常岡一郎文より
極まるとあわてる。暗い心になる。心がいらだつ。絶望感でがっかりする。立ちすくむ。
これは愚かなことである。いつでも第一は心に光をつけることである。人間は心が主
体である。この心の備えが崩れたら一切が総崩れになる。達磨は(だるま)はいかに
押し倒されてもすぐに立ち直る。これは重心が低<おちついているからである。人間の
重心も心である。切り抜けたいと願っても、許されねば出来ない。その許される第一条
件は明るい心、ゆとりのある心、陽気な心、きげんのよい心、これが主体である。そこ
に切り抜ける勘が働くようになる。ハツと気付く、抜け道が見付かる。心の光で打開の
道と縁が結ばれて来るのである。
いかに切り抜けるかの前に、心のゆとり、心の光をつくること、これが基本である。もし
心が明るくなれないとすれば、何かが狂っている。どこかに間違いがある。それを見つ
け出して反省する。やり直す。最悪の場合もまたやむなし、自分の責任だと覚悟す
る。
極まるとあわてる。暗い心になる。心がいらだつ。絶望感でがっかりする。立ちすくむ。
これは愚かなことである。いつでも第一は心に光をつけることである。人間は心が主
体である。この心の備えが崩れたら一切が総崩れになる。達磨は(だるま)はいかに
押し倒されてもすぐに立ち直る。これは重心が低<おちついているからである。人間の
重心も心である。切り抜けたいと願っても、許されねば出来ない。その許される第一条
件は明るい心、ゆとりのある心、陽気な心、きげんのよい心、これが主体である。そこ
に切り抜ける勘が働くようになる。ハツと気付く、抜け道が見付かる。心の光で打開の
道と縁が結ばれて来るのである。
いかに切り抜けるかの前に、心のゆとり、心の光をつくること、これが基本である。もし
心が明るくなれないとすれば、何かが狂っている。どこかに間違いがある。それを見つ
け出して反省する。やり直す。最悪の場合もまたやむなし、自分の責任だと覚悟す
る。