BOSSとGON!

 大阪城 ☆彡

先週の日曜日、二度目の大阪城へ。

 
 
相変らず立派ですねぇ。

大富豪と王様との違いを、城を見るたびに感じてしまう。

王様は軍の最高責任者の場合がほとんどで、住居には軍事と外交的要素が含まれる。

ましてや、天下を取った人間の城は一段と違う。

(今の城の構えが、秀吉の城なのか江戸幕府の城を模したものか知りませんが、大阪城に来るといつもこれを作った側の主旨と、冬の陣と夏の陣のこともあり、この城を攻めるのは可能か?と、初めてこの城に招かれる異国の殿様の視点で見てしまいます)

まず、お堀。

 
堀の幅と深さを見て、これを鉄砲や弓の攻撃を受けながら人力で埋めるのには、何万人自軍から戦死者を出してしまうのだろうと落胆する。

しかも攻める側は、長期に渡って背後から城の味方の攻撃を受けないことが前提となるので、ほぼ天下を掌握しているのが必須条件。

次にその立派なお堀にかかる、お城への通路とは思えない大手門への道。

ここに親衛隊の七手組が着飾って整列した中を通ると仮定すると、舞台装置の大きさに比べ個人の力の小ささを思い知らされると思う。

そして大手門と、入ったすぐの石垣の大きな石。


次に西ノ丸の脇を通り抜け、内堀を渡る所に桜門。

現在の桜門は形だけのものになっているが、この桜門から天守閣を正面遠方に見せる構造が、ため息が出るぐらい素晴らしい。

注)お城の周辺からは城壁等で遮られて、天守閣は場所によってチラリと見えるだけです。

桜門を通ると、これまた巨石。 


これが大阪城内で一番大きいそうで名前は蛸石。長さが12mほどで130トン。

 この巨石を運ばせた権力に勝てないなぁと考えてしまう。

少し歩いていくと、桜門からも垣間見えていた大阪城がそびえ立つ。

 

今は高層ビルがあるのでその高さに驚愕するわけではないが、当時の普通の木造建築と比べればとんでもなく立派。

 それも石垣の上にあるので見上げんばかりの威容。 

「こりゃ正攻法では勝てないなぁ」と反抗心が削がれ、仲良くしようと私は思ってしまう。

(ここで反抗心をそがれるのが凡人で、それでも「俺が取ってかわる」と考えるタイプの人間もいて、そんな人たちが歴史に名を残すのでしょうね)


家康が意地の悪い狸親父と評判が悪い傾向もありますが、「あの位やらなきゃこの城は落とせん」と感じた一日でした。

「大阪城天守閣」地図


コメント


--------これより以下のコメントは、2013年5月30日以前に-----------
あなたのブログにコメント投稿されたものです。


boss & gon ! [2007年6月2日 14:41]
大坂には仕事でちょくちょく行くのですが、観光したのは2度目です。
最初はポール・マッカートニーの大阪ドーム公演に合わせてusjや海遊館をまわり、今回はまず大阪城へ行きました。
 
以下はあまりにできすぎた話で後世の作とも感じるので、コメント欄で付記します。

秀吉は城攻めが得意で家康は野戦が得意という分析がありますが、それを踏まえた逸話です。

宴会の席で家康が秀吉に、
「殿下なら、この城をどう攻めなさる」
「この城は力攻めでは落とせない。城側を圧倒的に上回る天下の大軍でこの城を包囲し、時代の流れはワシ側にあると誇示した上でいったん和睦を持ちかける。その和睦の条件にもう戦はしないから堀を埋めるという項目をいれ、堀を埋めてから約束を反故にしてもう一度攻める」
と話したという。

この攻略法を聞いても、実力と寿命や時代の流れ等を含めた運がないと実行不可能でしょうね。
ep82-sw20 [2007年6月2日 22:12]
こんばんは。
この話がもし本当だとすると、秀吉は自ら豊臣家を滅ぼす手段を家康に教えてしまっていた、という事になりますね(笑)。
私はtv画面以外で実物の大阪城を見たことはありませんが、堀を埋められてしまっては、塀と門があるとはいえ、どこからでも攻められますからねぇ。
boss & gon ! [2007年6月3日 12:57]
ep82-sw20さん、コメントありがとうございます!
私たちは歴史上の出来事は結果を知った上で考えるので、当時の人たちの本当の考えは分からないことが多いと思っています。
コメントに書いた逸話に関しても、真偽は分かりませんが私はこう考えています。

何かの凄い方法を一部の人間は気がつく。そして、知っていると実行するとは別物で知っている人間のほんの一部が実行にうつす。
そしてその中のごく一部の人間だけが成功する。

その極めて稀に出現する偉業について、凄い方法に気がつかなかった人が勝手に評価する。
だから大阪城にしても歴史を知って見ますから、いろいろ凡人として考えることが多くて面白いです。

また、逸話のとおり秀吉が話した可能性もありますが、それを実行するには長い年月と強大な軍隊が必要なのでほとんど実現不可能。
秀吉が実際にこの城を攻めるとしたら調略等を複雑に絡めて短期開城策を、その場面に合わせて彼の非凡な頭脳で考えただろうと思います。
実際に大阪城は地の利もあり、前身の石山本願寺と信長の戦いを秀吉も家康も見ていますので。。。
サイファイおじさん [2007年6月3日 20:45]
boss & gon!さん、こんばんは。

そうですね、信長と攻めた石山本願寺がなかなか落ちなかったので、秀吉は跡地に大坂城を作ったのでしたね。

家康と秀吉に、このような会話があったかどうか判りませんが、「野戦の天才」vs「築城の天才」として、火花散るやりとりに感じますね。
boss & gon ! [2007年6月7日 0:07]
サイファイおじさん、こんばんは!
歴史の名所は、いろいろ思いを馳せる事ができて面白いです。
信長・秀吉・家康(この3人を地元では郷土の三英傑と呼びます)、これらの天才?が時代の要求なのか時間と場所を共有し切磋琢磨しあったと思われるその場面を見てみたいと真剣に思います。
三本松 [2007年6月8日 18:47]
名城(名古屋城も含む)、山城、田舎の城、色々見てきましたが、boss&gonさんの見方は感心しました。写真もいい・・好奇心やものの見方が多岐にわたる人は人生何倍も得をすると思います。大阪城落城をもっと研究する気になりました。
鳴かぬなら私が泣くぞほととぎす・・・
boss & gon ! [2007年7月9日 23:37]
三本松さん コメントありがとうございます。
プロの方に褒めていただくと本当に嬉しいです。
> 鳴かぬなら私が泣くぞほととぎす・・・
なかなか意味深で何をお返ししていいか分かりませんが、「善は急げ、悪も急げ!」これも真髄と思っています。
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