うちのブログに来られる方で、落語に興味ある方はそんなに
いないかな~と思いますが、せっかく行って来たんで記事にしますね。
(ちなみにサンシャインボーイズ公演のチケットですが
やっぱり取れませんでした~)
米團治(前・小米朝)さん・ざこばさん・南光さん、関西に住んでいた頃は
テレビ・ラジオでもおなじみで見ていたものの、思えば本業の
落語は聴いたことなかったな~と思いつつ、行ってきました。
~~演目~~
雀五郎「子ほめ」 都んぼ「真田小僧」 雀松「マキシム・ド・ゼンザイ」
南光「義眼」 米團治「くっしゃみ講釈」
なんだか客席の関西弁度数も高い?
トップの雀五郎さんはまだ会場もざわついて
後から入ってくる人もいたりして、
ちょっと落ち着かない雰囲気でお気の毒でした。
最初のお二人(雀五郎・都んぼ)は話すテンポも速く、
都んぼさんはまくらの時は、ちょっとこえぴょん(桂小枝)
のしゃべり方に似ていた気がしました。
演目は先月見た花緑独演会で弟子の緑君がやっていた
ものだとネタ始まってすぐ気付きましたが
関西弁ということと演者でこんな違って聞こえるんだなと感心。
まくらでは、ネタ中に携帯で平気で話し出すお客さんや
小学生のお客さんは先が長いのでありがたいが、
あからさまに退屈 落語に興味なさそうなのは困ると
いうような話をされてました。
続いて雀松さんは中川昭一元大臣の話題。
「頭が小1や」の一言には拍手喝采。
演目は噂に聞いていた(笑)ものでしたが、
フランス料理風にした和菓子なんざ食べたくないっすよねえ。
面白かった!!
続いては南光さん
つい私は今でもべかこさんと呼んじゃいそうですが
襲名からもう15年ですか!声がよりハスキーになられたか?
まくら部分では自分の前の名前がべかこって(笑)という話から
南光を襲名したのは米朝師匠の「ずっとべかこは嫌やろ?」
のツルのひと声だったという話題へ。
まくらから本ネタへの入り方が唐突だったのか?
不思議な顔してたお客さんが見えたようで、南光さん、丁寧に
解説してはりました。「こういう落語の始まり方もあるんでっせ」
「もう落語始まってんのやさかい、ついてきてくださいよ」
話は分かりやすく、オチも見えるのですが、やっぱりおかしい。
ご自身が一時期声が出なくなった時のエピソードをまくらで
話されてましたが、私も体は元気なのに声だけでぇへんことが
あったので「わかるわ~」という感じ(笑)
中入り(休憩)後、お待ちかね!襲名口上。
もうここで笑い死にするかと~~。
司会は都んぼさんが務めて、まず父であり師匠である米朝さんが
口火を切りますが、「こういう挨拶は形式ばって難しい」
と口が重く。「落語でもやろか?」と(笑)
こういう大師匠はいてはるだけで、こちらもくすりと来ます。
「もうトシもトシなんやからどうとでもなれ」とも。
米團治さんは若いイメージでしたが、もう50にならはんのですなぁ。
続いて雀松さん、気象予報士の資格もあるということで
明日の東海地方の天気予報をまことしやかに述べた後
「とNHKのラジオで言ってましたんで間違いないと思います」と
笑わせる。「米團治は今風に言うと『イケメン』ですから
今日のこの会場にも過去付き合った女性がたくさん・・」と
更に客席を沸かせておりました。
続いて南光さん、「私やざこば兄さんの襲名のとき4公演しかなかったのに
米團治さんの時は全国77箇所。こんなことは今まで上方落語では
なかったことです。これもすべてお父さんの力です!」
そして襲名公演中、飛行機に乗るときに螺旋階段が三階分もあったので
人間国宝であり、83歳の米朝師匠をのぼらせるわけにはいかんと
空港会社のお姉さんに「エレベーターはないんですか?」と
聞いたらば、「貨物用のものなら」と答えたので、機転を利かせた
息子(米團治)が「この人お荷物ですから」と即答したという
エピソードを披露。
なんと言ってもおかしかったのが、中学3年で米朝師匠に
弟子入りした時から米團治さんを知るざこばさんの挨拶。
(私の文ではとても再現しきれませんけど)
当時、米團治さんは幼稚園年長で、弟子入り志願に来て
緊張するざこばさんが出された大福を食べずにいたら
「も~ろた!」と無邪気に奪っていったのだとか(笑)
「親のしつけがなってないんです」
米朝師匠のおうちは大きくて、鉄格子があってその後
道が続いて玄関なんです!というざこばさんに、南光さんが
「鉄じゃなくて『格子』でよろしでっしゃろ?」と突っ込むと
「そやけど鉄で門ができてたんやわ」南「鉄格子はあんさんが入ってた」
ざ「そうそう一回だけ!」とその後しばらく留置場のトークが
続きました(笑)ざこばさんは落語の出番はないせいかノリノリ。
襲名を記念して坂田藤十郎さんから贈られたあれはなんと言うんでしょう?
旗というかのぼりというか(正式な名前知ってる方教えてください)
「これかてお父さんの関係です。米團治やったらアホの坂田がええとこ!」
関西学院大生だった米團治さんに「お父さんの後継げ」と説得し
噺家にさせたが、本人も気づいているはずです、向いてないんですわ!
ここで米團治さん、ひれ伏したまま、さらに体をぺっしゃんこにして
「その通り」と言わんばかり(笑)
「いつまでも小米朝やあかんやろ」と枝雀兄さんと相談してたとざこばさん。
枝雀さんは残念なことにもうこの世におられませんが
「突き詰めて考えすぎたんだ」という話にも。ものごとは突き詰めすぎると
きりがないので、自分で「ここまで」と区切りをつけないかん、
で、私もそろそろつけようと思ったら(米朝)師匠に「まだ早い」と
言われたとしんみりするかと思ったら最後はやっぱり笑いに。
枝雀さんのまあるい顔と頭、笑顔が脳裏に浮かびました。
きっと天国で、米團治さんの勇姿をニコニコと見守ってることでしょう。
たっぷりわらかしてもらった口上の後は、本日のトリ・米團治さん。
まくらはお父さんのこと、水虫の薬を間違えて目にさしてしまったとか
「おっとりした慌て者」だったかな?そういう表現だったと思います。
米團治さんの演じる「アホぼん」は大事なことをすぐ忘れる性質。
けれどそこが憎めない。そんなぼんを生き生きと演じてはりました。
歌を歌うシーンや講釈師になりきるシーンなど見せ場も多く
講釈の場面は見事でしたね~ここ拍手のタイミング難しかった!
私も拍手したかってんけどまだ途中やしと思ってたら
ご本人が「これからいいとこ」と拍手をとめてました。
とても聞き応えある噺でした!
しかしここのホール、ビルの11階にあるので、行き帰りちょっと大変。
前回来たのはいつやったっけ?と思い出すと八嶋智人所属
劇団「カムカムミニキーナ」の「フロシキ」の時だったなぁ。
(二階席ガラガラでした、実のところ)
今度は立川志の輔さんの独演会が同じ会場であるそうなんで
見に行きたいと思ってますが、チケット取れるかどうか??
ながなりまして失礼しました。私も一時期関西にいたもので
つい関西弁で文章を打ちたく、一部そんなモードになっております
いないかな~と思いますが、せっかく行って来たんで記事にしますね。
(ちなみにサンシャインボーイズ公演のチケットですが
やっぱり取れませんでした~)
米團治(前・小米朝)さん・ざこばさん・南光さん、関西に住んでいた頃は
テレビ・ラジオでもおなじみで見ていたものの、思えば本業の
落語は聴いたことなかったな~と思いつつ、行ってきました。
~~演目~~
雀五郎「子ほめ」 都んぼ「真田小僧」 雀松「マキシム・ド・ゼンザイ」
南光「義眼」 米團治「くっしゃみ講釈」
なんだか客席の関西弁度数も高い?
トップの雀五郎さんはまだ会場もざわついて
後から入ってくる人もいたりして、
ちょっと落ち着かない雰囲気でお気の毒でした。
最初のお二人(雀五郎・都んぼ)は話すテンポも速く、
都んぼさんはまくらの時は、ちょっとこえぴょん(桂小枝)
のしゃべり方に似ていた気がしました。
演目は先月見た花緑独演会で弟子の緑君がやっていた
ものだとネタ始まってすぐ気付きましたが
関西弁ということと演者でこんな違って聞こえるんだなと感心。
まくらでは、ネタ中に携帯で平気で話し出すお客さんや
小学生のお客さんは先が長いのでありがたいが、
あからさまに退屈 落語に興味なさそうなのは困ると
いうような話をされてました。
続いて雀松さんは中川昭一元大臣の話題。
「頭が小1や」の一言には拍手喝采。
演目は噂に聞いていた(笑)ものでしたが、
フランス料理風にした和菓子なんざ食べたくないっすよねえ。
面白かった!!
続いては南光さん
つい私は今でもべかこさんと呼んじゃいそうですが
襲名からもう15年ですか!声がよりハスキーになられたか?
まくら部分では自分の前の名前がべかこって(笑)という話から
南光を襲名したのは米朝師匠の「ずっとべかこは嫌やろ?」
のツルのひと声だったという話題へ。
まくらから本ネタへの入り方が唐突だったのか?
不思議な顔してたお客さんが見えたようで、南光さん、丁寧に
解説してはりました。「こういう落語の始まり方もあるんでっせ」
「もう落語始まってんのやさかい、ついてきてくださいよ」
話は分かりやすく、オチも見えるのですが、やっぱりおかしい。
ご自身が一時期声が出なくなった時のエピソードをまくらで
話されてましたが、私も体は元気なのに声だけでぇへんことが
あったので「わかるわ~」という感じ(笑)
中入り(休憩)後、お待ちかね!襲名口上。
もうここで笑い死にするかと~~。
司会は都んぼさんが務めて、まず父であり師匠である米朝さんが
口火を切りますが、「こういう挨拶は形式ばって難しい」
と口が重く。「落語でもやろか?」と(笑)
こういう大師匠はいてはるだけで、こちらもくすりと来ます。
「もうトシもトシなんやからどうとでもなれ」とも。
米團治さんは若いイメージでしたが、もう50にならはんのですなぁ。
続いて雀松さん、気象予報士の資格もあるということで
明日の東海地方の天気予報をまことしやかに述べた後
「とNHKのラジオで言ってましたんで間違いないと思います」と
笑わせる。「米團治は今風に言うと『イケメン』ですから
今日のこの会場にも過去付き合った女性がたくさん・・」と
更に客席を沸かせておりました。
続いて南光さん、「私やざこば兄さんの襲名のとき4公演しかなかったのに
米團治さんの時は全国77箇所。こんなことは今まで上方落語では
なかったことです。これもすべてお父さんの力です!」
そして襲名公演中、飛行機に乗るときに螺旋階段が三階分もあったので
人間国宝であり、83歳の米朝師匠をのぼらせるわけにはいかんと
空港会社のお姉さんに「エレベーターはないんですか?」と
聞いたらば、「貨物用のものなら」と答えたので、機転を利かせた
息子(米團治)が「この人お荷物ですから」と即答したという
エピソードを披露。
なんと言ってもおかしかったのが、中学3年で米朝師匠に
弟子入りした時から米團治さんを知るざこばさんの挨拶。
(私の文ではとても再現しきれませんけど)
当時、米團治さんは幼稚園年長で、弟子入り志願に来て
緊張するざこばさんが出された大福を食べずにいたら
「も~ろた!」と無邪気に奪っていったのだとか(笑)
「親のしつけがなってないんです」
米朝師匠のおうちは大きくて、鉄格子があってその後
道が続いて玄関なんです!というざこばさんに、南光さんが
「鉄じゃなくて『格子』でよろしでっしゃろ?」と突っ込むと
「そやけど鉄で門ができてたんやわ」南「鉄格子はあんさんが入ってた」
ざ「そうそう一回だけ!」とその後しばらく留置場のトークが
続きました(笑)ざこばさんは落語の出番はないせいかノリノリ。
襲名を記念して坂田藤十郎さんから贈られたあれはなんと言うんでしょう?
旗というかのぼりというか(正式な名前知ってる方教えてください)
「これかてお父さんの関係です。米團治やったらアホの坂田がええとこ!」
関西学院大生だった米團治さんに「お父さんの後継げ」と説得し
噺家にさせたが、本人も気づいているはずです、向いてないんですわ!
ここで米團治さん、ひれ伏したまま、さらに体をぺっしゃんこにして
「その通り」と言わんばかり(笑)
「いつまでも小米朝やあかんやろ」と枝雀兄さんと相談してたとざこばさん。
枝雀さんは残念なことにもうこの世におられませんが
「突き詰めて考えすぎたんだ」という話にも。ものごとは突き詰めすぎると
きりがないので、自分で「ここまで」と区切りをつけないかん、
で、私もそろそろつけようと思ったら(米朝)師匠に「まだ早い」と
言われたとしんみりするかと思ったら最後はやっぱり笑いに。
枝雀さんのまあるい顔と頭、笑顔が脳裏に浮かびました。
きっと天国で、米團治さんの勇姿をニコニコと見守ってることでしょう。
たっぷりわらかしてもらった口上の後は、本日のトリ・米團治さん。
まくらはお父さんのこと、水虫の薬を間違えて目にさしてしまったとか
「おっとりした慌て者」だったかな?そういう表現だったと思います。
米團治さんの演じる「アホぼん」は大事なことをすぐ忘れる性質。
けれどそこが憎めない。そんなぼんを生き生きと演じてはりました。
歌を歌うシーンや講釈師になりきるシーンなど見せ場も多く
講釈の場面は見事でしたね~ここ拍手のタイミング難しかった!
私も拍手したかってんけどまだ途中やしと思ってたら
ご本人が「これからいいとこ」と拍手をとめてました。
とても聞き応えある噺でした!
しかしここのホール、ビルの11階にあるので、行き帰りちょっと大変。
前回来たのはいつやったっけ?と思い出すと八嶋智人所属
劇団「カムカムミニキーナ」の「フロシキ」の時だったなぁ。
(二階席ガラガラでした、実のところ)
今度は立川志の輔さんの独演会が同じ会場であるそうなんで
見に行きたいと思ってますが、チケット取れるかどうか??
ながなりまして失礼しました。私も一時期関西にいたもので
つい関西弁で文章を打ちたく、一部そんなモードになっております
その場にいるようなカンジになれました^^
そっか、小米朝さんは襲名して「米團治」さんになったんですね。
男前ですよね。好きな顔です^^♪
べかこって・・・どうしてそんな名前になったんだろ?(笑)
私も一時大阪に住んでたので、知ってる落語家さんばかりの名前でうれしかったです。
書きました。昨日は帰ってから関西弁モードで(笑)ざこばさんの挨拶を思い返してはわろとりました♪おおきに、ありがとうございます~。
そうなんですよ、米團治襲名、私も知らなくってブログ仲間さんの記事で知ったんです。この公演もギリギリセーフで知って、チケットも残りわずかだったんですが、なんとか取れました!
小米朝さんは色男顔ですよね~お父さんもカッコいいですもんね!
べかこは本当は「米歌子」と書くらしいんですけど、わかりづらい(堅苦しい?)んでひらがなにしたんでしょうかね?関西の落語家さんの名前っておもろいですよね~?ざこばさんもそうだし。
そうそうrudoさんも大阪に住んでいらしたと聞いてたんで、もしかしておなじみの名前があるかと思いました。良かったです!
漢字表記だと女性に間違われるんで、師匠の枝雀さんと相談してひらがなにしたんだそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E3%81%B9%E3%81%8B%E3%81%93
年には勝てん。引退か~と落ち込んでいるのを、米團治さんや弟子たちが盛り上げながら、高座に復帰し始められたと聞いております。
今回の襲名は、いつまでもアホぼんの小米朝では、米朝師匠や米朝一門も心配。そろそろ一区切りというところもあるのでしょうか?
しかし米團治を襲名するということは、米朝師匠が弟子入りした、前の四代目米團治の名を継ぐということやから、お父上を越えよ!という周辺のメッセージもあるのでしょうか??
えらいこっちゃでえ~米團治はん
でも米團治さんはキャラクターとしてはええもん持ってはるんやから、悩みすぎず、しかしお父上のように文献を読み研究を重ね、落語を突き詰めていかれ、さらなる精進をされることをこころより願うております。
南光さんは、いまだに関西のおばちゃんたちからは、「べかちゃん」なんでしょうね~。
うちの父や母も、「南光」「ざこば」の名前が出てこないときには、「べかこ」「朝丸」ということがあります!
そういえば、「ちりとてちん」にでていた桂吉弥さんも、米朝一門の故吉朝さんの弟子、米朝師匠からしたら孫弟子なんですよね~
弟子が育ち活躍することは、上方落語を後世残していくことにつながりますから、大事なことですよね~
…ってあんた何を上方落語を語っとんねん!香川登志夫か!新野新か!と突っ込んでやってください
長々と、それもわかりにくい関西弁にて失礼しました。
それではお後がよろしいようで
隣は若いカップルやったけど、男の人は「めっちゃ面白い、ハマる~」とすっごい喜んではりました。今度図書館に落語のCDも借りに行こうって(笑)
米朝さん、そんなことがあったんですか・・いや~でも寄る年波、そのようなこともあっても想定内かな~。歌丸さんも肺気腫で倒れたとか、腰も良くないなんて話も聞きましたし、
でもやっぱり重鎮にはいつまでも頑張って欲しいですよね~いつか米朝・ざこば師匠の噺も聞く機会があればと思いました。
でも長いネタを覚えていられるって落語家さんってすごいなぁ~と毎回思いますね!
今回のことでウィキペディア頼み(困ったときの!ですが)でいろいろ検索したんやけど、吉朝さんがほんとは米團治をつぐはずが早世されたので。。小米朝さんは元々は米朝の名をってことだったようですね~。いずれにせよ、重い名前であることは確かですねぇ。昨日もらったチラシには「四代目は昭和26年に他界し面影を知る人も少なくなりました。この名を息子に継がせる事で、先代の功績を再び世間に知らせたい」との旨がかかれておりました。
米團治さんはまくらのところで、「私は『月亭可朝』を継ぐって話もあったんですけど」と笑いを取ってはりました。赤ん坊の米團治さんをしょって可朝さんはキャバレーに出入りしてたとか(笑)すごい情操教育やな!!
やっぱりご年配の方には「べかこ」「朝丸」がしっくり来ますよね?夫にもウィークエンダーで早口でまくし立ててた人と説明したらわかってもらえました
今月28日は同会場で吉弥さんの独演会があるそうですが、早くも満員御礼!だそうです。「ちりとてちん」効果もあるんでしょうが、さすがですな~
最後に米團治さんが「上方落語をよろしく」とおっしゃってましたが、私は今回上方落語を生で聴くのはほぼ初めて(母校の落語大学の公演なら行ったことあります・笑)やったけど、いやいや~ホンマおもろかったんで、また行きたいです。
新野センセイ、お元気かしら?一時期はお笑い養成学校の先生をしてると関西にいてる友達から聞きましたが。。あの「クク笑い」をまた聞きたいです
あと、本物の家族より家族らしい。(本物の親子もいますが)
疑問ののぼりは、たぶん「寄席のぼり」だと思います。
NHKラジオの名人寄席での玉置宏さんのナレーションで知っただけですが。
志の輔さん、アートピアでやるんですね!
前回、大きい会場にしようか悩んでらしたので。やはり後ろまで声の届く会場が一番。
でも11階まで行くのは面倒くさい(笑)
そんなことを言えるのも一門が家族のようなものだからなんでしょうね~!内弟子も三年間ざこばさんされたって言ってましたし。
あ~「寄席のぼり」というんですね!ありがとうございます~すっきりしました(笑)
そうみたいです、昨日チラシをもらったのですが、そしたら「ぴあ」からプレリザーブの案内が来てたので「志の輔らくご」応募してみました。昨日は二階席でしたが、結構よく見えたし、落語を見るならこのぐらいの大きさまでがいいんだろうな~と痛感しましたが・・
しかし行きと帰りの混雑具合には閉口。米朝事務所のスタッフさんも「毎回のことやけどすごいな~」と呆然としておられました。
たしかに私も、阪急は高級住宅が立ち並んでいるイメージが、南海は下町じゃりんこチエのイメージがあります。
しかしaikoも歌っていた「三国駅」は、阪急宝塚沿線ですが、自分が十うん年前に一時期住んでいたときにはまだほんと下町っていう感じでしたよ。
『ツチヤ工務店』の歌詞も駅にでかでかと掲げてあったりしてね。(ご存じでなければスマソ)
ナイトスクープで話題になる前にこの看板を見たのですが、これを初めて見たときは、なんじゃこりゃ??と正直思いました。
まさか横山ホット師匠が歌っていたとは~
今は三国も変わっているのでしょうがね~
阪急はなんでかハイソな感じですよね~~。とするとわが母校もハイソ?似合わない気もするけど(笑)あの「あずき電車」が今となっては懐かしいですね~!
あ~「ツチヤ工務店」は三国の駅でしたっけ
そうそうaikoが歌にしたときもreeさん話してましたね~私は十三の隣の駅の神崎川に一時期バイトに行ってましたけども(クリーニング工場)とても十三のお隣とは思えぬ静か~な地味~な町で、でもそこがすきだったんすよね
駅名(地名)の出てくる歌と言えば神戸ですけども、大江千里が「塩屋」という歌を作ってましたね~。千ちゃんといえば「万里」という妹がいるって噂があったけど、あれはガセだったんだろうか??
今でも思い出すのは、JR大阪から阪急梅田に乗り換えるとこの階段の上り口に将棋盤の大きな看板があったこと。友達によると今はないみたいですけどもね
ちなみに米朝師匠は武庫之荘だそうで。(今もなんかな?)やはりエエとこにお住まいですね