これからの話はかなり重い内容です。重度のうつな方や堕ちている気分のときは、読み飛ばしてください。
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全ては最初から躓いていた。
打ち合わせがなかなか終わらなくて、自分のところだけ報告して急いで着替えして、駅へと急いだ。
駅前の駐車場にクルマを入れる。
まだ、電車は着ていない。
時間に余裕がないので、階段を急いで下りて駅への道を走った。
慣れないブーツを履いていたためなのだろう、思いっきり転倒してしまった。
かばんの中身が外へ放り出された。
散らばる書類、ノートPCも落ちた。
iPodも落ちた。
おまけに膝を擦りむいて、買ったばかりのユニクロのブーツカットのジーンズの膝のところが破れた。
かばんの中身を入れなおしてるうちに電車が到着。
俺を置き去りにして電車は去っていってしまった…
翌朝。
実家で寝た俺は母の入院している病院へ向かった。
途中のコンビニで母の好きなヨーグルトを買っていった。
病室へ行くと、母の姿が見当たらない。
看護師さんに聞いて、病室を教えてもらう。
201号室。
ナースセンターの隣の4人部屋。
向かいは処置室である。
母は熟睡していた。いや昏睡というべきか。
鼻にチューブを差し込まれ、酸素が送られていた。
ブドウ糖類の点滴。
介助してくれる看護師さんに様態を聞いてみると、数日前から食事ができなくなったそうだ。
鼻のチューブから栄養剤を胃に送り込んでいるらしい。
名前を問いかけても、返事はほとんどないとのこと。
思った以上に様態は悪化していた。
息子であることを告げ、先生を呼んでもらった。
いつもの主治医ではなく、若くて元気のいい長身の先生がやってきた。
CTスキャンの脳の断面図を見ながら説明してくれた。
先生の話は専門用語が多くて難しい。
手術した腫瘍は大きくなっていなく、放射線治療の効果はあったようだ。
しかし、後頭部上面に新たな腫瘍が大きくなっていて、7~8cmの大きさである。
脳幹からは離れているので、すぐに様態は悪化しないらしい。
しかし、まわりに浮腫が育っており、それが脳室を圧迫して麻痺させているらしい。
こう芽腫の中では長生きしている方に入るらしい。
存命はもってあと1ヶ月。
それまでに急変することもある。
「先生、母は痛みは感じないのですか?」
「もうそういう感覚はないと思ってください。」
「夢とか見るのでしょうか?」
「たぶん、見れないでしょう…他に質問はありますか?」
そこまでだった。
俺はもう言葉を失くしていた。
高齢のため、無理な延命措置はお願いしない方針で兄弟話し合っいた。
たぶん、逝くときには会えないだろう。
安置室にいる母と対面することになる。
先生が出て行った後、呆然としている俺に向かって看護師さんが優しく、
「大丈夫ですか?」
と問いかけてくれた。
言葉が頭の中を流れていく。
記憶に残っているのは、
「人間の機能で最後まで残っているのが耳なんです。だから、反応がなくてもわかっていると思うから話しかけてやってください。」
ということだった。
用済みのヨーグルトを俺の胃に流し込む。
味がしない。
寝たままの母をそのままにして、電車に乗り本家の菩提寺に行った。
電車を降りて観光案内の地図をもらい、菩提寺の場所を確認する。
ココロの中にぽっかりと大きな穴が開いたようだった。
スキマを埋めるには音楽を垂れ流すしかなかった…
せつないビートが鼓動を揺らす。
歩きながら、何にも考えたくなかった…
20分ほどで菩提寺に到着。
境内の中は静寂に包まれている。
iPodの電源を落とし、墓の中を歩く。
墓場には音楽は不要だ。
程なく本家の墓を見つけ出した。
卒塔婆に名前があったのでわかった。
ふと目をそらすと、無縁仏なのだろう、昔の墓がまとめて片付けられていた。
今度は両親が買った墓地を見に行こうとした。
狭い商店街を歩いていると、葬儀相談の立て看板が目に入った。
まだ時間があるし、話だけでも聞いておこうと思い、中に入った。
一昔前の応接セットのような空間に一人の中年の男性がいた。
母の病状を告げると、中に案内された。
不安な気持ちを隠さず、亡くなった後の流れを教えて欲しいと言った。
安置室から自宅へは自分で運ぶ必要がある。
一番安上がりな方法は身内だけで行う家族葬だということ。
母は職に就いたことがなく、人間関係も兄弟くらいしか思い浮かばない。
ひっそりと送ってやるのもいいかもしれない。
ここ一年くらいグループホーム暮らしで隣近所との付き合いも疎遠になっている。
そうは言っても自治会長には連絡を入れるようにといわれた。
何か手伝いましょうかと言われたら、受付の手伝いくらいをお願いしなさいと。
全部断るのも、あまり良くないそうだ。
あと必要なのはお寺へのお布施。
お坊さんを何人呼ぶか、称号のつけ方によって値段が違ってくる。
宗派を問わない、明朗会計なお寺を紹介してもらった。
お布施の内訳が一覧表になっていた。
ここまで内容を明らかにしてくれるところはそんなにないらしい。
これから両親が買った墓地に行くんだと言うと、クルマで案内しますよと言ってくれた。
ご好意に甘えることにする。
今日はもう商売は終わりにするみたいで、店の電源を落とし、隣のお店に一声掛けてから、駐車場へ向かった。
クルマは通いなれた道から小路へ入っていく。
山のふもとに墓地はあった。
公営の墓地のようだ。
区割り表に父の名前を探す。
名前を見つけると、一安心した。
実際にその場所に行ってみる。
そこは1.5m平方程度の更地に父の名前の短冊が刺さっていた。
場所をココロに刻む。
帰りながら、その人はこの墓地には昔のタイプの墓が多いという。
時間はあるかときかれたので、あると言ったら、石材店に案内された。
最近の墓は掘り返さなくても良いように納骨のスペースがロウソク立ての奥にある。
洋墓のタイプもあり、新鮮だった。
石の固さによって値段が違う。
硬いものほど水を通さず、長持ちするのだそうだ。
そのあとグループホームまで送ってもらった。
クルマでないととても回りきれなかったので、とても感謝している。
礼を言ってグループホームの玄関で別れた。
自分の名前をインターホンで言って鍵を開けてもらう。
父は前よりもまた太ったみたいで、体は健康そうだった。
しきりに外へ出たがる。
訳を聴くと、自分の故郷へ帰りたいという。
なんとかなだめようとするが言うことをきかない。
そのうち持ってきたポリ袋と、肩下げのかばんの紐に興味が移った。
どうしてもその二つを一緒にしたいらしい。
ポリ袋の口を固く結び、その場所へかばんの紐を通そうとする。
別々の方が持ちやすいといっても、父の中ではその二つは一緒にしなければ納得がいかないらしい。
しばらく言い合いながら、なだめる。
ホーム長に電話で母の病状を報告した。
入院したあと母は退所の手続きをとっていたが、一応介護士達に連絡してくださるそうだ。
しばらく父とふれ合った後、グループホームを後にして再び病院に向かう。
母は目覚めていた。
でも、声を掛けても、反応してくれない。
手を握っても、握り返してくれない。
だが、一瞬目が合ったように思えた。
母はまだ生きようとしている。
何か言いたそうに思えて、口元に注力したが、呼吸を荒げるだけ。
そのうちあくびをして、眠っていった。
隣のベッドでのたわいない会話が嫌でも聴こえてくる。
母とはもうそういう触れ合いができなくなってしまった。
妬ましい気持ちが芽生える自分が嫌になってきた…
一ヶ月前は食事の介助もしてあげられたのに…
そっと手を握ったまましばらくいた。
母の手はあたたかい。
母はどういう気持ちで病気と闘っているのだろうか。
脳の病気は恐ろしい。
カラダはとても健康そうなのに、自由がきかなくなる。
眠っている母にそっと
「また来るからね。」
言って、病室を後にした。
ナースセンターに寄ってみると誰もいなかった。
バイタルのモニタがあり、そのひとつに母の名前を見つけた。
すこしゆっくりだが、元気そうに脈動している。
部屋に入ると、ナースコールがかかるようで、看護師さんがやってきた。
「今日はこれで失礼します。来週また兄か姉が来ますので、よろしくお願いします。」
と挨拶して病院を後にした。
一日が長かった。
食欲があまりない。
でも、食べないとカラダが持たないので、コンビニでパン類とお茶を買って電車に乗り、実家へ戻った。
音楽を聴いていないと、どうにかなりそうだ。
こんなにカラダに染み込む感覚は初めてだ。
NO MUSIC,NO LIFE
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ここまで読んでくれたあなた、ご苦労様。
今夜も眠りたくない。
それでも明日はやってくる。
明けない夜はないさ♪
…なんてね。