2006/01/03 nt
「子供たちにどのようになってほしいか」をいろいろ考えていた時、次の文章に出会いました。「トットちやんとトットちゃんたち」(黒柳徹子 著)です。
その中の、第1章 タンザニア・1984年「Aプラン、Bぷらん、Cプラン」に出てくる「シャンガリ博士」の姿が、とても参考になると思います。
貧しい水も飲めない子供たちのために、自分が学んだ専門的な知識・能力を使って努力し、また、それが実現できるように、一生懸命何回も説明する姿勢です。
下記の文章は、「トットちゃんとトットちやんたち」(黒柳徹子)よりの引用です。子供たちがどのように育てばいいか、私たちもどのような方向を目指すか、ここに出てくる「シャンガリ博士」の姿勢は、パのヒントとなるのではないでしょうか。
………………ここから引用。「トットちやんとトットちゃんたち」(黒柳徹子 著)第1章 タンザニア・1984年「Aプラン、Bぷらん、Cプラン」………………
Aプラン、Bプラン、Cプラン
水のことではどこでも頭を悩ませていました。モシ地区を訪ねたときのことでした。そこで、非常に情熱あふれた、働き盛りの区議会議長のシヤンガリ博士にお会いしました。この方は工学博士でした。
シヤンガリ博士が、「ぜひ、ダムを見てほしい」とおっしゃるので、私は、朝早く出かけました。
英語では「ダム」ですが、それは私たちの知っているダムではなく、中くらいの大きさの沼でした。コップでその水をすくってみたら、半分ぐらいが泥で、中にオタマジャクシが何匹も泳いでいました。博士は「人間や動物が、ときどき落ちるんですが、中央あたりは深くて、どうにも助け出せなくて。そのままになっています」とおっしゃっていました。
この水を、そのまま、村の人たちは、土管をひいて、飲んでいるのです。浄化装置は何もありません。煮立てて飲むようにといっても、のどが渇けば子どもたちは、そのまま飲んでしまいます。ですから、子どもたちは、コレラや赤痢など、いろいろな伝染病にかかって死んでしまうのです。
「そこで、です」とシャンガリ博士は、私の目の前で、青写真のような紙をバリバリッと広げ、説明をはしめました。
「よろしいですか。これがキリマンジャロの山です。このキリマンジャロの汚染されていない雪どけの水を子どもたちに飲ませたいと思っています。で、キリマンジャロの山のふもとの、ここから土管をひきますと、私の計算によると、二万人が水を飲むごとができます。これがそのAプランの道順です。Bプランはこうなります。そして、これがCプラン……。土管はユニセフから届いています。でも、土管と土管をきちっとつないで埋める必要があります。最終的にはポンプをつけます」
ダムの見学のあと、次の訪問先へ向かう揺れるジープの中でも、シャンガリ博士は、バリバリと紙を広げて、「これがAプラン、それからBプランとCプラン…。わかっていただけたでしょうか』といいました。そしてこれは、一日中つづいたのです。
いろいろな所を見学しだあと、ジープに乗ると、「さきほどのことなんですが」と、またパリバリッと広げて、「Aプラン、Bプラン、Cプラン」。お昼には食事のテーブルの上でも「Aプラン、Bプラン、Cプラン……」。
シヤンガリ博士の熱意に、とうとう私は「おいくらぐらいで、できるのですか」と聞かざるを得ませんでした。博士は答えました。
「だいたい、私の計算では、二千万円あればいいと思います」
シヤンガリ博士は、一日中、私だちとずつといっしょに歩いてくださる方だったので、とにかく、揺れるジープの中での「Aプラン、Bプラン」は、もう、私まで、口ぐせになってしまいました。しまいには、目が合うと私のほうから「Aプラン、Bプラン」といい、博士が二ツコリする、というほどになりました。
とうとう、起が首都のダルエスサラームヘ戻る飛行場に着きました。その飛行場の待合室の中でもバリバリッと紙を広げて、こうおっしゃいました。
「本当に、もうお別れです。私がご説明いたしましたAプラン、Bプラン、Cプランを忘れないようにお願いいえします」
私は、子どもたちに、いい水を飲ませたい、という、シャンガリ博士の熱意を、はっきりと胸に刻みつけて、手を振つてお別れをしました。
日本に帰国してから二ヵ月ぐらいしたでしょうか。このシャンガリ博士からお手紙が届きました。
「このたびはタンザニアに来てくださいまして、私たちの状況を視察いただいて、本当にありがとうございました。あなたが、きっとなつかしくお思いになるであろうキリマンジャロのコーヒーをお送りいたしましたので、どうぞ、お受け取りください。なお、Aプラン、Bプラン、Cプランについては、お忘れなきことを希望しています」
それから十日ぐらいして、どうして私のところに届いたかわからないほど、包装紙が破れ、コーヒー缶がむき出しになった小包が届きました。缶にはキリンの模様が描かれていました。
二ヵ月ぐらいして、またシャンガリ博士からお手紙が来ました。
「この問、コーヒーをお送りいたしましたが、お受け取りくださいましたでしょうか。あなたが、なつかしいキリマンジャロを、あのコーヒーで思い出してくださるとうれしいとおもいます」
そして、最後に、「Aプラン、Bプラン、Cプランをお忘れなく」と書き添えてありました。
私は、日本に帰って、すぐ、タンザニアの飢えと干ばつの様子をテレビで報告しました。同行してくださった新聞社の方たちも、また雑誌も、書いてくださいました。お陰で、私のユニセフ親善大使の銀行口座に、もうびっくりするほど、みなさまが、お金を送ってくださいました。一億三千万円というお金が、あっという間に集まりました。心からありがたい、と思いました。
小さい幼稚園の子どもから、ご老人が年金のなかから、と本当に、おやさしく、たくさんの方が送ってくださいました。
お金を送ってくださった方は、私のテレビをご覧になってそうしてくださったわけですから、ユニセフには、私が訪ねたところを中心に使っていただくように、とお願いしました。
私は、シヤンガリ博士がおっしゃっていたAプラン、Bプラン、Cプランのところにも届けてください、ということをお願いしました。
ユニセフは、お金をあげるのではありません。現地に専門家や技術者が行って、何が、いまいちばん必要か、どういうことが必要かを常にリサーチします。また水道を引いたら何人ぐらいが飲めるようになるかなどを調べます。Aプラン、Bプラン、Cプランを調べてみると、シャンガリ博士がおっしやつていた二千万円ではとてもできないことがわかりました。それと、地域の子どもたちの命と健康を守るためには、給水事業だけでは不十分だということも、わかりました。
一日に六百入近く死んでいるタンザニアのなかでも、とくに、たくさんの子どもが死んでいる地域です。そこで、みなさまからいただいた寄付のうちの四千万円を使って、給水事業を中心とした保険、衛生などの、総合的な活動をはじめることになりました。
シヤンガリ博士から「日本のみなさまに感謝します」というお手紙が届いたのは、それからすぐでした。
水がない、というと、「ジュースを飲めば?」とか、「ミネラル・ウオーター買えば?」と思っている日本の子どもが大勢います。でも、これを読んでくださればきっと、水がどんなに大切か、わかっていただけると思います。こういう国の子どもたちは、缶入りやビン入りのジュースなど、見たこともないのですから。
………………ここまで引用………………