おこしやす福井

故郷福井。。紹介します

神に  。。

2005年11月23日 | Weblog

如何なる問題が起つて來ても、常に明るい心を以つてそれに立ち向ふことが必要である。
どんな問題でも、神なら解決できるのである。自分の「我」の力で解決しようと思ふから、解決の
方法を失つてどうすることもできないやうな事になるのである。間題を神に振向け、神に肩代わり
りしてもらふがよいのである。
そのためには「神は全智全能であるから、どんな問題でも必ず解決できるのである。
私はこの問題を紳様あなたに委ねます」
と繰返し繰返し、心に念じて祈り、その問題を神に委ねるがよい。
徹底的に神に解決をゆだねたら、神は必ずその間題を解決に導き給ふのである。
それは
自分に好い考へが思ひ浮んで來ることもあれぱ、誰か、思ひがけないところから、援助の手を
差し伸べる人が出てくるときも有るのである。

常岡一郎ぶんより

2005年11月11日 | Weblog
赤い花、紫のすみれ、みどりの若葉、すべての色もそうである。月に似ている。元来こ
の世に赤い花はない。花は七つの色全部を太陽からもらっている。そうしてその七色
の中から赤だけをお返しする。それをわれわれは赤い花と名付けて来た。すみれの
花は紫の色をお返しする。緑をお返しする葉を青葉とよんで来た。どんな色をお返し
するか、出すか。反射するか、それでそのものの名がつけられている。すぺてのもの
の本体は、絞り出したものによってきめられる。
太陽の光は無色透明といっている。この無色というのは色がないというのではない。
七つの色がいつでもある。色の無い無色ではない。どの色にも隔てがない。七つとも
平等、片寄りがない無色である。人間もそうである。その人の出したもの、お返しした
もの、それに名も実も与えられる。これが大自然の味ふかき恵みである。
毎日力を絞り出す人、世の中に力をお返しする人、これが力士である。声をお返しす
る人、これが歌手である。人々に愛と慈悲の手をのべつくし、人の世の光となっておら
れる人、これが宗祖、教祖である。
だから人間は、今日一日何を出すか。絞るか。配るか。捧げるか。これだけを考え、毎
日新しい決意で真剣に生きて行けばよいのだと思う。