晴れてもまだ気温が少し低いようですね。ほんわかな、春の気候まであとすこし__ 。めだかもまだ水が冷たいので、睡蓮鉢の底で小さな泡をはいていることが多いです。
<色々な作品に触れること、読む・声にする>
週末から今週にかけて『八木重吉の詩』、林芙美子、宮澤賢治、民話、夏目漱石、森鴎外、モンゴメリ、そして永井荷風作品を読みました。それぞれの作家が、まるで自分に寄りそって、話しかけてくれるようなのです。さまざまな言葉や表現をとおして、私の眠っている感覚がひらいて、世界がひろがってゆきます。お稽古しながら、作品について生徒さんと話している時間はとても豊かな時間です。
私自身が作品朗読をするときも、描かれる世界観がかなり大きく違った作品を朗読していますが、__ この振り幅の大きな違いの中を旅することがまた、私にとっての喜びにつながっています。どんなに違っていても、とくに混乱することもありません。むしろ自分が、たくさんの作家の言葉におそわり、感覚が磨かれ育てられている、と感じています。
<生徒さんと読み進めている、八木重吉の詩>
今夜、生徒さんと読んだ詩です。ここしばらく、一緒に読みすすめている詩集です。
◇ 八木重吉「貧しき信徒」より三つの詩をご紹介します。享年29才若い詩人の言葉。前回は桜の詩をご紹介しましたが、今日はすこし陰鬱です。病で衰えゆく肉体を持つ詩人はそれでもなお、美と生をうたう。
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『冬』 八木重吉(貧しき信徒より)
悲しく投げやりな気持ちでいると
ものに驚かない
冬をうつくしいとだけおもっている
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彼は結核で、29才で亡くなります。肉体は日に日に衰えてゆく。こんな身体の状況の中、感情ももはや動かず。ただ冬のうつくしさだけをみている。肉体が動かなくなってきても、詩人の魂はむしろ輝きを失わない。
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『冬日』 八木重吉(貧しき信徒より)
冬の日はうすいけれど
明るく
涙も出なくなってしまった私をいたわってくれる
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冬日とは、冬の太陽の光のことをいうようです。朗らかな春、夏の直射、秋の憂いとは違う、冬の日差しのどこか白い明るさが、身体に沁みてくる詩です。
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『神の道』 八木重吉(貧しき信徒より)
自分が
この着物さえも脱いで
乞食のようになって
神の道にしたがわなくてもよいのか
かんがえの末は必ずここへくる
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自分はこれで良いのかと、常に自分の精神に向き合い、自分に問うている、その姿勢。彼にとっての『神の道』は『詩を生む』こと、のように聞こえてきます。ひたむきに詩をかくことは、神の道を歩くことなのではないでしょうか。詩人になると宣言し生きることは、神様と約束したことに等しいのではないでしょうか。
「ひたむき」は「直向き」と漢字になる。__確かに彼は『神の道』を歩いていた。そうです、いかなる苦しい時でもまっすぐに言葉を紡いで生まれた、彼の『冬』や『冬日』や多くの作品。その目を濁らせることなく、ひたむきに生きて、彼の詩(言葉)は永遠の命を得ました。こうして後世に残り、知らない人々に読まれています。
<7月30日は生徒さんの朗読発表会、ひとりでは得られない感動>
皆さんとそれぞれの演目をえらんで、練習が始まっています。ドキドキしながらも、モチベーションもあがっていらっしゃるのを感じています。
毎日の暮らしの中で自分の時間を作り、朗読を続けてきた皆さんの朗読会は、きっとすてきな交流の場になると思います。ひとりでは得られない感動が、きっとここにある。だから__ そのお手伝いをさせて頂くことが、私はとても嬉しいです。
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八木重吉『貧しき信徒・秋の瞳』
最後までお読み頂きましてありがとうございました。
<八木重吉について、関連ブログ>