文豪とスポーツ ―ハットトリック太宰治―

太宰はハットトリックを経験。バスケ部織田作は他校バスケ部の少女を恋した。文豪とスポーツの関係を楽しく紹介します。

テニスと川端康成と青春の刑罰

2024-06-28 12:29:17 | 日記

川端康成の短編「父母」の中に、テニスにかかわる美しい表現がある。

「父母」は、軽井沢に滞在中の中年の小説家が、ある夏の日に、雷雨の直後のさわやかな落葉松(からまつ)の林道で、テニス帰りの年頃の少女と出会うところから始まる。その少女は、小説家の若い頃の恋人ゆき子の青春の姿にそっくりだった。

 当時ゆき子は小説家とではなく、他の男性と婚約中だった。しかしゆき子は、小説家と恋に落ちた。二人の関係を知った婚約者は婚約を破棄。その後ゆき子に女の子が生まれ、慶子と名付けられ里子に出され、小説家もゆき子と別れた。慶子は婚約者との子だった。そこで小説家は、結局自分を見限り、慶子までも捨てたゆき子と、ゆき子と慶子を捨てた婚約者への憎しみ、嫌悪、そしてゆき子への未練を捨てきれずにいた。そんな小説家の前に、かつてのゆき子の姿にそっくりな慶子が現れたので、小説家はゆき子に次の手紙を書送った。

「あなたの慶子さんは、今どこにどうしているのか、あなたに分かっているのですか。実にそっくりでしたよ。自転車のうしろにラケットがついていたから、テニスの帰りなんでしょう。追い越されるとたんに、あっと思うと、それはもう乱暴な速さで、風を切って行きました。一直線に落葉松(からまつ)の広い道です。…早口で英語の歌を歌って行きます。…雷雨の晴れた直後です。なんとも爽(さわや)かなものでした。日灼(ひや)けして、むろん思いきり短いスカートで、軽井沢避暑令嬢の眺(なが)めですが、…その少女があなたのあの頃にそっくりであろうとは。」

 小説家はまだ少女を慶子とは断定せず、ゆき子の不安感をあおり、手紙でさらにゆき子をこう責めた。

「慶子の亡霊め。まったく亡霊だったとお思いになりませんか。この自転車の少女が慶子さんだとすれば、十幾年も私たちの心に陰(かげ)をつくっていた慶子さんはです。あなたはあなたの棄(す)てた子供が、可哀想(かわいそう)だ、不(ふ)しあわせだと思っておいでですか。」

 小説家は、露骨にゆき子を責(せ)めが、慶子が里子に出された不幸の責任の一端は、小説家自身にもあると思っていた。小説家は軽井沢でよく見かける西洋の中年女性を見て、次の感想をもらし、過去に起こした自分の罪の反省のきっかけにした。

「西洋の女なんて、年の取り方も知らん人種だ。青春の刑罰の顔、まことに青春の刑罰を背負って歩いてるとしか見えんね。青春の刑罰とは、ただ、今ふと浮かんだ言葉だが、僕らはこれについて一度話し合おうじゃないか。」

 小説家は、慶子に似た少女の姿を、自分たちの青春の刑罰の印として、共有しなければならないと思った。そして、そう思ったときに、ゆき子への愛情が再び燃え上がり、ゆき子への憎しみを上回った。小説家は次の手紙でゆき子にこう書いた。

「あのお嬢さんはテニスがたいへん下手ですよ。可愛(かわい)くて微笑(ほほえ)ませるほど。…ああ、二十年近く以前のあなたにそっくりの少女が、目の前に生きて動いているとは。少女には知らせず、あなたにこれを見せたい。…あなたは感動して、涙を流すでしょう。けれども、その涙は、母が棄(す)てた娘にめぐりあうという哀(あわ)れっぽい人情の涙ではないでしょう。道徳の匂いもないでしょう。なにかたいへん純粋な喜びじゃないかしらん」

 さらに小説家は、刑罰の共有という意識から離れて、見事な一個の少女の輝く命を、二人で鑑賞してみたいという気持ちが大きくなっていく。しかし、小説家は一方で、ゆき子の婚約者だった男に対する憎しみや嫌悪は増していき、こんな手紙を、ゆき子の元婚約者に送りつけた。

「僕を若いと言うのは、君の皮肉だろうか。種々の意味を含めての非難だろうか。君の言う通り若いならば、僕は君の棄(す)てた娘と恋をしても、よろしいか。無頼(ぶらい)の脅迫じみた言い草だね。…僕は慶子とテニスをしたんだ。…無頼(ぶらい)の徒(と)は君の娘を愛せるのが、楽しいだけだ。僕は君に復讐(ふくしゅう)したいつもりは、微塵(みじん)もないのだよ。君は君の血が僕に愛されることを、喜びたまえ。それが父なるものの、哀(あわ)れな運命である。…慶子さんは十八歳だ」

 まさにこれは、元婚約者への脅迫状だった。

そして小説家は、青春のゆき子と慶子を重ねながら、ますます慶子にめりこんでいく。二人は一緒にテニスを楽しみ、親密さをましていった。小説家はゆき子への次の手紙に、こう書いた。

「あなたの慶子さんの魂は、あの、テニスの硬球のように、私の掌(てのひら)をとんとん打って来る、そういう感覚が、今これを書く私に感じられる。…少女の打つボールも、私めがけて飛んで来る青春。それはあなたから、あなたの娘の慶子さんから、私の裡(うち)から、そうして遠い過去から、真新しい矢のように

 慶子という存在そのものが、遠い過去から矢のように飛んできた脅迫状だった。その美しい矢のような脅迫状に、ゆき子も元婚約者も、ひいては小説家自身も、射貫かれても仕方がない、むしろ射貫かれることが、せめてもの贖罪(しょくざい)だと思った。

結局小説家と慶子は別れることになる。小説家は慶子からメモ書きを、ゆき子宛ての最後の手紙にこう書いた。

「少女は賢(かしこ)い伝言を残して行った、東京へ帰ったら、たぶんもうご交際できませんから、よろしく、と。…東京から洋菓子を送ってくれて、そのなかの紙片(しへん)に、少女のテニスのように下手な字で、私は忘れますけど、あなたは覚えていてください、と、ただこれだけ書いてあった」

 「テニスのように下手な字」の永遠の脅迫を、小説家とゆき子は、哀しく嬉しく受け止めたのだった。

《文責 中川 越(手紙文化研究家・コラムニスト 東京新聞連載中 NHKラジオ深夜便・文豪通信・レギュラーとして出演中)》



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