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地下鉄、と言っても地上も走ることから都市鉄道と最近は呼ばれていますが、温泉場という駅があります。
ここから700mほど歩くと金剛公園です。水色の建物が海洋自然史博物館です。この少し左側に金剛公園の入り口があります。
http://sea.busan.go.kr/info/sub_museum05_1.jsp
ロープウェイの料金は大人片道4000ウォン、往復は7000ウォンです。安いですね。。。
この日はあいにく曇っていました。霧もかかってますね。ま、出発したのも遅かったのですが。
16:30
どんどん高く上っていきます。
だいぶ霞んでます。
かわいいお客さん。
着きました。ここから東門や北門、南門を歩いて行くコースもあるそうです。
私たちは時間も遅かったので、降りることに。16:15
こんなに大きな岩がごつごつしてます。
天気がよかったら最高なんだけどな。
降りてくるときは運動靴がいいですね。ゆっくり降りてきたのでこの門に着いたのは17:30
ちなみに歩いて上ってくる人もときどき見かけましたが、汗だく。。上るのは体力が必要です。
さて、降りたところにあるのは。。なんだか有名な門のようです。
この門は東莱大衙門というそうです。
朝鮮時代の後期に東莱府が軍事的に重要な位置にあったことを物語っている門だそうです。
韓国の文化財庁に記載されている説明です。
朝鮮後期に東莱府は日本と近い位置にあったため、国防と外交上の重要な場所であったので、他地域に比べ官衙の数も多く、規模も大きかった。この門が最初に建てられたのは1636年、東莱府使鄭良弼が東莱府東軒を建てたときに、共に建てたものと見られている。その後、何度も再建されている。現在の建物は1870年、東莱府使鄭顯が再建したものとされる。もともと東莱府東軒の大門であり、望美楼の後方にあったもので日帝時代に行われた市街地整備の際に、何の関係もない今の位置に移された。
ここは1655年東莱府の軍事権が慶使左兵営の指揮下にあった慶州鎮管所属から独立し、東莱独鎮になったことを表している。
また左右の柱の扁額には鎮辺兵馬節制営、交隣宴餉宣慰使と書かれている。その意味は東莱府が鎮辺の兵馬節制営であり、対日外交の際、日本使臣を接待したことを示している。
この門はこの地域に残る典型的な官衙の大門である。規模は小さいが3門形式の珍しい建物だ。構造は正面3間、側面1間だ。屋根は端が跳ね上がっており、軒は単層だ。天井下に格子が着けられたことから、本来は外三門であったことが推測できる。
う~ん、難しいけど、釜山はそれほど国防地域として重要視されていたという訳ですね。
もともと東莱という地域は秀吉の朝鮮出兵とは切っても切れない縁があります。
ああ、過去の話ではあるけど、ご先祖様たち悪いこといっぱいしてきたんですね。ここにもその名残が。。
釜山にもこんな場所がたくさんあるんです。
そしてこの門を過ぎて公園内を下っていくと、ロープウェイ乗り場へ18:00
ここからは金剛公園の入り口へ、なかなか運動になりました。
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