ニュートンライクプトレマイオスと言おうか、ねw
バブル前に、と言ったらずいぶん昔の話であるが、その大昔に「アインシュタインの一般相対性理論によって天動説がむしろ肯定された」なんて論調が流行ったことがございます。まったくもって陳腐な話なんだが、彼らの大脳にかかったら運動の相対性はそのまま天動説を意味するのだとか。呆れてしまったらイイのだろうけど、さりとて真顔で講釈を垂れられたら、正面切って論駁するのは難しかろうと思う。キリスト教の総本山バチカンがやたらと元気が良かったころがあるのだが、彼らを陽気にしてしまったのは、そのような主張が合理化されたとでも思ったから、に違いない。
天動説からアインシュタインなんてルートございませんよ!
一括りでそう言ってアカンべーをお見舞いするしか方策が思いつかないが、そういえばAKB48のAKBというのは、どことなく、アカンべーを連想させるじゃないですか。関係ない、と、そうですね、真面目に行きましょう。キリスト教文明というのは「どうしても間違いに惹かれて終わってしまう」というのが宿命みたいなもの、になってるのじゃないだろうか。彼らがかつての信仰の中核であった天動説を放棄したとは考えないでおくべきだ。
キリスト教、またしても、かw
彼らにとって素粒子標準模型というのは格好の信仰対象になり得るのじゃないですか?
ちょうどいい複雑さ、ちょうどいい論理の綻び、と、ちょうどいい言い訳、彼らの好みにどんぴしゃりじゃないですか。補正、補正、で、こじ付けてしまえば、容易に否定され難くなる。そうなってしまえば、間違っていようと、かつてのように1000年の暗黒時代を支配することがデキる、って、考えすぎでしょーか。ちょうどかつての日本のオーディオがそーだった、って、思い出しますがな。それが、今では「糞オーディオの糞サウンド」って言われとりますやろ、そこでんがな。素粒子標準模型や大統一理論なんぞ、糞物理学の糞理論、そうでっせ。
本当によく似ているとしか言いようがないのです・・。
日本のオーディオだって“なにがし教”とか言っておりましたやろ?
(かくいう私もよく騙されたモン、ですw)
バブル前に、と言ったらずいぶん昔の話であるが、その大昔に「アインシュタインの一般相対性理論によって天動説がむしろ肯定された」なんて論調が流行ったことがございます。まったくもって陳腐な話なんだが、彼らの大脳にかかったら運動の相対性はそのまま天動説を意味するのだとか。呆れてしまったらイイのだろうけど、さりとて真顔で講釈を垂れられたら、正面切って論駁するのは難しかろうと思う。キリスト教の総本山バチカンがやたらと元気が良かったころがあるのだが、彼らを陽気にしてしまったのは、そのような主張が合理化されたとでも思ったから、に違いない。
天動説からアインシュタインなんてルートございませんよ!
一括りでそう言ってアカンべーをお見舞いするしか方策が思いつかないが、そういえばAKB48のAKBというのは、どことなく、アカンべーを連想させるじゃないですか。関係ない、と、そうですね、真面目に行きましょう。キリスト教文明というのは「どうしても間違いに惹かれて終わってしまう」というのが宿命みたいなもの、になってるのじゃないだろうか。彼らがかつての信仰の中核であった天動説を放棄したとは考えないでおくべきだ。
キリスト教、またしても、かw
彼らにとって素粒子標準模型というのは格好の信仰対象になり得るのじゃないですか?
ちょうどいい複雑さ、ちょうどいい論理の綻び、と、ちょうどいい言い訳、彼らの好みにどんぴしゃりじゃないですか。補正、補正、で、こじ付けてしまえば、容易に否定され難くなる。そうなってしまえば、間違っていようと、かつてのように1000年の暗黒時代を支配することがデキる、って、考えすぎでしょーか。ちょうどかつての日本のオーディオがそーだった、って、思い出しますがな。それが、今では「糞オーディオの糞サウンド」って言われとりますやろ、そこでんがな。素粒子標準模型や大統一理論なんぞ、糞物理学の糞理論、そうでっせ。
本当によく似ているとしか言いようがないのです・・。
日本のオーディオだって“なにがし教”とか言っておりましたやろ?
(かくいう私もよく騙されたモン、ですw)