晶だ。人と酷似した外見と心を持つその機械達はその完璧過ぎる性能故に恐れられ、やがて破壊されたのだ。

「初めまして、ルイ=アリナウスです……して、何かご用でしょうか?」
「はい。ワタシ達もナコタスに向かうのですが……アナタ達もエルディアに関する情報を集めているのでスよね。ワタシ達もご一緒させて頂けませんか?」

 流石にこれには驚いたのか、ルイは眉を跳ね上げて無意識の内に二人を睨みつける。
「……友人が、帰ってこないんだ」
「アッシュ……」

 不意に、覚悟を決めたような表情でノエルの後ろに立つ青年が、アッシュがため息と共にそう言った。
 それを聞くなり、ノエルはアッシュに目配せをして複雑そうな表情を作る。そう、作る。人間でない彼女には表情は作られるものなのだ。
 アッシュの発言に、無表情のルイとは対照的にラウレルはやるせない表情を浮かべる。同じ大切な者がいなくなった者同士、何か通ずる物があるのかもしれない。

「……アッシュのご友人は、戦場に出たきり戻って来なかったそうでス……エルディアが関与しているといわれてイる、レム高原での反乱軍と帝国軍の軍事衝突はご存知でしょう?」
「…………」

 言葉の信憑性を吟味しているのか、ルイは目を閉じ腕を組んで唇に指先で触れながらそれを聞いていた。
 考え事をするときに、腕を組んで唇に触れるのはルイの癖だ。本人に自覚はないらしいが。

「向かう場所が同じなら、ワタシ達が争う理由はありませン」
「……嫌だと言ったら?」

 まるで挑発するかのようにルイがそう言い放つと、ノエルは機械そのものの不気味にひび割れた声で言った。

「ナコタスの扉を開く鍵をアナタ達に教えないまでです」

 その発言にルイはため息を漏らした。……機械人は古代の技術の結晶だ。だからこそ、古代文字だって読める。ナコタスの扉を開く鍵と引き替えに旅の連れが増える。それは大人数で行動するリスクを背負うということだ。

 数秒間考えていたルイだったが、とうとう折れたのか降参といわんばかりに両手を上げた。
「分かった、オレの負けだよ。……余計なことはするなよ? こっちだってのっぴきならない事情抱えてんだから」
「感謝しまス」

 機械らしからぬ笑顔を作り嬉しそうに語調を上げるノエルに、ラウレルは最初から最後まで何も言えずにいた。ただ、複雑そうな表情でルイと僕をチラチラと見ている。
 ルイの言うのっぴきならない事情。僕の記憶とか、ラウレルの妹さんの事とか。しかしルイ本人には戦う理由が無い。
 ……ルイは、何故戦えるのだろうか……。





 そして、始めから定められたその場所に彼らはいた。
 一人の少女と、風を纏う一匹の黒龍。そう、レベルとベーゼだ。

「全く……あぁ、面倒だ」
「しかし驚いたな。プロトタイプが異常を来たすとは」
「比較的精度が上がったとは言え誤作動は仕方ないが……全て始めから定められているのであれば防げるだろうに……いや、定め故に何人にも変えられぬか」

 はぁ、とため息を吐き、レベルは空を見上げた。
 ため息の似合う、女である。
 そんな彼女を見下ろし、ベーゼは静かに笑って見せた。

「運命に抗うは愚かよ。如何なる水もいずれは海へ流れ着く。無数の星の輝きは誰にも得られぬ……己のみが報われぬと嘆く盲目の子羊は永遠に解き放たれることはあるまい」

 彼女と同等、いや、彼女よりも遥かに長く生き続けたベーゼの言葉は古き時代の残滓の中へと溶け込み、やがて消えていく。
 しばらく目を閉じてその声を聞いていたレベルだがゆっくりと目を開けると、静かに遺跡へと通ずる道を見てポツリと呟いた。

「……来たぞ」

 が、そこには誰もいない。いや、今まさに訪れようとしている。
 それは運命なのだから。





 ようやく鬱蒼とした森を抜け、視界が開けたその先にはゾッとするほど凄惨な光景があった。

 古び、停滞した時と静謐な荒廃を雄弁に物語る半ば崩れかかった神殿を背景に、漆黒の黒龍と黒い少女が立っていた。
 闇色をした立て襟のコートを纏い下に黒い布製の半ズボンと古いデザインのカッターシャツを着た彼女は静かに何をするでも無くそこに“い”た。
 何の歪みも無い冷淡な美貌に如何なる表情も浮かべずに、ただ無感情な藍色の瞳でこちらをじっと見ている。そしてその背後に立つ龍は、彼女と対照的な深紅の瞳で静かに空を仰いでいた。

 一瞬にして真っ白に漂白された思考を取り戻すまでの数秒間、カイムは息の仕方すらも忘れて立ち尽くしていたが、ルイの言葉と共に正気に戻る。

「誰だ」
「……まったく、人とはいつの世も愚かよの」

 それに答えたのは少女ではなく、あろうことか彼女の背後に立つ黒龍だった。

「長き時の内に古の記憶すらも忘れ去ったか……愚者は賢人を理解し得ない、いや、理解しようともしない……己の愚かさと醜さの露呈を恥ずるか」
「……その辺にしておけ」

 淡々と、哀れむようで嘲るような口調で流暢に話していた黒龍を黒い少女は制止した。
 そして何も宿さない瞳で静かにこちらを見据え、

 嗤った。

「始めてお会いになりますね。私はエルディア天空議員のレベル=ユースティティアと申します。以後、お見知りおきを」

 狂気すら感じさせる歪んだ笑みを浮かべ王族を連想させる優雅な動作で一礼するレベルに、カイムは形容しがたい恐怖を覚えて後ずさった。

「……議員? エルディアとは一体何なんだ?」

 カイムとは対照的にラウレルは厳しい表情でレベルに詰め寄り、食ってかかった。
 そんなラウレルをも嘲るように、レベルは静かに言葉を紡ぐ。

「語る必要は無いな。神への反乱は世界への冒涜であり、重罪である。貴様達が古代の聖域に足を踏み入れることは未来永劫無い」

 そう言ってレベルは口の端を持ち上げただけの酷薄な笑みを浮かべると右手をゆっくりと空に向けて振り上げた。
 その瞬間、ぐにゃりと世界が歪む。

「さようなら、汚らわしき罪人の諸君。アザトース様の慈悲があらんことを……」

 それが、意識が断絶する前に聞こえた最後の言葉だった。




ボクよりボクらしいキミへ・第1話

2011-10-01 10:31:03 | ボクよりボクらしいキミへ
【ボクよりボクらしいキミへ】



 空中神殿都市、エルディア。
 遥か昔より時にお伽話として、時に神話として語り継がれるその存在は確かに在った。
 時に畏怖として、時に畏敬の存在として姿形を変えつつも恐怖の象徴と恐れられ続けたその存在は、今や人を連れ去る異界の如く地上に君臨している。

 その内部には七人の、否、人と形容するには強大過ぎる七人の裁定者達が住んでいた。住んでいた、と言えるかは断言し難いがそれでも彼等は間違いなく其処にいた。
 そしてその一人である《Rebell=Justitia》レベル=ユースティティアは日の登り切らぬ早朝から、感極まった風の《Weise=Cercatore》ヴァイゼ=セルカトレに呼び出されていた。
 腰まであるストレートの茶髪に紺色の瞳を持った少女、もといレベルは朝早くに呼び出された事による寝不足の不機嫌さを隠しもせずに無断で椅子に腰掛け辺りを観察する。
 通称研究室と呼ばれているその部屋は、その呼称が頷ける程に怪しさばかりが漂っていた。科学的な機械がその辺に雑多に積んであるかと思えば向かいの棚には呪術道具が詰まっている。
 その部屋の中央でヴァイゼは忙しなく歩き周り、時折演説でも始めるかのように立ち止まっては煤けた天井を眺めていた。
 肩辺りまで伸ばされた銀髪が様々なランプの色を反射してわずかに色を変え、シルバー混じりの黒い瞳が眼鏡の奥で鋭く輝いている様はさながらマッドサイエンティストの様だ。

「我が友レベル、素晴らしい知らせだ!」
「……朝から大声を出すなよ……らしくもないな」

 氷、機械と言われた冷淡な非の付け所が無い美貌に、興奮が収まれば次は鼻歌でも歌いながらスキップでも始めそうな非常に似合わない歓喜の表情を浮かべるヴァイゼをレベルは寝起きその物のジト目で軽く睨んだ。
 レベルの少女と言うよりかは少年に近い、形容するならばナイフの様な鋭利さを秘めた冷淡な顔立ちはヴァイゼに負けず劣らず感情が希薄だがこれには少し不信の表情を浮かべていた。
 普段は喜ぶどころかニコリともせず、不愉快不快無表情以外の表情を一切表さない彼のこの様子は明らかに異常だった。何か良くない物でも食べたか、それともとうとうイカレたか、そしていつから私は友人になったのかと半ば真剣に考え込むレベルに、ヴァイゼは嬉々とした様子で告げる。

「世紀の発明だ。君には前に生命の卵の事を話したが、アレがようやく人間の複製に至ったんだ!」

 その言葉を聞いた瞬間レベルは驚きに一瞬だけ目を見開き、次に呆れたような、それと同時に有り得ないといわんばかりの表情を浮かべる。
 “生命の卵”は、人為的に生命を生み出す為の円環装置だ。白き霧を纏う黒い卵を模したその装置は、人を惑わすシャルラ=ハロートの助けを借りて“人間”と言う蛋白《タンパク》原、もとい栄養原を得てようやく成り立つ程に生命力が低く、依存性も高い。その栄養すら枯渇すれば爆ぜて中に詰まった液漿を撒き散らし、朽ちてしまう。
 そんな数々の問題を抱えた、しかしこれ以上が無い円環装置をどのように改良したのかはレベルにとって非常に興味深かったが考えるよりも先に口から反論が飛び出した。

「……まさか。〝生命の卵〟は制御が効かない程の不安定な物のはずだ。ましてや人間の複製など……」
「いや、それが成功したんだ! これがその証拠だ」

 妙に自信たっぷりにヴァイゼは言い、二つ並べて壁に取り付けられた両端に様々なチューブが取り付けられたガラス製の筒型の生命維持装置を指差した。
 長年使い込まれた事によってガラス汚れ特有の水垢がこびりついた其れは非常に中の様子が分かり辛い。レベルは目を細めて僅かに身を乗り出し、その中身を理解した瞬間頭頂から背骨へと冷たい液体が駆け降りるのを感じた。

「これは……」
「生命の卵によって複製された人間の記念すべき一号機さ。まだ試作段階だから劣化速度が早くて、とりあえずああやって保存しているんだ」

 ……嗚呼、これが運命と言うのであれば、彼等の運命はこの日この瞬間に決まったのだ。
 これより始まるは、今より遠く、遥か未来の話。


   †


『……ろ…………ろ』

 ただ白い空間の中に、誰かの声が響いていた。
 何故だろう。その声に耳を傾けてはいけないような、それなのにその声の主に探さなければならないような、そんな複雑な思いがぐるぐると頭の中を渦巻いていく。
 虚ろな取り留めの無い思考が時折意識という水中を漂う泡のように浮上し、やがては消えていった。

「…きろ………きろ!」

 徐々に鮮明に成り行く声にズルリと意識そのものが浮上する。

「起きろ!」

 一段とはっきり響いた声に、半ば反射的に瞼を開いた。
 真っ先に視界に入ったのは今にも雨が降り出しそうな程に黒い雲が立ち込めた空、そして一人の少女だった。
 やや吊り目気味の青い瞳に後ろで束ねられた短めの茶髪と紺色のバンダナが特徴的なその少女はわずかに眉を吊り上げて言った。

「やっとお目覚めかい。雨が降らねえ内にさっさと帰んな」

 決して悪いとは言えない、むしろ良い部類に入る気丈そうな顔に不機嫌そうな表情を浮かべて彼女は立ち上がって草切れを掃う。白い半袖のシャツに青いベストを合わせ、短パンにブーツを着こなしていて非常に快活そうで明るい印象を受けるが面倒臭そうな仏頂面が彼女の雰囲気を何か不思議なものへと変えている。

「んで、お前はドコの国のヤツ? もしや行き倒れ?」
「……え」

 国?
 寝起きの薄靄のかかった頭で記憶を手繰り寄せる。
 そもそも此処は何処だ? 何で自分はこんな所で眠っていたんだ?
 ……分からない。どうして分からないんだ?
 分からない。分かるはずがない。分からないモノを分かることなんて出来やしない。
 どうしてか自分の名前以外何も思い出せない。

「お前……まさかキオクソーシツってやつか?」
「……多分」

 小声でそう言うと彼女は呆れ半分興味半分と言った表情をしてみせる。

「名前は?」
「……カイム」

 唯一覚えていた名前を告げると、彼女はあまり興味が無さそうにふぅんと呟き、すっと革のグローブに包まれた手を差し出してきた。

「取りあえずついてきな。話はその途中にでも出来るだろ」

 大人しくその手を借りて立ち上がると、ついて来いと背を向ける彼女の後を追った。
 延々と続く草原の中を小さなコンパスと懐中時計を片手に、そして細身の剣をもう一方の手に歩く彼女の後ろ姿は何処か少年の様な雰囲気を携えていた。

「そうだ、自己紹介がまだだったな。オレの名前はルイ。グランディア帝国、帝国騎士団の一人だ」
「……帝国騎士団?」
「そ。兵士とは違って城の内部の見回りだの領地の治安維持だの争い事の解決だのってパシられる集団。大概式典で目立つ所に立ったりするから外見はえり好みされるらしいね」

 身も蓋も無い所かかなりの爆弾発言をしたにも関わらず彼女、もといルイは肩を軽く竦めるだけだ。
 確かに式典なんてきらびやかだろうから目立つ所にはそれなりの外見の者を置きたくなるのは人の性というヤツだろう。かく言うルイも荒っぽい男口調を除けば美少女だ。

「……最近、多いんだよな」
「え?」

 不意に声のトーンを落とすルイに、反射的に聞き返した。

「記憶喪失」

 大した事ではないかのように言い放ち、歩を進めるレエルとは対照的にカイムはその場に立ち尽くした。
 その事に気がついたルイは足を止め、言葉を続ける。

「……今年に入って五人。内二人は失踪、三人は保護出来ずに行方知れず。そして全員、名前以外全て忘れてたらしいよ」

 別に何でもない特に大した事でも無いかのようにルイは言った言葉に、全身から血を抜き取られるような悪寒を感じていた。
 偶然にしては余りにも出来すぎた偶然。全員が全員名前以外全てを忘れているという奇妙な共通点が、何か異様な繋がりを白紙の記憶の上に浮き上がらせようとしていた。
 だが何故かそれに対して何か絶対に思い出してはならないような、そんな感じがした。第六感が警鐘を鳴らしている、とでも言うべきなのだろうか。とにかく、ただひたすらに本能が拒絶していた。

「……どうかしたのか?」
「あ……な、何でもない……ねぇ、これからどうすればいいの?」

 質問に質問を重ねて切り返すと、ルイの意識がそれたのか何事も無かったかのように再び歩き始めた。
 それに合わせてルイの後を追う。

「騎士団で保護するつもりだよ。記憶が戻るか経済的に自立するまでなら面倒みるから」
「……そっか。迷惑かけるね」
「良いってことよ。多分オレが世話役になるから、まぁヨロシク頼むよ」

 お世話になります、とルイに向かって深々と頭を下げると何故か苦笑いされてしまった。

「ん……ホラ、見えてきたぞ。あれがグランディア帝国だ」





 一ヶ月後。

「なーぁ、カイム。いい加減に教えろよー? お前の好・き・な・子」
「……ご退去願うよ」

 部屋(一人部屋。狭い)に上がり込みベッドに寝転んでニヤニヤと笑う迷惑な友人の後頭部を枕でぶん殴って叩き落とすと、再び占拠されぬように座って言った。

「いないって言ってるじゃん。いい加減に自重しようか」
「うっそだぁ。だってあーんな美人が側にいるのにさぁ。平兵身分からすれば……くーっ、羨ましい……」

 それでも何も無かったかのように起き上がり、心底悔しそうに床を殴りまくる友人、もといアルをジト目で眺めた。
 側にいる、美人。すぐに誰の事かは分かったが出来るだけ意識しないようにし、次の瞬間また飛び出すであろうこのお節介な友人の軽口をどう制裁するか思考を巡らせた。

 あの日から、すでに一ヶ月が経過した。
 最初は慣れないことに戸惑ったり上手くいかなかったりの手探り状態だったが、今ではこんな有難迷惑な友人や頼りがいのある団長や尊敬できる師範に囲まれてそれなりの生活を送っている。
 ちなみにアルは剣士として戦場に立つべく訓練を重ねる兵士であり、護身術として剣の勉強をしている僕の友人だ。用途は違えど同じ剣の道を志す者としてたまに手合わせをしたりしている。
 もちろん日の浅い僕なんて勝てるはずが無いけれど。

「容姿端麗、才色兼備、そして文武両道ときた。正にパーフェクト超人だろ? あーあ、泣けるねぇ」
「本人の前で言ったら何をされるか……」

 それにルイはそう言う風に言われるの、嫌いだし。
 口を突きかかった言葉を思わず飲み込んだ。
 ……超人。確かにルイは超人地味ているかもしれないが、そう言われる事が、思われる事が、そしてそれが天性の才能と思われる事が彼女は嫌いだった。

「ま、所詮俺らには高嶺の花ってコトか……」

 アルは諦めているのかどうなのかよく分からない表情であぐらを組む。
 その時、コンコンとドアがノックされた。

「カイム、話が……っと、客人か。お邪魔なら後にするが?」

 部屋に入ってきたのは噂の当本人であるルイだった。ルイは狭苦しい上に男二人でむさ苦しい部屋を覗くなりいつも通りのやや不機嫌そうな表情のままそう言った。ベッドとクローゼットと机に部屋の大半のスペースを持って行かれているため二人でもかなり狭いのに三人なんて無理がある。ルイが遠慮するのも無理はない。

「あ、いいよ。こいつ帰らせるから」

 迷わずにそう言うと、ぎゃあぎゃあと騒ぎ抵抗するアルをムリヤリに外に放り出す。
 そして、その光景を呆れ顔で眺めていたルイを部屋に招き入れた。





「……え?」
「いや、気持ちは分からなくはないんだが……皇帝殿の命令だからな」

 ルイは備え付けの机の椅子に座って手と足を組み、小さくため息をついた。
 ため息のわけ。
 それはとある人探しを手伝う為に、ルイがしばらく旅に出なければならないと言う事。それはカイムにとって余りに突然な事だった。いや、突然過ぎた。
 上手く飲み込めず、思わず言葉が口をついて出た。

「どうしてルイなの? 他にも……」
「……実は、な。エルディアが関係しているらしいんだ。お前も知ってるだろ? オレがエルディアに関して調べてる事」

 まるで子供のわがままのような言い分に、ルイは困ったようなどうしようもないようなそんな曖昧な表情を浮かべて言った。確かに、変わり者の多い騎士団の中でもエルディアについて調べている人はルイしかいない。
 ……空中都市遺跡エルディア。この世界の支配者的な存在だと聞いたことがある。その名の通り空中に浮遊する巨大な都市遺跡らしい。らしい、と言うのは姿を見た者はほぼ例外無く失踪するからだ。
 ごく一部の者は半ば廃人となってこの世界で過ごしている。一度廃人と化した目撃者に会ったことがあるが、正直、二度と関わりたくない。

「そこで、だ。皇帝陛下にお前の話をしてみたら記憶を取り戻せば今までの記憶喪失者の謎も解けるかもしれない、との事だ。……お前ももうそろそろこの世界を見て回ってもいい頃だ。続きは、分かるな?」
「……」

 記憶を取り戻す事と、世界を見て回ってもいいと言うルイの発言。それらを等号で結べばおのずと答えが出てくる。
 ルイは静かな瞳で僕をじっと見つめ、淡々と言う。

「ただし相当の覚悟を決めた方がいい。簡単に頷いていい問題じゃないんだ。下手をすればお前がこの一ヶ月の間に手に入れたものを全部失うかもしれない。命を落としたっておかしくないんだ」

 そこで一度言葉を切って、続けた。

「……勿論行きたくないのならそれでいい。お前の自由だ。オレは明日の朝、依頼人と出発する」

 最後にそう付け加えると、ルイは立ち上がって座っていた椅子を元に戻してから部屋を出て行った。





 部屋に乱立する卵達を前に、レベルは一つため息をついた。
 黒い水晶の様な卵は一見硬質に見えて実際はかなり弾力性に富んでおり、ちょっとやそっとの衝撃では壊れない。例えるならカナヘビの卵のような物だ。
 元々大量の栄養を必要とする生命の卵は内部にそれこそ大量の栄養を蓄えており、それゆえ外敵も多いことから物理的に破壊されにくい構造になっているのだろう。早い話が厚さ一センチのガラス板とゴム板の上に鉄球を落として果たしてどちらが耐えられるかと言った所だ。

 卵の内側の安らかな幾つもの寝顔《シニガオ》を眺め、レベルは再びため息をついた。
 ため息の似合う、女である。

「……革命は正義である……か」

 吐息のような独り言に応えるように、卵に繋がれた無数の栄養供給装置がゴポリと泡の浮かぶ音をたてた。
 彼はそんな彼女の後ろ姿をしばらく眺めていたが、やがてゆっくりと歩み寄る。

「これはこれはレベル殿。貴女がこのような場所にいらっしゃるとは珍しい。如何なさいました?」

 闇すらも震わす水音の様な澄んだ声に、レベルはゆっくりと振り返る。

「ナイアルラトホテップ様……貴方こそ、このような場所に何故?」

 彼は、もとい声の主であるナイアルラトホテップは闇から抜け出したかの様に黒い髪を微かに揺らして笑う。
 闇を梳いたかのような黒髪に全てを飲み込む同色の瞳、そして対照的に女性であるレベルよりも病的なまでに白い肌という外見は何処か不気味さを含んでいた。

 ナイアルラトホテップはレベルの隣に立ち、彼女が見上げていた物を同じように見上げる。比較的女性として背の高いレベルとナイアルラトホテップと視点はほぼ同じだった。

「……ナイアルラトホテップ様はご存知でしょう? ミラさんの予言を」
「ああ、勿論」
「信じているのですか? 彼等が此処まで辿り着くと」
「当たり前じゃないか」

 はっきりと断言するナイアルラトホテップの口調にレベルは微かに眉をよせる。

「宿命なのだから」

 ナイアルラトホテップは口の端を不気味に歪めて嗤う。
 その表情を複雑そうな目で眺めていたレベルだったが、やがてゆっくりと口を開いた。

「……私は……従えば良いのですね」



あのあおぞらをもういちど

2011-09-24 10:31:42 | 名も無きシリーズ
『あのあおぞらをもういちど』






 ある種殺人的だったあの寒さはいつの間にか春風にさらわれてしまったようで、心地好い風が草原を吹き抜けていた。冬という季節が過ぎ去ったとはいえ、今だに残る不安定な気温を拡散してくれる風はどこか甘い花の香を含んでいる。


 広い草原、その向こうに広がるのは和やかな風景。
 小さな木製のテーブルと椅子が並べられ、人形の様な少女がお茶会を開こうとしているある種童話じみた光景だったアンティーク調の椅子にゆったりと腰掛けた金髪碧眼の少女の纏うワンピースは淡い空色で今にも空に溶け込みそうだ。
 ふと彼女はこちらに気づき、花の咲く様な笑みを浮かべた。

「………こんにちは」
「……サラ?」

 サラ、と呼ばれた少女はニコリと柔らかく笑って優雅に一礼した。
 彼はそれを見て淀みない笑みを浮かべて彼女の向かいにある、彼のために開けられていたような席に座った。


「待ってたんですよ? あ、今お茶入れますね」


 懐かしい旧友に再開したかのように表情を綻ばせ、サラはぱたぱたと………角度の関係で見えていなかったらしい小さなログハウスへと走っていった。
 しばらくして出て来たサラの手には銀色のトレイ。
 その上にはガラス製の綺麗なコップに入ったアイスティーらしき飲み物とチーズケーキ(らしきもの)があった。
 彼はアイスティーだけを受け取るとチーズケーキ(?)は丁重に断った。サラはお菓子作りだけは壊滅的に壊 滅 的に苦手なのだ。
 現にチーズケーキは若干赤色が混じっている。
 そして本人は完全なる無自覚だ。
 死にたくない一心でサラの無邪気な笑顔に罪悪感と胸の痛みを覚えつつもケーキを断り抜くと、アイスティーを口に含んだ。
 砂糖もミルクも入っていない、澄んだ色のそれは程よい苦みを持って喉を流れ落ちていく。

「むぅ…ケーキが無駄になっちゃいましたです…」

 年齢の割に舌ったらずな中途半端な敬語で困ったように呟くサラに彼はどうしようもない無力感すら覚えた。

 その後、彼とサラは色々なことを話した。
 取り留めのないこと。下らないこと。瑣末なこと。
 その1つ1つを取ってみれば実にありふれていて面白みに欠けるものでしかない。
 だが、それらの1つ1つが何故か楽しくて堪らなかった。
 久々に出会った友人に色んな話がしたくなる、その感覚によく似ている。


 やがてサラが2つ目のケーキに取り掛かり初め、2人のアイスティーも半分程になったころ、不意に彼が切り出した。

「ねぇ、サラ」
「なぁに?」
「君……本当に、サラ?」
「…………?」
「……だって……だって
 サラは…サラは死んだはずなんだから」


 ざぁっ……、と風が草原を吹き抜け、サラの金髪が一度静かに靡く。
 いつしか彼女の笑みは歪になっていた。


「……………」
「僕だってこんなの信じたくない……でも……事実なんだ。これが夢だって分かってる。サラ、君は……」
「……知ってますよ? そんなこと。だってわたしは」



 ここで一度言葉を区切ると、サラは胸にそっと手をあて俯いて言った。


「あなたに殺されたんだから」


 空気が音を立てて凍りついた。
 サラの言ったことを理解するのに10秒と少し。
 声を忘れてしまったような喉から掠れた声が漏れるまで30秒弱。

 そして、コンクリート詰めの時間が動き出すまで1分強。
 そのわずか2分にも満たない時間は彼の呼吸と思考を止め、理性を真っ白に漂白するには十分過ぎる時間だった。



「…………え……」
「その様子だと忘れてるみたいですね………何度でも繰り返します。それが事実だから。“わたしはあなたに殺された”」
「う、そ………嘘……っ」
「いいえ、嘘ではありません。“わたしはあなたに殺された”
 そしてこの世界は現実ではなく、あなたの身勝手なただの夢です。夢から醒めればこの世界も、わたしも、あなた自身も消えてしまいます」


 私たちはこの世界を成り立たせる為のちっぽけな歯車に過ぎないんですよ? と、サラは続けた。
 穏やかで優しかったはずの春風はいつしか冷たさを伴う暴力的なナイフとなり皮膚を切り裂いていった。
 その皮膚が切り裂かれる痛みより、サラの悟りきった表情と断言された事実が何より鋭く彼の胸を裂いていく。反射的に立ち上がり、よろめくようにして後ずさる彼を慈しむようにサラは眺めて告げる。


「あなたは夢の中の人……夢が醒めれば存在は否定されてしまう。所詮は存在しない歯車……それはわたしも同じ……」


 何よりも残酷な現実を


「もうすぐ夢もおしまいです。……さようなら」


 別れの時を


「待っ…………!!」


 咄嗟に抱き寄せようと、失うまいと伸ばしたその腕は触れることすら許されず、虚しく虚空を抱いた。サラはなんの前触れも無しに、一瞬の内に掻き消えてしまっていた。
 彼の腕の中に残ったのは、小さな小さなビー玉程のシャボン玉だけ
 そのシャボン玉すらも、手の平が掠めるように触れただけでなんの手応えもなく壊れてしまった。
 跡形もなく。泡沫のように


「…………ぁ……ああ……」


 呆然と腕の中にただ虚しく残る虚空を見つめ、やがて地面に崩れ落ち、慟哭した。


「わああぁあぁあああぁぁああああぁあああぁぁああぁああああぁああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


 跡形もなく消えた彼女に対して浮かぶ感情は、幾億もある言葉を用いても形容しきれない。
 いや、何かになぞらえようとすること自体過ちかもしれなかった。

 彼は涙を零すことも出来ず、ただ叫んだ。

 人は悲しいときに、嬉しいときに、または悔しいときに涙を零す。
 だが、人が泣くことが出来るのは心に余裕があるときだけだ。

 愛する者が目の前で何の前触れも無く殺されたとき。
 絶句し、絶叫して、パニックに陥り子供の亡骸に縋りつく。
 長年の親の仇を辛酸を嘗めた挙句に討ち取ったとき。
 声を失い、立ちすくんで、何度も何度も現実を確認する。
 心を許していた、誰よりも信じていた親友に裏切られたとき。
 愕然とし、呆然とし、裏切りを理解しきれずただうろたえる。

 人間は本当に悲しいとき、嬉しいとき、悔しいときは泣くことを忘れるほど頭が真っ白になるのだ。

 それならば、今の彼はその状況だった。



 もう2度と繰り返すまいと誓った過ちを、苦しみを繰り返してしまった現実に、彼はただ慟哭するしかなかった。
 自分が、じきに消えてしまう無力な歯車だと知りながら





 屋上で彼の姿を見つけた時、思わず声をかけるのを躊躇った。
 いつにも増して纏う雰囲気が重い。

 時折、彼は重く誰も近づけないような空気を背負っていることがある。
 しかしそれも極稀なので知らない者の方が多い。知るものはおそらく片手にも満たないだろう。
 悟りきったような諦めの表情を浮かべ、柵に両肘を乗せて虚空を見つめている彼にどう声をかけるべきかしばらく悩んだ末に、彼女は無言で彼の隣に立った。


「……ネ…どしたの?」
「……」


 彼女はさりげなく彼の表情を窺い、ぎょっとした。
 彼は目を真っ赤に泣き腫らし、虚ろな表情で彼女を見下ろしていた。


「何かあったの?」
「何でも……ない…ちょっと昔の事を思い出しちゃって…」
「………」
「……ねぇ、人を……殺したこと、ある? それも自分が愛した者…守るべき者を…」


 数秒の後に、彼女は「無いよ」と返した。
 彼は「そっか」とだけ言うと、再び沈黙する。


「僕が、サラを殺した」
「サラちゃん……? ……彼女は病気だったの……そう言う運命だったのよ」
「違う。僕が殺した」
「……どうして…」


 サラ、と言うのはとある少女の名前だ。
 サラはこの広い館の一角の無菌室で生きていた、否、生かされていた。
 生まれてから一度も日の光を見たことが無い故に陶磁器のように色の白い、気立ての優しい人気者だ。

 ただし彼女に会うには分厚いガラス越しでしか顔を見ることすら出来なかった。
 話すと言えば館の中の内線電話を使うしかなく、隔離された人間だった。

 そして、彼とサラは仲が良かった。
 大した用も無いのにサラの病室の前を顔を見るためだけに1日に何度も行き来しては手を振ったりしているところを見かける事も多かった。
 ……そういえば。あの日からだったかもしれない。
 皆がおかしくなっていったのは……。


「サラは……サラは病気だった。外の空気に触れては駄目だから隔離されていた。そんな簡単なことも分からずに…僕は……サラを、外に、連れ出した」
「………」
「僕の……僕のせいで…っ!! 絶対に許されるはずがない…何度も夢に出て来るんだ…恨まれて当然のことをしてしまった!!」
「……ゴメンネ。私は、その、タイセツナヒトなんていたこと、ないから何も言えない」


 サラが、死んだ、あの日。
 皆おかしくなってしまったのだ。
 ありもしない不老不死なんて追い求めて、挙句この世界の創造主なんて大層なもの怒らせて。それから、こんな箱庭に閉じ込められた。
 望んだ、不老不死と言う出口のない閉じた箱の中に。

 











空はどこまでも青く、高い
青空のもと、彼女は夢の中でまだ笑っているのだろうか
誰もいなくなった草原で彼を待っているのだろうか
彼は彼女をこれからも夢に見続けるのだろうか
彼女は彼を恨んでいるのだろうか
運命の歯車はどこから狂いだしたのだろうか
彼の見つめる虚空はどんな幻想<アクム>を描くのだろうか
彼は何故彼女を連れ出したのか
彼女は彼をどう思っていたのか
彼も彼女も黙した今、全てを知る者はどこにもいない







          『嗚呼、なんて残酷なセカイ!』




『あのあおぞらをもういちど』/黒糖風味(当時火鉈)作
文芸部誌 2011年度新春号掲載作品

キャラ・用語解説集

2011-09-19 21:38:37 | 小説

―用語集―


・空中都市遺跡エルディア

空中に浮遊する古代の都市遺跡。決してラピ●タではない。
地下は実験・研究・書庫施設。
地上1~11階は居住区。
最上階は会議場と言う構成。

小難しい話、核はあるが浮遊を促すものではなく、制御する物である。
浮遊の力は全体に働いている模様。しかし核の制御により物や人は浮かない。


・エルディア空中議会

エルディアに住まう7人が定期的に開く議会のこと。
12年に一回を1周期としているが緊急事態が起こった場合はすぐに収集される。
議会で話し合われる内容は生態系の存続、国家の存亡、大罪人の処刑とまちまち。
議長はナイアルラトホテップ。


・生命の卵

人為的に生命を生み出す円環装置。
預言書が世界を縛る引き金ともなる悪魔の発明。


・ミラの預言書

議員の一人であるミラが書いた狂気と破滅の預言書。
一度は破棄されたが、つい最近になって預言書が効力を発揮し始めた。


・ワールド

エルディアに観察される対象・もとい全ての物語の舞台。



―人物集―


・ナイアルラトホテップ(Nyarlathotep)/男

エルディアの議長。
闇のような漆黒の髪に瞳が特徴的。顔立ちは氷のような怜悧さを感じさせる。
肌は病的なまでの白色で、背はあまり高いほうでない。


・アノニマス(Anonymous)/?

エルディアの副議長。
頭頂から爪先まですっぽりと覆い隠す夜色のコートに隠れて表情は伺えない。
体格は子供であるが、口調は年老いた女性のもの。


・ブリガンテ=アウトクラシア(Brigante=Autocracia)/男

議員の1人。
短い燃えるような赤髪に同色の瞳。略奪者の名に恥じない強面の風貌。
議員の中で一番体格がよく、筋骨隆々。


・ミラ=ディスティーノ(Mira=Destino)/女

議員の1人。
見目麗しい膝まで伸びた金髪に深緑の瞳。物憂げながらも母親のように穏やかな顔立ち。
背はあまり高くない。預言書を書き上げた当人。


・ヴァイゼ=セルカトレ(Weise=Cercatore)/男

議員の1人。
肩辺りまで伸ばされた銀髪にシルバー交じりの黒い瞳。表情の無い冷え切った雰囲気を漂わす。
予言の発端になった『生命の卵』を人為的に魂を生み出す装置に作り変えた人物。


・シュバリエ=ガルディエン(Chevalier=Gardhien)/男

議員の1人。
空色の髪にややシルバー混じりの同色の瞳。顔立ちは子供らしさが残っている。
礼儀を重んずる騎士で人間味が強い。


・レベル=ユースティティア(Rebell=Justitia)/女

議員の1人。
腰まで伸びた茶髪に紺色の瞳。ナイフを連想させる少年に近い冷淡な顔立ち。
相棒の黒龍と共に行動すると、様々な面で他の議員達とは一線を引いている。



・イザベル(Jezebel)/?

ワールドで行動する情報師。非常に謎が多く、何やらエルディアと関わりがある模様。
外見は茶髪に青い瞳。それ以外には正確な年齢や性別すら掴ませない。かなりの美形ではある。
何やら妹らしき人物がいるらしい。


・リベルタ(Liberta)/女

謎多き女性。やることはまちまちで暗殺だったりスパイだったり。
サイドで括られた腰まであるピンク色の髪に蟲惑的な紫の瞳。顔立ちはまだあどけない。