銀の匙 中勘助
1915年(大正4年)4月17日から6月2日まで後編全47回が東京朝日新聞で連載された。
本棚の引き出しにしまった小箱の中にある銀の匙をきっかけに、その匙を見つけた幼年期の伯母の愛情に包まれた生活を回想する。
灘中学校の国語教諭の橋本武が一冊を3年間かけて読み込む授業を行っていたことでも有名。
どこまでできるか分からないが、灘中学に通っているつもりになって、スローリーディングしてみる。
私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣《ひきだし》に昔からひとつの小箱がしまつてある。それはコルク質の木で、板の合せめごとに牡丹の花の模様のついた絵紙をはつてあるが、もとは舶来の粉煙草でもはひつてたものらしい。
粉煙草が入っていたコルク質の木でできた小箱
粉煙草は馴染みが薄いが、鼻の内側の粘膜に付着させてニコチンを摂取するタバコ。日本人にとっては怪しい感じもしますが、普通の紙巻たばこより遥かに長い歴史があります。読んで字のごとく香りを楽しむタバコです。英語ではSNUFF(スナッフ)と言います。ムーミンに出てくるスナフキンの名前の由来でもあります(スナフキン=嗅ぎタバコを嗜む者)手の甲の親指、人差し指の付け根のくぼみに適量(一つまみほど)のスナッフを載せ、鼻から吸引するのが一般的な摂取法です。この三角形の窪みは医学の世界では「解剖学的嗅ぎ煙草入れ」と呼ばれています。
なにもとりたてて美しいのではないけれど、木の色合がくすんで手触りの柔いこと、蓋をするとき ぱん とふつくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになつてゐる。なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩《もてあそ》びであつたこまこました物がいつぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。
子安貝
タカラガイ科に属する大形の巻貝の俗称。殻は卵形で光沢があって厚く堅い。古くから、安産のお守りとされた。殷王朝(紀元前1600年~1046年)の時代には貨幣として使用された。ベトナム、モルディブなどでしか採れません。希少性と豊産を示すような形状などから宝物としても珍重された。
椿の実
カチカチの固い殻に種が入っている構造になっています。種が成熟してくると、殻が三つに割れて、中の種がむき出しになって地面に落ちます。
それはさしわたし五分ぐらゐの皿形の頭にわづかにそりをうつた短い柄がついてるので、分《ぶ》あつにできてるために柄の端を指でもつてみるとちよいと重いといふ感じがする。私はをりをり小箱のなかからそれをとりだし丁寧に曇りを拭つてあかず眺めてることがある。私がふとこの小さな匙をみつけたのは今からみればよほど旧い日のことであつた。
さしわたし あまり使わない言葉だが、直径の意味
5分 1尺=3.03cm 10分=1尺 よって5分は1.5cmくらい
さしわたし五分の円形の頭 かなり小さい匙であったようだ
夜のピクニックを読んだ
佐藤優が絶賛との情報あり、読んでみた。
夜を徹して全校生徒が80キロを歩くという、北高の伝統行事を題材にした小説。甲田貴子と西脇融の関係性を軸に話は展開する。
みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう。というフレーズが出てくる。長距離を、しかも夜を徹して歩くという「非日常」に加えて、卒業を控えた高校生3年であるという刹那感。そうした状況全てが、登場人物の関係性、内面に徐々に変化をもたらす。大きな事件が起こるわけでなく、ただ少しずつ友人同士の関係性に変化が出てくる。
非日常の状況では、日常ではとても考えなかった様なことを考えたり、言えない様なことを言えたりする。なぜか分からないが、人は周りの環境、状況に影響を受けて、それが人生に大きな影響を知らぬ間に与えたりもする。
学年ごとに歩く団体歩行を終え、後半の自由歩行では、それぞれが「一番の友達」とゴールを目指すクライマックスに続いてゆく。
(夏休み明けくらいから、ずっと歩行祭のこと考えてるじゃん。考えてるっていうか、ずっとどこかで気に掛かってる。でも実際はたった1日で、足が痛いとか疲れたとか、文句言っているうちに終わっちゃうんだよな。)
と西脇融がゴール近くで呟いた。
しかし非日常の影響で何かが変わっても、それはあくまで非日常であり、その後にはまた延々と続く日常が帰ってくる。日常に帰ったときどうなるか、人はまた不安になったりする。
青春時代の、短い非日常を切り取って、その機微を見事に表現している。佐藤優の言うように、やはり名作だと思った。
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