というタイトルを書いて、
自分がどれくらい自己顕示欲が
強すぎるのかを知る。
この世の特別になりたいと
ちゃぶ台の前で無意識は語ってて、
そんな面倒な事は嫌です!と、
意識はお茶をすすりながら言ってて、
感情とその他は意識にうなずいてる。
そんな審議中みたいな状態です。
めんどくせーな、私。
でも、それが大切なのも
よくわかるんだよね。
かなり酷いトラウマを抱えてる人間で
家族以外の暴力は一通り受けてきたし、
学校はいじめと暴力と
被害者になるために通ってたもの
だったので、
色々と歪な私が出るのも、無理はない。
自己顕示欲の強さも
特別製の私でないと
誰にも相手にされないという歪みも
友達や他人に恵まれずに
自分の中の理想がずっと記憶などに
編集されてるのだろうし、
加害を加えた人間の理想や悲しみを
被害者である私に植え付けた
一種の脳のタトゥーなんだろうな、と、
色々と考えるときがある。
そういう意味でも、色々な意味でも、
人間はみんな芸術家で
本当は文明が進んで、
表現は他人を配慮しようって方向に
向かってしまうのではなく、
自己の表現は自分の責任で
どんどん表現していって、
その上でその人の周りの表現や配慮に
影響されていった方が
いいんじゃないかと思うんです。
暴力的な描写が主流になりつつあるのは
配慮やルールや理想を
強制されすぎてて、窒息していそうな
社会や個人が見えるときがあって、
段々、暴力が激しいか無難な表現の
どっちかになって、
表現が貧困化していかないか、
凄く心配してます。
結局、加害者も自分の表現方法が
わからない人も多いのだろうね。
暴力は手っ取り早くて
本能にはとても身近な表現だから
みんな、知らぬ間に染まってる時が
あるのはわかるんだよね。
心が行き詰まったときに、
暴力性って出てしまう。
後は、自責傾向か他責傾向か。
そういうもの、なのかもね。
友達ほしいなって、
ちょっと思ったけど、
人間付き合いは難しいし
疲れたり磨耗したらいけないから、
少しだけ某小説に癒されておきます…。