(-_-;)('◇')ゞとりいそぎ大慌てで記号法を工夫しましたあ~っ('◇')ゞ(-_-;)
Qua.X(X)=X⇔X is A. クォーク命題
¬Qua.X(X)=X⇔X is not A. 否定クォーク命題
¬Qua.¬X(X)=¬X⇔X is not A. 反クォーク命題 ――――ア.
¬Qua.¬X(¬X)=¬X⇔¬X is not A. 反対クォーク命題
ゲーデル命題Gをクォーク命題とすれば¬Gはア.の形をしている反クォーク命題だから「ちゃんと正しい否定形にはなっていない」という私の主張は変わりません!
すなわちゲーデル証明はG∧¬Gが矛盾にならないので完全に誤りです・・。
私にとってのゲーデル批判(=糾弾)はこれだけで十分だと存じまして、次に行きますw)
だから、後世の人による自己言及を避けたゲーデル命題G「を,二度繰り返すは証明できない」は無矛盾性としての同義反復が数学体系においては証明ではなく悪循環であることを指しておるのだが、ゲーデルの論証の致命的な部分を残したまま先に行っているので同様に糾弾されるということです。
さて、山野命題Y「Yは反証されない」を数学体系に導入するにあたって、その否定形Y「Yは反証される」を同時に導入することは矛盾した定義だからできません。ここは数学体系を二分する覚悟で、反対クォーク命題としての、反対山野命題¬Y「¬Yは反証される」を導入することになります。数学命題の真偽判定を論理と同じく「否定されなければ正しい」に持ち込むためです。
すると¬Gは定式から自明で反証されますから¬Y集合の方に入るのです・・。
決定不能命題を含めて数学命題のすべてがY集合の方に入ると思われます、背理法が証明手段である限りは数学体系は無矛盾である、公理系はむしろ無矛盾な体系が他にも存在することによって増殖するのである!
(∩´∀`)∩\(^o^)/数学バンザイ\(^o^)/(∩´∀`)∩
inovationとして「決定不能命題の確率解釈」などなど進展が見込まれるのでは?(初夢だあ~)
こうしてゲーデル糾弾を残したまま山野命題を数学に導入することができました、ほっw)
Qua.X(X)=X⇔X is A. クォーク命題
¬Qua.X(X)=X⇔X is not A. 否定クォーク命題
¬Qua.¬X(X)=¬X⇔X is not A. 反クォーク命題 ――――ア.
¬Qua.¬X(¬X)=¬X⇔¬X is not A. 反対クォーク命題
ゲーデル命題Gをクォーク命題とすれば¬Gはア.の形をしている反クォーク命題だから「ちゃんと正しい否定形にはなっていない」という私の主張は変わりません!
すなわちゲーデル証明はG∧¬Gが矛盾にならないので完全に誤りです・・。
私にとってのゲーデル批判(=糾弾)はこれだけで十分だと存じまして、次に行きますw)
だから、後世の人による自己言及を避けたゲーデル命題G「を,二度繰り返すは証明できない」は無矛盾性としての同義反復が数学体系においては証明ではなく悪循環であることを指しておるのだが、ゲーデルの論証の致命的な部分を残したまま先に行っているので同様に糾弾されるということです。
さて、山野命題Y「Yは反証されない」を数学体系に導入するにあたって、その否定形Y「Yは反証される」を同時に導入することは矛盾した定義だからできません。ここは数学体系を二分する覚悟で、反対クォーク命題としての、反対山野命題¬Y「¬Yは反証される」を導入することになります。数学命題の真偽判定を論理と同じく「否定されなければ正しい」に持ち込むためです。
すると¬Gは定式から自明で反証されますから¬Y集合の方に入るのです・・。
決定不能命題を含めて数学命題のすべてがY集合の方に入ると思われます、背理法が証明手段である限りは数学体系は無矛盾である、公理系はむしろ無矛盾な体系が他にも存在することによって増殖するのである!
(∩´∀`)∩\(^o^)/数学バンザイ\(^o^)/(∩´∀`)∩
inovationとして「決定不能命題の確率解釈」などなど進展が見込まれるのでは?(初夢だあ~)
こうしてゲーデル糾弾を残したまま山野命題を数学に導入することができました、ほっw)