ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

自然科学の世界における差別的な扱いと偽科学と科学者の身分問題について

2012年07月27日 | Weblog
前回の記事では前者だけを論じましたけど、さらに基本的には科学者の業績というのは偉いほど迫害を被るという性質があるよーでございまして、

どーしてなのか、と言えば、思い出したのは湯川秀樹が生前に「マイノリティー発現の可能性は誰にでもある」てなことを仰っていたということです。ここは、フツーには理科教育の延長としての理学部教育などでは「天才性発現の可能性は全員にある」とかやるのがジョーシキでしょ。ですから、京都大学名誉教授としてのノーベル賞受賞者としては幾分か冷たい発言だったなとも思われるのでしたけど、おそらく正確さを期したあまりのお言葉なのだと思いいたった次第。一つには自身の中間子論が欧米においてマイナー扱いを受け始めていたということと、科学者には“突発的な”とか“パッと出の”ということはつき物じゃないかということなのでしょう。

写真家土門拳なんかも「素晴らしい写真に写し方なんかがあったら絶対王政下においてこそ最高の大芸術が制作可能になる」てなことを仰いましたっけ?

ところが「ベートーベンの第九や、セザンヌのサントヴィクトワール山などは、絶対に絶対王政下では生まれやしない」とも言うし、対象に完全を要求したセザンヌは氷雨降る路傍に倒れたから悲劇だったとも言っている。僕らは、セザンヌの画風で対象が完全であっても大して意味無いじゃないかとも思うのだが、実作者としての土門には分かって私たちにはワカラナイ“何か”があるのだろう。僕なんかは下手なやきもちやきのとうしろうもいいとこだから「おおかた対象に絶対的な眼福でも求めたのだろー」「それじゃ、自業自得だ・・」とか思ってしまうのだけれど。

科学者なんかなおのことで歴史的発見に人材としての必然性などナイ、それはまったく以て存在しない、熱心さの度合いに応じて確率が変化するに過ぎない!

だから逆説的の誹りを怖がらずに言えば「数学じゃあるまいし自然科学の世界に天才など存在しない」となったりするわけだが、もちろんだからこその湯川の発言だとは思えないだろーか?

コペルニクスだけが迫害を被ったのじゃなく、ガリレイだってもちろんだったが、ニュートンだってアインシュタインだって、そして我らが湯川秀樹だって、やっぱり例外ではあり得なかったというのが本当のところだろー。その昔、持ってきた生徒を信じて大量の化石標本を出版したところ捏造物だと分かった教師が食うや食わずに身を落とすまでに出版物を私費で回収したらしいが、本当に正しいと真っ赤な嘘というのは対極的であるとゆーよりもよく似ているとゆーことが歴史によって立証されている。

フランス革命はラボアジェを「共和国に科学者は要らない」「斧は己の仕事をせねばならぬ」と言い捨ててギロチンにかけた・・w)

それは本当に長らく悪名高いセリフだったものですけど、どうやらフランス国民は実際に革命的な神経をしておるらしく、今では(偽科学の代表とされる)N線の発見者(?)ブロンコはその執念じみた信念を高く買われて田舎町ナンシーには“ブロンコ通り”が存在しているのだそーだ。その伝で行くといかに手品であろうと大事件と言われようと『常温核融合の主張』は「称賛に値する」らしい、私にとっては敵だが。彼らは大学を強制的に辞めさせられることはないし、文科省としても技術系からの励ましを信じていなくてはならないのだろー、もー、いいや、なんだかしらじらしいけれど。

僕が改革的な物理理論を見出すなんて嫌がられるのかあー、くそっ、もおよくなんかちっともないっ!




本 日 の 話 は く そ お も し ろ く も な く 終 始 し て し ま い ま し た ・ ・ ・


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