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念願の釜山市民公園が4月30日開場!姉妹都市福岡からも庭園づくりに応援

2014-03-05 | 釜山のニュース

釜山市の関係者の方にインタビューしちゃいました!

この土地は西面駅近くの釜田駅の裏側から国立国楽院方向に広がる、過去日本の競馬場があったり、

軍事訓練所であったりアメリカ軍の駐屯基地であったり、釜山市民にとってはまさに閉鎖された地でありました。

そこが閉鎖され、国が汚れた土壌をきれいにし、釜山市に返還されたというわけなのです。

数年前、一時開放されたときには、軍人さんが住んでいた住居や、競馬場らしき施設、芝生の公園など周囲とは違う風景が見られました。その後、しばらく閉鎖され、工事が進み、樹木の寄贈などがあり、徐々に公園らしくなっていきました。が、そとから見るとまだまだ、いったい塀のなかでは何が起こっているのだろうと気にはなっていたのですが。

釜山市民公園の歴史(要約)-

 現在、釜山鎮区凡田洞と蓮池洞の一帯の今後釜山市民公園になる土地は、1910年に日本の強制併合以後、2010年に駐屯米軍が去り、釜山市に返還されるまで、なんと100年以上、他人の手に渡っていたのです。20世紀の屈折した韓国近現代史の象徴的な場所と言えます。 

当時は、地域住民の肥沃な農地であり、住居地でありましたが、日帝の植民地権力により徐々に土地は奪われていきました。1930年からは植民地支配者の娯楽施設、競馬場として利用され、中日戦争や太平洋戦争を経ながら侵略戦争の背後基地である騎馬部隊·兵参警備隊?·臨時軍即訓練所·軍需品置き場として利用されました。

 日本の패망により、韓国が開放されてから米軍定期釜山駐屯米軍の利用地になり、1948年8月に大韓民国政府の樹立により、米軍が撤収し、外交公館として使われました。1950年、韓国戦争の勃発で再び米軍の釜山基地司令部(キャンプハヤリア)が設置され、その後キャンプハヤリアが閉鎖されるまで、釜山や釜山市民とともに多くの哀歓をともにしてきました。

 一方、1995年を前後してキャンプハヤリア移転、敷地返還のための各種市民団体が結成され、市民と各界の世論が高まり、市でも積極的に事業に取り組むようになり、市民公園造成運動が本格化しました。そして韓·米間関連協定が相互妥結され2006年に閉鎖され、以後、環境調査や公園設計を終え、2011年8月釜山市民公園造成起工式を行い、2014年上半期の開場を目標に本格的な造成事業が進められています。

 

オープンしたらカフェとか子供向けの図書館、噴水など、いろいろな施設ができるそうです。

公園にまつわるストーリーは次回に

 


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