とにかくパウリの禁制律に引っかかるから間違いだと、とにかく気に食わないと、そんな奴らなんですw
とかく量子力学的自然館ではその原動力を「偶然による」と説明しがちなんですけど、そのじつは量子物理のように確率計算が可能な理論体系を支配している原理は蓋然性であって偶然性ではございません。私がこのような話でときおり引き合いに出すグールドという生物学者は量子生物学者ではないのですが「我われは偶然ここまで来た」と進化を論じていました。いまさら彼を間違っていたと論じなければならないのは多少なりとも面映いのですけれど、分子進化に量子力学が関与していたとした場合にその原動力は蓋然性によると存じます。
私がいう「蓋然性」という言葉には定義がありまして、それは「確率計算が可能」ということになります!
あなたが明日という日に交通事故にあって死ぬ確率などは計算不可能ですから偶然性であって蓋然性ではないことになります。天気予報などのように文学的にはそれこそ蓋然性だというようなことも、概然性ではなくて蓋然性と書くという字義からも、考えまして、事象に蓋をして確率計算がデキなければならないということから、蓋然性ではなくて偶然性であると断定しております。
なんか文系ではこのことばを「概算できる確率」のようにとらえているようですが、それを誤りとしたいのですがなw
「二色を用いて三色の効果を得ることが量子力学的蓋然性を用いれば可能」だと、そういうことです。クォーク三つをT反N・N反N・N反Tの3重項によって蓋をするんですがなー、蓋をすれば単独では使い物にならないR状態とG状態とをR+Gというオービタルとして再定義デキますやろ、どちらかがRでどちらかがGであるとワカル、これでんがな、これで決まりでっせー、ということ。T反Tはあり得ない同色過程だということでそれらの理想が実現しているのです。
とかく量子力学的自然館ではその原動力を「偶然による」と説明しがちなんですけど、そのじつは量子物理のように確率計算が可能な理論体系を支配している原理は蓋然性であって偶然性ではございません。私がこのような話でときおり引き合いに出すグールドという生物学者は量子生物学者ではないのですが「我われは偶然ここまで来た」と進化を論じていました。いまさら彼を間違っていたと論じなければならないのは多少なりとも面映いのですけれど、分子進化に量子力学が関与していたとした場合にその原動力は蓋然性によると存じます。
私がいう「蓋然性」という言葉には定義がありまして、それは「確率計算が可能」ということになります!
あなたが明日という日に交通事故にあって死ぬ確率などは計算不可能ですから偶然性であって蓋然性ではないことになります。天気予報などのように文学的にはそれこそ蓋然性だというようなことも、概然性ではなくて蓋然性と書くという字義からも、考えまして、事象に蓋をして確率計算がデキなければならないということから、蓋然性ではなくて偶然性であると断定しております。
なんか文系ではこのことばを「概算できる確率」のようにとらえているようですが、それを誤りとしたいのですがなw
「二色を用いて三色の効果を得ることが量子力学的蓋然性を用いれば可能」だと、そういうことです。クォーク三つをT反N・N反N・N反Tの3重項によって蓋をするんですがなー、蓋をすれば単独では使い物にならないR状態とG状態とをR+Gというオービタルとして再定義デキますやろ、どちらかがRでどちらかがGであるとワカル、これでんがな、これで決まりでっせー、ということ。T反Tはあり得ない同色過程だということでそれらの理想が実現しているのです。