花音のお一人は、ボランティア語り部として民話や童話を小学校などで巡演されています。これまで、いろいろな民話を稽古しに来られました。素朴なお話の中にもシニカルなもの、からっとした笑いがあるもの、教育的なものいろいろあって、いつの間にかふとお話を思い出すときに、彼女の声と表情でそのお話を思い浮かべるようになりました。
私は、自分のレパートリーとしてこの分野を朗読することはなくて、彼女のお稽古の題材として民話を聞き、読みます。
こんなサイトを見つけました。
「民話って何だろう? 身延の民話」
「民話とは何か」
この中に“民話は、民衆が文芸として創り続けて伝承するもの”とあります。納得しました。口承(こうしょう)で伝えられていくお話は、やはり少しづつ時代や話す人によって変わってくるのでしょうね。
ちなみにWikipediaの民話はこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/民話
今回、岐阜県と岩手県の伝説、民話を持って来られました。
◉ 岐阜県の民話は、「みそかいばし」飛騨高山の伝説。山々の折り重なる情景から始まります。沢上(そうれ)という村の名前が美しい。
『味噌買い橋』
https://sanpo.asanoya.jp/hanashi/misokaibasi/
◉ 岩手県の民話は「極楽にいったばさま」 こちらは、ざっくりとあらすじを書きます。
貧乏暮らしで、体も弱くなってきてホトホト困った婆さま(ばさま)が、「早く極楽さ連れてってけろ」と熱心にお寺参りをしています。何度も何度もジャラジャラとお参りをする婆さま。投げた一文銭には麻糸が通してあって、お参りのたびに賽銭箱に投げ入れては、糸を手繰り寄せて、他の都に入れて持って帰るを繰り返す。婆さまは、オラは貧乏だから阿弥陀さまもばちを当てないだろうと言って帰ってゆくのです。和尚さんは長いことジャラジャラ音がしたので、ホクホクして賽銭箱を見ると、空っぽ。頭に来た和尚さんは、小僧に 「あの婆さまがきたら、俺はいないと言え」 といって天井裏に隠れます。婆さまがやってくると、和尚は阿弥陀さまのふりをして「婆よ、極楽へゆきたければその木に登れ」という。婆さまは、涙を流し喜びながら木にのぼった。和尚は続けて「婆よ左の手、離せ」「婆よ右の手、離せ」というと、婆さまはその通りにして、木の下の池にドボンと落ちてしまう。すると光とともに五色の船が現れて、婆さまを連れていった。それを見ていた和尚さんは、小僧に向かって「俺もあれに乗りたいから、自分が婆さまに言ったように言え」と言い、桜の木にぐんぐんのぼり始める。やがて、小僧は「和尚よ、右の手離せ」「和尚よ、左の手離せ」といい、順番に手を離した和尚さんは婆さまと同じように、池にドブンと落ちて沈んでしまったと。和尚さんには、貧乏な婆さまの時のように、五色の船は現れなかったんだと。 とっちぱれ___。
最後の結びは「とっちぱれ」で落とします。おっとりした岐阜県のお話とはちょっと違いますね。
私の世代はきっと、ドリフのコントを思い出すのではないでしょうか。コントはしっかり台本があって、そこからアドリブも飛び出して面白い。
舞台で演じるそのままをTV 中継していましたよね。舞台の照明が落ちて、懐中電灯でコントをしていた回を思い出します。その時の裏方さんが、私の出演したお芝居で舞台監督をされていた時があって、舞台裏は修羅場だったと伺いました。あの番組はオープニングがあってコントの後は歌謡ショー、教会、体操、ひげダンス、と次々場面が変わってフィナーレ。一つの舞台の上で1時間でやるのですから、きっと舞台裏は平台が飛んでいたかもしれません。
・・・お話を戻します。
海外の様々な童話もレパートリーにされる彼女ですが、これらもしっかり頭に入れて(暗記)いつも当然原稿をみないで語ります。
好きだからこその、努力。そして、その好きなことを社会貢献へと繋がれていて、素敵だなと思っています。
もう一人の花音のメンバーは広島県、瀬戸内海に浮かぶ無人島、敷島(引き島)の伝説で山下明生さんのご本を読んで下さいました。
「島ひき鬼」 島をひく、鬼の話。なんとも哀しい鬼の声が、海と空の青さに滲んで、広がってゆきます。美しい瀬戸内海に浮かぶ無人島のひとつ、敷島(引き島)は鬼が引いてきたという伝説があるそうです。
感想バロメーターというものを見つけまして読みますと、感想って人それぞれで面白いと思いました。共感したり、?と思ったり思わず笑ったり。
『島ひき鬼』
◉ 岩手県の民話は「極楽にいったばさま」 こちらは、ざっくりとあらすじを書きます。
貧乏暮らしで、体も弱くなってきてホトホト困った婆さま(ばさま)が、「早く極楽さ連れてってけろ」と熱心にお寺参りをしています。何度も何度もジャラジャラとお参りをする婆さま。投げた一文銭には麻糸が通してあって、お参りのたびに賽銭箱に投げ入れては、糸を手繰り寄せて、他の都に入れて持って帰るを繰り返す。婆さまは、オラは貧乏だから阿弥陀さまもばちを当てないだろうと言って帰ってゆくのです。和尚さんは長いことジャラジャラ音がしたので、ホクホクして賽銭箱を見ると、空っぽ。頭に来た和尚さんは、小僧に 「あの婆さまがきたら、俺はいないと言え」 といって天井裏に隠れます。婆さまがやってくると、和尚は阿弥陀さまのふりをして「婆よ、極楽へゆきたければその木に登れ」という。婆さまは、涙を流し喜びながら木にのぼった。和尚は続けて「婆よ左の手、離せ」「婆よ右の手、離せ」というと、婆さまはその通りにして、木の下の池にドボンと落ちてしまう。すると光とともに五色の船が現れて、婆さまを連れていった。それを見ていた和尚さんは、小僧に向かって「俺もあれに乗りたいから、自分が婆さまに言ったように言え」と言い、桜の木にぐんぐんのぼり始める。やがて、小僧は「和尚よ、右の手離せ」「和尚よ、左の手離せ」といい、順番に手を離した和尚さんは婆さまと同じように、池にドブンと落ちて沈んでしまったと。和尚さんには、貧乏な婆さまの時のように、五色の船は現れなかったんだと。 とっちぱれ___。
最後の結びは「とっちぱれ」で落とします。おっとりした岐阜県のお話とはちょっと違いますね。
私の世代はきっと、ドリフのコントを思い出すのではないでしょうか。コントはしっかり台本があって、そこからアドリブも飛び出して面白い。
舞台で演じるそのままをTV 中継していましたよね。舞台の照明が落ちて、懐中電灯でコントをしていた回を思い出します。その時の裏方さんが、私の出演したお芝居で舞台監督をされていた時があって、舞台裏は修羅場だったと伺いました。あの番組はオープニングがあってコントの後は歌謡ショー、教会、体操、ひげダンス、と次々場面が変わってフィナーレ。一つの舞台の上で1時間でやるのですから、きっと舞台裏は平台が飛んでいたかもしれません。
・・・お話を戻します。
海外の様々な童話もレパートリーにされる彼女ですが、これらもしっかり頭に入れて(暗記)いつも当然原稿をみないで語ります。
好きだからこその、努力。そして、その好きなことを社会貢献へと繋がれていて、素敵だなと思っています。
もう一人の花音のメンバーは広島県、瀬戸内海に浮かぶ無人島、敷島(引き島)の伝説で山下明生さんのご本を読んで下さいました。
「島ひき鬼」 島をひく、鬼の話。なんとも哀しい鬼の声が、海と空の青さに滲んで、広がってゆきます。美しい瀬戸内海に浮かぶ無人島のひとつ、敷島(引き島)は鬼が引いてきたという伝説があるそうです。
感想バロメーターというものを見つけまして読みますと、感想って人それぞれで面白いと思いました。共感したり、?と思ったり思わず笑ったり。
『島ひき鬼』
https://bookmeter.com/books/422993
感想の多くは、鬼がかわいそう、悲しい、しみじみ心に染みる、とありますが子供さんのこんな感想も。/小3の娘。ひとりよみ。しまひきおには、ちょっと頭が悪かったと思います/
こんな感想もありました。
ただ、朗読として声で伝えた時、どんな感想が出てくるかは、黙読から来るものとはまた違うと思うんです。
今年もよろしくお願い致します
感想の多くは、鬼がかわいそう、悲しい、しみじみ心に染みる、とありますが子供さんのこんな感想も。/小3の娘。ひとりよみ。しまひきおには、ちょっと頭が悪かったと思います/
こんな感想もありました。
ただ、朗読として声で伝えた時、どんな感想が出てくるかは、黙読から来るものとはまた違うと思うんです。
今年もよろしくお願い致します